「風立ちぬ」の帽子はその人が「いるべき場所」を示している
映画を観る楽しみの半分は、あーだこーだと感想を言い合うことなんじゃないかと思ってる。
ハードな締切をクリアした後の仕事場で「風立ちぬ」をネタバレを気にせず話せるなんて、ほんと至福のとき。妙にBLっぽかったよね、脚立のシーンとか駿の趣味とは思えない。きっと鈴木Pのゴリ押しだよ、なんて根拠レスな妄想ゴシップ話も楽しい。
そんななか、ウチのエーススタッフ・たきさんがふと言った。
「帽子…妙に気になりませんでした?」
うん、なったなった。
何とも飛ばされそうになってたねー、もっとちゃんと押さえないととか思ってた。
まあ結局、飛ばされたおかげであの二人が出会うんだけど。
「あのー。仮説なんですけど…、作中で帽子ってその人の『いるべき場所』をあらわしていたように思うんです」
へ? 帽子がいるべき場所?
ど、どゆことー!?
ここから始まるたきさんの<帽子=いるべき場所>説が、あんまりにもおもしろかった。
パズルがするすると完成していくような快感。
この気持ちよさをお裾分けしたくて、たきさんにお願いして文章にまとめてもらいました。
読むともっかい観たくなるよー。
ーーーーーーーーーーーーーー
風立ちぬ、みてきました。面白かったです。
二郎が飛行機の事を考えてる時の没頭感、わくわく感は
なにかモノを作るのが好きな人なら「わかるわかる!」ってなる楽しさ。
見た後すぐ誰かに話したくなるような事はいっぱいあるんですが
中でも帽子の使い方が面白かったので、ちょっとそれについて書いてみます。
この映画で、帽子は三人目の主役と言ってもいいくらい目につきます。
ずっと風にはためいてるので、飛ばされないかハラハラしますし
飛ばされると、見てる私は「あっ!帽子!」ってなって気になります。
ダメ押しで、セリフでもちょくちょく触れてきます。
二郎と菜穂子が初めて会った列車の中で、お絹が
「お嬢様、帽子が飛びますよ」
二郎が初めて出社したとき、上司の黒川さんが二郎をデスクに案内しながら
「帽子はここ」
これは私の解釈ですが、帽子はその人の「いるべき場所」を示してるんだと思います。
カプローニさんと会ってる夢の中に、二郎は帽子を持っていきません。
持っていってもすぐ飛ばされて、二郎の頭にありません。
二郎がいるべきは現実の世界で、夢の世界(死後の世界と繋がってる)ではないから。
黒川さんが帽子の場所を指定したのは、ここが二郎の席で、これからずっと居る場所だから。
二郎は言われた後すぐ、指定の場所に帽子を掛け、デスクに座って仕事を始めます。
菜穂子がスリリングに二郎の帽子をキャッチしてくれた時、二郎と菜穂子には繋がりができますが
その後すぐ、怪我をしたお絹のために菜穂子の家へ人を呼びに向かう途中、
二郎の帽子は風で飛ばされてしまいます。一度はキャッチしてくれた帽子だったのに。
せっかく立ったフラグが折れた瞬間です。
これは二人がまだ一緒になる時じゃない、って事だと思います。
…という事は、お絹にまだチャンスがあるのか、
それとも菜穂子がもう一回、改めて帽子をキャッチしてくれるのか。
なんてわくわく見守ってたら、軽井沢で菜穂子と再会した時
二郎が菜穂子の帽子をキャッチして、二郎の頭に乗せました。
つまり二郎の居場所が菜穂子の所なのではなく、菜穂子の居場所が二郎の所だったんです。
ここはシビれどころでした。菜穂子の帽子をキャッチするに至る前に、二人の間を取り持ったのが
紙飛行機なのもいい。
「風立ちぬ」の意味は、もうシンプルに「生きろ」だと私は解釈してます。
「風が立つ。生きようと試みなければならない。」
カプローニさんは常々「風はまだ吹いているか?」と尋ねます。
風が吹くということは、時間が止まってないということ。
つまり生きてる、ということ。
最後の夢の中、菜穂子が待っていてくれても、二郎は帽子を持って行きません。
奥さんが死ぬ事をわかっていて一緒になって、
自分の作った飛行機がたくさん人を殺す事になるのを知ってて作って、
そりゃ死にたくなる事もあるだろうと思います。
でも二郎はまだ死にません。
帽子を持って行きませんでしたから。
というのが私の帽子の解釈なんですが…
他にも意味があるのかもしれません。なにせ帽子は、絶対に何か意図を持った描かれ方をしています。
もう一回見る方はぜひぜひ帽子に注目して、その意味を考えて、
これとは違う解釈が思いついたら教えていただけると私が楽しいです。
ーーーーーーーーーーーーーー
ちなみにたきさんのブログ『たき日記』には、これまたもっかい観たくなる『崖の上のポニョ』評ものってます。ともするといろんな見方ができるポニョだけど、たきさんの<フジモト/トキさん親子>説でみるとこれまたスッキリ。
ぜひ読んでみてください。
(うめ/小沢高広)
8人の書き手がそれぞれの視点で綴った〈エキレビ!で「風立ちぬ」〉リンク集はコチラ
ハードな締切をクリアした後の仕事場で「風立ちぬ」をネタバレを気にせず話せるなんて、ほんと至福のとき。妙にBLっぽかったよね、脚立のシーンとか駿の趣味とは思えない。きっと鈴木Pのゴリ押しだよ、なんて根拠レスな妄想ゴシップ話も楽しい。
そんななか、ウチのエーススタッフ・たきさんがふと言った。
「帽子…妙に気になりませんでした?」
うん、なったなった。
何とも飛ばされそうになってたねー、もっとちゃんと押さえないととか思ってた。
まあ結局、飛ばされたおかげであの二人が出会うんだけど。
「あのー。仮説なんですけど…、作中で帽子ってその人の『いるべき場所』をあらわしていたように思うんです」
ど、どゆことー!?
ここから始まるたきさんの<帽子=いるべき場所>説が、あんまりにもおもしろかった。
パズルがするすると完成していくような快感。
この気持ちよさをお裾分けしたくて、たきさんにお願いして文章にまとめてもらいました。
読むともっかい観たくなるよー。
ーーーーーーーーーーーーーー
風立ちぬ、みてきました。面白かったです。
二郎が飛行機の事を考えてる時の没頭感、わくわく感は
なにかモノを作るのが好きな人なら「わかるわかる!」ってなる楽しさ。
見た後すぐ誰かに話したくなるような事はいっぱいあるんですが
中でも帽子の使い方が面白かったので、ちょっとそれについて書いてみます。
この映画で、帽子は三人目の主役と言ってもいいくらい目につきます。
ずっと風にはためいてるので、飛ばされないかハラハラしますし
飛ばされると、見てる私は「あっ!帽子!」ってなって気になります。
ダメ押しで、セリフでもちょくちょく触れてきます。
二郎と菜穂子が初めて会った列車の中で、お絹が
「お嬢様、帽子が飛びますよ」
二郎が初めて出社したとき、上司の黒川さんが二郎をデスクに案内しながら
「帽子はここ」
これは私の解釈ですが、帽子はその人の「いるべき場所」を示してるんだと思います。
カプローニさんと会ってる夢の中に、二郎は帽子を持っていきません。
持っていってもすぐ飛ばされて、二郎の頭にありません。
二郎がいるべきは現実の世界で、夢の世界(死後の世界と繋がってる)ではないから。
黒川さんが帽子の場所を指定したのは、ここが二郎の席で、これからずっと居る場所だから。
二郎は言われた後すぐ、指定の場所に帽子を掛け、デスクに座って仕事を始めます。
菜穂子がスリリングに二郎の帽子をキャッチしてくれた時、二郎と菜穂子には繋がりができますが
その後すぐ、怪我をしたお絹のために菜穂子の家へ人を呼びに向かう途中、
二郎の帽子は風で飛ばされてしまいます。一度はキャッチしてくれた帽子だったのに。
せっかく立ったフラグが折れた瞬間です。
これは二人がまだ一緒になる時じゃない、って事だと思います。
…という事は、お絹にまだチャンスがあるのか、
それとも菜穂子がもう一回、改めて帽子をキャッチしてくれるのか。
なんてわくわく見守ってたら、軽井沢で菜穂子と再会した時
二郎が菜穂子の帽子をキャッチして、二郎の頭に乗せました。
つまり二郎の居場所が菜穂子の所なのではなく、菜穂子の居場所が二郎の所だったんです。
ここはシビれどころでした。菜穂子の帽子をキャッチするに至る前に、二人の間を取り持ったのが
紙飛行機なのもいい。
「風立ちぬ」の意味は、もうシンプルに「生きろ」だと私は解釈してます。
「風が立つ。生きようと試みなければならない。」
カプローニさんは常々「風はまだ吹いているか?」と尋ねます。
風が吹くということは、時間が止まってないということ。
つまり生きてる、ということ。
最後の夢の中、菜穂子が待っていてくれても、二郎は帽子を持って行きません。
奥さんが死ぬ事をわかっていて一緒になって、
自分の作った飛行機がたくさん人を殺す事になるのを知ってて作って、
そりゃ死にたくなる事もあるだろうと思います。
でも二郎はまだ死にません。
帽子を持って行きませんでしたから。
というのが私の帽子の解釈なんですが…
他にも意味があるのかもしれません。なにせ帽子は、絶対に何か意図を持った描かれ方をしています。
もう一回見る方はぜひぜひ帽子に注目して、その意味を考えて、
これとは違う解釈が思いついたら教えていただけると私が楽しいです。
ーーーーーーーーーーーーーー
ちなみにたきさんのブログ『たき日記』には、これまたもっかい観たくなる『崖の上のポニョ』評ものってます。ともするといろんな見方ができるポニョだけど、たきさんの<フジモト/トキさん親子>説でみるとこれまたスッキリ。
ぜひ読んでみてください。
(うめ/小沢高広)
8人の書き手がそれぞれの視点で綴った〈エキレビ!で「風立ちぬ」〉リンク集はコチラ