『野球部に花束を』(クロマツテツロウ/秋田書店)
ドカベンでもタッチでも描かれなかった「野球部の真実」が満載の新高校野球漫画。

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甲子園が終わってしまった。

初出場初優勝。決勝打の4番主将は優勝監督の息子。そして投げ抜いた2年生エース。
昨日の決勝戦に限らず、今大会はドラマチックな展開や接戦・逆転劇が多く、語りたくなる背景も多かったように思う。
どの試合だったかは忘れてしまったが、実況アナウンサーは「これぞ高校野球!」と叫んでいた。

確かにそれは間違いない。
こんな劇的な展開が続出するのは「高校野球」くらいなものである。
でも自分の高校時代を思い返してみて、「これぞ高校野球」と言いたくなるのは違うシーンじゃないだろうか?

厳しい上下関係。
坊主頭のおバカで憎めない奴ら。
理不尽で不思議な練習やしごきの数々。
そんな、「我が高校の野球部」の姿を描いた漫画が甲子園大会期間にあわせて発売された。
その名も『野球部に花束を』。

甲子園の舞台を踏むことができるのは、全国3957チームの中のわずか49校。
残る約3900校のうち、ほとんどは甲子園なんて夢のまた夢の、普通の高校生たち。
本書では、そんなどこにでもある野球部の日常、そして野球部にしかない不思議な「野球部あるある」が千本ノックのように重ねられていく。

例えば、先輩たちから課せられる無理難題との格闘の日々。
「お客様扱いから野球部の構成員に切り替わる瞬間が必ずある」
「野球部には階級制度の名残りが何かしらの形で存在する…。」
「熱い言葉がしっかりと心に届いたにもかかわらずなぜか殴られることがある…。」

そんな先輩球児以上に理不尽なのが、ヤクザのような監督や指導者。
「怖い指導者ほど怒る前に、意味もなく一度泳がす…。」
「野球部の部則や部訓には指導者のトラウマがまぎれ込んでいることが多々ある…。」
「なんでもない日常生活の過ちを野球に置き換えられて怒られたとき、信じられない程ヘコむ…。」

だからこそ育まれる、同級生たちとの友情物語や連帯責任。
「野球部員の暗黙のルールとして好きになった女子を決してけなさいことがある…。」
「育った環境で微妙に違ってくる常識で口論となり、そして大人になる。」
「野球部員は他人が怒られたときの取材は欠かさない。」

多々描かれる、野球部ならではの「あるある」のアングルや切り取り方が絶妙なのは、本書の作者・クロマツテツロウが、この「あるある」の第一人者だから。
今日の「あるある本」ブームの火付け役といわれる『野球部あるある』『野球部あるある2』でイラストを担当していたのがこのクロマツ。自身も高校時代に野球部だった過去を踏まえ、さらに現役高校球児にも取材を重ねて生まれた「野球部描写」は、甲子園の中で躍動していた「選ばれた球児たち」よりもリアルでおかしく、それでいて切なさにあふれている。

昨今話題の「投手の球数問題」しかり、高校野球は何かにつけて「時代に合っていない」「封建的だ」と批判され、アメリカのベースボールと比較をされがち。
もちろんその指摘は正しい場合が多いし改革案も必要なのだが、一方で、そんな「不思議な野球(部)文化」こそが、野球部を野球部たらしめ、高校野球の面白さのひとつになっていることもまた事実だ。

私が1巻で一番好きなシーンもそんなエピソード。
先輩から、ジョギングの足並みが揃っていないとチームが超弱そうに見られる、と“ジョギングの訓練”を課せられた主人公・黒田。
「なんだよそれ!? そんなもん意味あんのかよ!?」と疑念を抱いた黒田に、先輩は「俺も1年のときはそう思ったよ」と語り、次のように続ける。
「強いチームほどすみずみまで統制がとれている。そしてそれは大事な局面で必ず生きてくる。意味はねぇかもしれないけど、無駄じゃねぇんだよ」

意味はないけど、無駄じゃない。
それって、野球部に限らず、部活動や高校生活そのものを言い表しているような気がする。
本書にはそんな風に、高校球児じゃなくても、野球ファンじゃなくても、読んでいて懐かしくなる瞬間があるハズだ。

甲子園が終わって野球熱の発散のしどころを見失ってしまった人もそうでない人も、『野球部に花束を』、オススメです。

(オグマナオト)