新幹線の駅を置いて進んでいくイメージで物語を書く。万城目学に聞く『とっぴんぱらりの風太郎』2
前編はこちら
───この小説は、キャラクターが現代人だな、と感じる個所がいくつかありました。たとえば司馬遼太郎さんだと、『花神』のように幕末の時代に現代の考えをする人間を一人入れて、彼に将来を見通させるというようなことをする。『とっぴんぱらりの風太郎』は、現代では書きにくい物語を過去にずらしてみた、という小説であるわけですが、現代人を戦国末期の京都に置いてみて、何か発見のようなものはありましたか?
万城目 この小説を書く前に司馬さんの『梟の城』とか山田風太郎さんを改めて読んでみたんです。昭和の小説はやはり時代が違うなと思いました。忍者って、そのときの組織や体制から疎外された、虐げられた人のかっこいい姿が投影されがちなんですよ。たとえば『梟の城』だと、最高権力者に故郷を滅ぼされた忍者が復讐するという話です。でも、今だったら故郷の家族を殺されて組織から放逐された人が取る行動が、いきなり社会の最高権力者に復讐しに行くって話には、なかなか育たないと思います。たとえば、アフガンで米兵に家族を殺されたから、復讐の念に燃え、ホワイトハウスの指導者の暗殺を目論む、という構図と同じですからね。
───無さそうですね。
万城目 当時のものってすごくまじめだなと思うんです。激しいし、いいなと。でも、自分の場合は現代の人の心を投影するので、どう生きようかとか、何をして生きたらいいのかという居場所探しの方向に行ったんですね。もしもタイムスリップして僕が30年前の司馬先生にこの小説を見せたら「なんなん、これ?」って言われるんじゃないかなと思います(笑)。「この主人公がなぜ悩んでるのかわからん」みたいな。しっかり組織に個人が安心して組み込まれていた時代と今はちょっとやっぱり違うんです。
───なるほど。
万城目 で、山田風太郎は、別次元だなと(笑)。社会がどうとかはまったく関係なくて、俺がやりたいことをやる、という。あの人はどの時代でも通用するんじゃないですかね。ぶっ飛んでますから。だから、まったくお手本にならない(笑)。次元が違いすぎるんですよ。司馬先生のほうがまだわかるんですよね。当時の社会とかを考えて、こうしたんだろうなみたいなところが。
───居場所探しという単語が出てきてすごく腑に落ちました。『とっぴんぱらりの風太郎』は、そういう意味で登場人物たちを動かしていって、その人がいるべき場所にはめこんでいくことにプロットが特化していますね。
万城目 風太郎が自分の生き方と忍者という職業との折り合いをどうつけていくのか、というのは書きながら出てくる状況にあわせてそのつど考えながらやっていきました。この書き方だと、先が見えないのでなかなか苦しい(笑)。ボリュームも最初に考えていた倍以上になりましたし。ストーリーのはじめとラストはある程度きめてましたが、その間は考えずにスタートしちゃったんですよ。イメージとしては絵本の『わらしべ長者』みたいに、落とし物をとどけたら、さらに大きいものを渡され……みたいなイメージにしたいなと考えていました。
───そこは設計通りなんですね?
万城目 だいぶ変わりましたけどね。変わるといえば、今回は超自然的な、モノノケとかそういうものを出したくなかったんです。今までのように、ああいうのを出すのがすごく嫌で(笑)。
───意外です。
万城目 ああいうのを出すと、話が簡単に進むんですよ。それがもう、安易や、って思うようになって。だからそういうのなしで、風太郎が動いていく、他人の思惑で動かされていくというのをプランニングしてたんですよ。でも途中で行き詰ってしまって、ひょうたんが出てきたんですよ。
───この話の影の主役といってもいい、不思議なひょうたんですね。
万城目 はい。連載をしていて、ひょうたんがしゃべったときに、ついに出してしまった、と思いましたもん。でもこれを出すとすごいストーリーが楽になる(笑)。さっきの意識した作家という話ではないんですけど、ひょうたんを出す前に考えていた展開が、あ、これ隆慶一郎さんの『花と火の帝』やなと(笑)。書き始めたときはまったく思っていなかったですが、近いといえば隆さんが一番近いかもしれないですね。
───あー、わかる気がします。隆慶一郎さんは、天下泰平の世の中になって行き場がなくなった男たちがうろうろする小説をよく書かれた人でした。小説の熱気というか、熱量はまったく万城目さんとは違いますが。
万城目 そうです。それで似ないように、あわてて撤退しました(笑)。隆さんは特殊能力の描写がすごくかっこいいんですよ。大好きなんですけど『花と火の帝』は中学生のときに読んで、本には一切未完だと書いてなくてびっくりしました。
───あ、執筆中に亡くなられたのを知らなかった(注:1989年没)。
万城目 中学生ですから。吉川英治さんの『水滸伝』を読んだときも未完で、裏切られた、と思いました。結構そういうのあります。
───このときめいてしまった読者の気持ちをどうするんだと。最後まで頭から尻尾まであるものがお好きなんですね。未完の大作とかよりも。
万城目 そうですね。作り手としてもそうで、これまで自分の小説は最後まで組み立ててから書いてきました。行程を東京駅からスタートして新大阪までみたいに決めて、最初はのぞみが停まるところを決めて、つぎにひかり、最後にこだま、みたいに、途中の駅を置いて進んでいくイメージなんです。
───あ、おもしろい。小説の路線図ですね。
万城目 小説の刊行がこれで7冊目なんですが、だんだんとその路線図をきっちり考えるようになって、5冊目の『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』のときには、書いているときの感覚が、大きさが決まってる幕の内弁当にきれいに一個一個予定とおりにはめていく感じだったんですよ。構成を考える力がつきすぎた(笑)。
───それこそ鉄道のダイヤみたいに。
万城目 それでこれはあかん、という気がしてきて、ちっちゃくまとまるというか、この作業を続けてても作家としていまいちなきがするなと思ったんです。それで6冊目の『偉大なるしゅららぼん』のときには、逆に何も考えないようにしたんですよ。最初の『鴨川ホルモー』のときはデビュー前だったから何も考えられなかったんですね。考えないで書いたものが、幸いあんなに喜んでもらえた。でも、そこには戻れないんです。自転車に乗れるようになった人が乗れないように戻るのはむりですよね。
───たしかに。
万城目 それでも、『偉大なる、しゅららぼん』のときには、なるべく展開の先を何も考えないようにして書いたんです。そしたら苦しくて。何も考えなさすぎるのもよくないっていう、あたりまえのところに立ち戻った(笑)。あれはあれで、力技でまとめたんですけど、最後のどたばた感とかは、ちょっと美しくないなと思うところもある。でも、そういうやりかたをしてしまったのでしょうがない。
───しょうがないですね。
万城目 はい。あれはあのときの自分の実力だから、悔いはないです。それで今回は、ある程度は考えるんですけど大事なところは考えない、と。それでもやっていける気がしたんです。考える部分と、そうしない部分を分けて、ある程度の枠組みは決めて。でも、連載が当初予定の倍の2年かかってますから、うまくはいってないですね。これが1年くらいでできてたら、ベストの執筆なのだろうなあ、と思います。
───『とっぴんぱらりの風太郎』を半分の執筆時間で書けたら……。
万城目 そしたら、より上にいけるんちゃうかな、と。そうやって常に1年に1作というペースで同じクオリティのものを出せたらいいんですけどね。
───なるほど。次に試そうと思っておられることはあるんですか?
万城目 今書いていのは短編集なんですよね。「yomyom」(新潮社)に発表しているもので、今度は完全に歴史小説で中国ものですね。
───あ、いいですね。最初に戻った。
万城目 そうそう。前からやりたかったやつで、原稿用紙40枚くらいの長さです。それはひょうたんとか出てこない(笑)。すでに掲載済みですが、最初の題材は『西遊記』で、沙悟浄が猪八戒をどう思うかという話です。2作目が『三国志』で、趙雲が張飛や諸葛亮たちをどう思ってるかという話。で、次の「yomyom」に載るのは『項羽と劉邦』で、虞姫が項羽をどう思ってるか、という。つまり全部、脇役から見た話なんですね。
───中国限定なんですか?
万城目 中島敦に『わが西遊記』という未完の連作があって、最初は沙悟浄がいろいろ考えるという話なんです。現代の青春小説の主人公が考えそうな20個くらいのパターンを、沙悟浄が全部考えるんだけど、違う違うと否定する。それを読むともう、自分語りの青春小説を書けなくなります(笑)。
───全部のパターンが書いてあるから。
万城目 そう、すごいんですよ。2篇あって、もう1つは沙悟浄がずっと孫悟空について考えるという話で、そこまで書いて中島敦は死んでしまったんですよ。それで本当に恐縮ながら僕が、沙悟浄が残る猪八戒についてどう思ってるかを書くという(笑)。大学生のころからやりたかったことで、ちょうど僕がこれを書いたときが32歳で、確か中島敦が『わが西遊記』を書いたのと同じ年齢だったんです。もうなんていう差でしょう、みたいな(笑)。
───それは、来年には本になりますか?
万城目 あと2編くらいで終わりなので、そうできれば、と思っています。
───長篇時代小説にもまた挑戦されますか?
万城目 そうですね。4、5年後くらいに。今回は、あまり時代小説を書いた気がしないんですよ。いつもの小説で、たまたま舞台が1615年あたりだっただけという。今回は、まだ自分がなにを書いたかよくわかってないんですよね。毎週目先のことだけを考えてやってきたので、全体を見渡す余裕がなかったんです。これから読者の反応を聞いて、ああ自分はこういう話を書いたんだ、というのがわかるんだと思います。今はまだ、ぼんやりしてますね。マラソンが終わったあとみたいな感じで。
───まだ、ぜーぜー言ってますね。
万城目 はい。今の気持ちを率直に言うと、褒めてほしいですね(笑)。2年間ほぼこれだけで、パソコンの前にずっと座ってましたから、彩りがまったくない生活だったんです。2年間に彩りを添えてほしいというか、はい(笑)。
(杉江松恋)
───この小説は、キャラクターが現代人だな、と感じる個所がいくつかありました。たとえば司馬遼太郎さんだと、『花神』のように幕末の時代に現代の考えをする人間を一人入れて、彼に将来を見通させるというようなことをする。『とっぴんぱらりの風太郎』は、現代では書きにくい物語を過去にずらしてみた、という小説であるわけですが、現代人を戦国末期の京都に置いてみて、何か発見のようなものはありましたか?
万城目 この小説を書く前に司馬さんの『梟の城』とか山田風太郎さんを改めて読んでみたんです。昭和の小説はやはり時代が違うなと思いました。忍者って、そのときの組織や体制から疎外された、虐げられた人のかっこいい姿が投影されがちなんですよ。たとえば『梟の城』だと、最高権力者に故郷を滅ぼされた忍者が復讐するという話です。でも、今だったら故郷の家族を殺されて組織から放逐された人が取る行動が、いきなり社会の最高権力者に復讐しに行くって話には、なかなか育たないと思います。たとえば、アフガンで米兵に家族を殺されたから、復讐の念に燃え、ホワイトハウスの指導者の暗殺を目論む、という構図と同じですからね。
───無さそうですね。
万城目 当時のものってすごくまじめだなと思うんです。激しいし、いいなと。でも、自分の場合は現代の人の心を投影するので、どう生きようかとか、何をして生きたらいいのかという居場所探しの方向に行ったんですね。もしもタイムスリップして僕が30年前の司馬先生にこの小説を見せたら「なんなん、これ?」って言われるんじゃないかなと思います(笑)。「この主人公がなぜ悩んでるのかわからん」みたいな。しっかり組織に個人が安心して組み込まれていた時代と今はちょっとやっぱり違うんです。
───なるほど。
万城目 で、山田風太郎は、別次元だなと(笑)。社会がどうとかはまったく関係なくて、俺がやりたいことをやる、という。あの人はどの時代でも通用するんじゃないですかね。ぶっ飛んでますから。だから、まったくお手本にならない(笑)。次元が違いすぎるんですよ。司馬先生のほうがまだわかるんですよね。当時の社会とかを考えて、こうしたんだろうなみたいなところが。
───居場所探しという単語が出てきてすごく腑に落ちました。『とっぴんぱらりの風太郎』は、そういう意味で登場人物たちを動かしていって、その人がいるべき場所にはめこんでいくことにプロットが特化していますね。
万城目 風太郎が自分の生き方と忍者という職業との折り合いをどうつけていくのか、というのは書きながら出てくる状況にあわせてそのつど考えながらやっていきました。この書き方だと、先が見えないのでなかなか苦しい(笑)。ボリュームも最初に考えていた倍以上になりましたし。ストーリーのはじめとラストはある程度きめてましたが、その間は考えずにスタートしちゃったんですよ。イメージとしては絵本の『わらしべ長者』みたいに、落とし物をとどけたら、さらに大きいものを渡され……みたいなイメージにしたいなと考えていました。
───そこは設計通りなんですね?
万城目 だいぶ変わりましたけどね。変わるといえば、今回は超自然的な、モノノケとかそういうものを出したくなかったんです。今までのように、ああいうのを出すのがすごく嫌で(笑)。
───意外です。
万城目 ああいうのを出すと、話が簡単に進むんですよ。それがもう、安易や、って思うようになって。だからそういうのなしで、風太郎が動いていく、他人の思惑で動かされていくというのをプランニングしてたんですよ。でも途中で行き詰ってしまって、ひょうたんが出てきたんですよ。
───この話の影の主役といってもいい、不思議なひょうたんですね。
万城目 はい。連載をしていて、ひょうたんがしゃべったときに、ついに出してしまった、と思いましたもん。でもこれを出すとすごいストーリーが楽になる(笑)。さっきの意識した作家という話ではないんですけど、ひょうたんを出す前に考えていた展開が、あ、これ隆慶一郎さんの『花と火の帝』やなと(笑)。書き始めたときはまったく思っていなかったですが、近いといえば隆さんが一番近いかもしれないですね。
───あー、わかる気がします。隆慶一郎さんは、天下泰平の世の中になって行き場がなくなった男たちがうろうろする小説をよく書かれた人でした。小説の熱気というか、熱量はまったく万城目さんとは違いますが。
万城目 そうです。それで似ないように、あわてて撤退しました(笑)。隆さんは特殊能力の描写がすごくかっこいいんですよ。大好きなんですけど『花と火の帝』は中学生のときに読んで、本には一切未完だと書いてなくてびっくりしました。
───あ、執筆中に亡くなられたのを知らなかった(注:1989年没)。
万城目 中学生ですから。吉川英治さんの『水滸伝』を読んだときも未完で、裏切られた、と思いました。結構そういうのあります。
───このときめいてしまった読者の気持ちをどうするんだと。最後まで頭から尻尾まであるものがお好きなんですね。未完の大作とかよりも。
万城目 そうですね。作り手としてもそうで、これまで自分の小説は最後まで組み立ててから書いてきました。行程を東京駅からスタートして新大阪までみたいに決めて、最初はのぞみが停まるところを決めて、つぎにひかり、最後にこだま、みたいに、途中の駅を置いて進んでいくイメージなんです。
───あ、おもしろい。小説の路線図ですね。
万城目 小説の刊行がこれで7冊目なんですが、だんだんとその路線図をきっちり考えるようになって、5冊目の『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』のときには、書いているときの感覚が、大きさが決まってる幕の内弁当にきれいに一個一個予定とおりにはめていく感じだったんですよ。構成を考える力がつきすぎた(笑)。
───それこそ鉄道のダイヤみたいに。
万城目 それでこれはあかん、という気がしてきて、ちっちゃくまとまるというか、この作業を続けてても作家としていまいちなきがするなと思ったんです。それで6冊目の『偉大なるしゅららぼん』のときには、逆に何も考えないようにしたんですよ。最初の『鴨川ホルモー』のときはデビュー前だったから何も考えられなかったんですね。考えないで書いたものが、幸いあんなに喜んでもらえた。でも、そこには戻れないんです。自転車に乗れるようになった人が乗れないように戻るのはむりですよね。
───たしかに。
万城目 それでも、『偉大なる、しゅららぼん』のときには、なるべく展開の先を何も考えないようにして書いたんです。そしたら苦しくて。何も考えなさすぎるのもよくないっていう、あたりまえのところに立ち戻った(笑)。あれはあれで、力技でまとめたんですけど、最後のどたばた感とかは、ちょっと美しくないなと思うところもある。でも、そういうやりかたをしてしまったのでしょうがない。
───しょうがないですね。
万城目 はい。あれはあのときの自分の実力だから、悔いはないです。それで今回は、ある程度は考えるんですけど大事なところは考えない、と。それでもやっていける気がしたんです。考える部分と、そうしない部分を分けて、ある程度の枠組みは決めて。でも、連載が当初予定の倍の2年かかってますから、うまくはいってないですね。これが1年くらいでできてたら、ベストの執筆なのだろうなあ、と思います。
───『とっぴんぱらりの風太郎』を半分の執筆時間で書けたら……。
万城目 そしたら、より上にいけるんちゃうかな、と。そうやって常に1年に1作というペースで同じクオリティのものを出せたらいいんですけどね。
───なるほど。次に試そうと思っておられることはあるんですか?
万城目 今書いていのは短編集なんですよね。「yomyom」(新潮社)に発表しているもので、今度は完全に歴史小説で中国ものですね。
───あ、いいですね。最初に戻った。
万城目 そうそう。前からやりたかったやつで、原稿用紙40枚くらいの長さです。それはひょうたんとか出てこない(笑)。すでに掲載済みですが、最初の題材は『西遊記』で、沙悟浄が猪八戒をどう思うかという話です。2作目が『三国志』で、趙雲が張飛や諸葛亮たちをどう思ってるかという話。で、次の「yomyom」に載るのは『項羽と劉邦』で、虞姫が項羽をどう思ってるか、という。つまり全部、脇役から見た話なんですね。
───中国限定なんですか?
万城目 中島敦に『わが西遊記』という未完の連作があって、最初は沙悟浄がいろいろ考えるという話なんです。現代の青春小説の主人公が考えそうな20個くらいのパターンを、沙悟浄が全部考えるんだけど、違う違うと否定する。それを読むともう、自分語りの青春小説を書けなくなります(笑)。
───全部のパターンが書いてあるから。
万城目 そう、すごいんですよ。2篇あって、もう1つは沙悟浄がずっと孫悟空について考えるという話で、そこまで書いて中島敦は死んでしまったんですよ。それで本当に恐縮ながら僕が、沙悟浄が残る猪八戒についてどう思ってるかを書くという(笑)。大学生のころからやりたかったことで、ちょうど僕がこれを書いたときが32歳で、確か中島敦が『わが西遊記』を書いたのと同じ年齢だったんです。もうなんていう差でしょう、みたいな(笑)。
───それは、来年には本になりますか?
万城目 あと2編くらいで終わりなので、そうできれば、と思っています。
───長篇時代小説にもまた挑戦されますか?
万城目 そうですね。4、5年後くらいに。今回は、あまり時代小説を書いた気がしないんですよ。いつもの小説で、たまたま舞台が1615年あたりだっただけという。今回は、まだ自分がなにを書いたかよくわかってないんですよね。毎週目先のことだけを考えてやってきたので、全体を見渡す余裕がなかったんです。これから読者の反応を聞いて、ああ自分はこういう話を書いたんだ、というのがわかるんだと思います。今はまだ、ぼんやりしてますね。マラソンが終わったあとみたいな感じで。
───まだ、ぜーぜー言ってますね。
万城目 はい。今の気持ちを率直に言うと、褒めてほしいですね(笑)。2年間ほぼこれだけで、パソコンの前にずっと座ってましたから、彩りがまったくない生活だったんです。2年間に彩りを添えてほしいというか、はい(笑)。
(杉江松恋)