今夜金曜ロードSHOW「平成狸合戦ぽんぽこ」だが、東京でタヌキに会えるのはどこ?
今夜の日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」にて、高畑勲監督のアニメ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」が放送される。1994年に公開されたこの映画では、東京西部の多摩丘陵を舞台に、ニュータウン開発ですみかを奪われたタヌキたちが結集して、人間たちに復讐を画策するさまがコミカルに描かれている。
声優陣もすごい。ナレーションの古今亭志ん朝をはじめ、柳家小さんや桂文枝(いずれも先代)、桂米朝・清川虹子・三木のり平・芦屋雁之助など、大物落語家・俳優たちが多数出演している。なお映画公開の翌年には小さんが、翌々年には米朝が人間国宝となった。東西を代表する名人が共演した映画というのは、ひょっとするとこの作品だけではないだろうか。神谷明らベテラン声優と共演しても、けっして遜色のない彼らの演技は、この映画のみどころの一つといえる。
「ぽんぽこ」で注目したいこととしてはもう一つ、日本美術へのオマージュがあげられる。タヌキたちが人間たちを怖がらせようと、ニュータウン内で妖怪に化けて大暴れする場面では、室町時代後期の絵巻物「百鬼夜行絵巻」や、幕末の浮世絵師・歌川国芳の作「相馬の古内裏」など、日本美術の名作からさまざまなイメージが引用されている。このあたりの手法は、今秋公開予定の高畑の久々の監督作品「かぐや姫の物語」でもおそらく引き継がれるのではないだろうか。
さて、「ぽんぽこ」によって、東京にもタヌキがいるという事実を知った人は多いことだろう。ただ、同時に「東京でも多摩のような郊外にしかいない」というイメージも与えてしまったかもしれない。実際にはそうではなく、最近では、皇居にタヌキが住んでいることがわりと知られるようになったし(皇居内のタヌキについては、天皇陛下が国立科学博物館の研究者らとともに調査して論文を発表していたりする)、23区内のほかの地域でもタヌキの目撃例があいついでいる。私自身、中野区大和町に住んでいた頃に一度だけ、家の近所でタヌキを見かけたことがある。
それは2008年11月27日の未明、午前3時半頃のこと。コンビニに行こうと早稲田通りを東へ歩いていると、前方で、何やら動物が車道から歩道へと渡っていくのが見えた。最初、ネコかなと思ったのだが、どんどん近づいていくとあきらかにネコより大きい。さらに接近して、それがタヌキであることに気づいた。街灯で夜目にもはっきり見えたこと、また私が中学生だった20年ほど前、愛知の実家の庭へ一時期毎日のようにタヌキが現れたことがあり、よく見ていたので間違いない。
で、このとき、先に私が見つけたタヌキを待つように、建物と建物の隙間にもう1頭、タヌキがいた。それに気づいて、私は思わず「タヌキが2頭も!」と声をあげてしまう(あとで調べたところ、タヌキはたいてい、つがいか5〜6頭で活動しているらしい)。道から例の隙間に入るには柵があり、相手を待たせているタヌキは少しもたつきながらも何とかそれをくぐり抜け、そのまま2頭一緒に暗闇の向こうに消えていった。写真に収めたかったのだが、あいにくカメラも携帯電話も持っておらず、かなわなかったのが残念だ。
その後ネットであれこれ調べていたら、「東京タヌキ探検隊!」というサイトを発見。その管理人である宮本拓海やNPO都市動物研究会などによる共著『タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存ー』も入手した。この本によると、21世紀に入るぐらいから、東京23区内でもタヌキの目撃情報が急増したという。
都市動物研究会では2007年に、2001年からの目撃情報をデータベース化し、それをもとに23区内のタヌキの分布図を作成した。これを詳細に分析したところ、タヌキの分布は、東京西部の武蔵野台地に偏っている(いわゆる下町の墨田区や江東区などでの目撃例は少ない)ことが判明、なかでもとくに分布の多い領域が7つほど浮びあがってきた。私がタヌキを見かけたのも、まさにその一つ「西武新宿線・西武池袋線沿いに広がる『西武線グループ』」に属する(私の目撃地点のもう少し北には西武新宿線の野方駅がある)。
意外にも、鉄道線路に沿ってタヌキが暮らしているケースも目立つらしい。線路には人はほとんど入ってこないし、高架線でなければ雑草も生え、餌となる昆虫もいる(ちなみにタヌキは雑食で、昆虫のほかミミズ、あるいは果物なども好んで食す)。また、電車は深夜には止まっているので、夜行性であるタヌキには好都合だ。移動するにも線路づたいなら、自動車に轢かれることもない。じつは線路近くは、彼らにとって格好のすみかなのだ。
東京都心には、タヌキ=狸の字の入った「麻布狸穴(あざぶまみあな)町」といった地名があるように、近代都市になるずっと前からタヌキが生息していた。その後、生息環境は激変したとはいえ、現在にいたるまで東京のタヌキが生き延び続けていることには、やはり驚かざるをえない。その理由としては、タヌキが雑食で、食べられるものなら動物でも植物でも何でもいけるということが一つ考えられる。なかには人間の残飯を漁るものもいるようだ。
これとは対照的なのがキツネだ。タヌキと同じイヌ科で、体格も同じぐらいのキツネ(アカギツネ)も明治初期ぐらいまでは東京都心に生息していた。それがいまでは東京からいなくなってしまった(「ぽんぽこ」でも、東京にいたキツネのうち、人間に化けられないものは絶滅したという設定になっていた)。
その原因としては、キツネもタヌキと同じ雑食ながら、やや動物食に偏っていること、また行動範囲がタヌキよりも広いということが考えられる。タヌキのそれがたいてい1キロメートル四方で収まるのに対し、キツネの場合5〜12平方キロメートル、荒地では20平方キロメートル以上になるという。道路や宅地開発で行動圏が分断されれば、キツネは生きていけないというわけだ。
もちろん、タヌキが今後も生き残るには最低限の緑は必要だろう。現に、かつて20年ほど前にタヌキが現れた私の実家の周辺でも、その頃を境に宅地開発で大半の雑木林が失われ、彼らの姿を見かけることはすっかりなくなった。
東京23区のタヌキも、調査から生息数は約1000頭と推定されているものの(2008年現在)、けっして安泰ではない。なぜなら、タヌキの生息地はなおも減り続けており、緑地が増えたとか、タヌキの生息条件が急激に好転したような状況はまったくないからだ。それでもタヌキが急増したように錯覚してしまうのは、目撃情報がテレビや新聞で報じられたり、ネットで拡散されることが増えたからにすぎないようである。
そう考えると、いくら東京都心でタヌキの目撃例が増えようと、根本的に環境が変わらないかぎり、「平成狸合戦ぽんぽこ」のメッセージはいまだに有効といえる。
「ぽんぽこ」の物語もまた、それなりに自然に配慮した町づくりが行なわれるようになったとはいえ、まだまだ十分とはいえない環境のなか、タヌキたちが人間のゴミを漁ったりしぶとく生きるさまを描いたところで締めくくられていた。それを見ていると、「このしたたかないきものは、まだ東京にいるのです。あきらかに」とでも言いたくなる。
……って、それ、「ぽんぽこ」やない、別のジブリ映画のキャッチフレーズのもじりや。
(近藤正高)
声優陣もすごい。ナレーションの古今亭志ん朝をはじめ、柳家小さんや桂文枝(いずれも先代)、桂米朝・清川虹子・三木のり平・芦屋雁之助など、大物落語家・俳優たちが多数出演している。なお映画公開の翌年には小さんが、翌々年には米朝が人間国宝となった。東西を代表する名人が共演した映画というのは、ひょっとするとこの作品だけではないだろうか。神谷明らベテラン声優と共演しても、けっして遜色のない彼らの演技は、この映画のみどころの一つといえる。
さて、「ぽんぽこ」によって、東京にもタヌキがいるという事実を知った人は多いことだろう。ただ、同時に「東京でも多摩のような郊外にしかいない」というイメージも与えてしまったかもしれない。実際にはそうではなく、最近では、皇居にタヌキが住んでいることがわりと知られるようになったし(皇居内のタヌキについては、天皇陛下が国立科学博物館の研究者らとともに調査して論文を発表していたりする)、23区内のほかの地域でもタヌキの目撃例があいついでいる。私自身、中野区大和町に住んでいた頃に一度だけ、家の近所でタヌキを見かけたことがある。
それは2008年11月27日の未明、午前3時半頃のこと。コンビニに行こうと早稲田通りを東へ歩いていると、前方で、何やら動物が車道から歩道へと渡っていくのが見えた。最初、ネコかなと思ったのだが、どんどん近づいていくとあきらかにネコより大きい。さらに接近して、それがタヌキであることに気づいた。街灯で夜目にもはっきり見えたこと、また私が中学生だった20年ほど前、愛知の実家の庭へ一時期毎日のようにタヌキが現れたことがあり、よく見ていたので間違いない。
で、このとき、先に私が見つけたタヌキを待つように、建物と建物の隙間にもう1頭、タヌキがいた。それに気づいて、私は思わず「タヌキが2頭も!」と声をあげてしまう(あとで調べたところ、タヌキはたいてい、つがいか5〜6頭で活動しているらしい)。道から例の隙間に入るには柵があり、相手を待たせているタヌキは少しもたつきながらも何とかそれをくぐり抜け、そのまま2頭一緒に暗闇の向こうに消えていった。写真に収めたかったのだが、あいにくカメラも携帯電話も持っておらず、かなわなかったのが残念だ。
その後ネットであれこれ調べていたら、「東京タヌキ探検隊!」というサイトを発見。その管理人である宮本拓海やNPO都市動物研究会などによる共著『タヌキたちのびっくり東京生活 都市と野生動物の新しい共存ー』も入手した。この本によると、21世紀に入るぐらいから、東京23区内でもタヌキの目撃情報が急増したという。
都市動物研究会では2007年に、2001年からの目撃情報をデータベース化し、それをもとに23区内のタヌキの分布図を作成した。これを詳細に分析したところ、タヌキの分布は、東京西部の武蔵野台地に偏っている(いわゆる下町の墨田区や江東区などでの目撃例は少ない)ことが判明、なかでもとくに分布の多い領域が7つほど浮びあがってきた。私がタヌキを見かけたのも、まさにその一つ「西武新宿線・西武池袋線沿いに広がる『西武線グループ』」に属する(私の目撃地点のもう少し北には西武新宿線の野方駅がある)。
意外にも、鉄道線路に沿ってタヌキが暮らしているケースも目立つらしい。線路には人はほとんど入ってこないし、高架線でなければ雑草も生え、餌となる昆虫もいる(ちなみにタヌキは雑食で、昆虫のほかミミズ、あるいは果物なども好んで食す)。また、電車は深夜には止まっているので、夜行性であるタヌキには好都合だ。移動するにも線路づたいなら、自動車に轢かれることもない。じつは線路近くは、彼らにとって格好のすみかなのだ。
東京都心には、タヌキ=狸の字の入った「麻布狸穴(あざぶまみあな)町」といった地名があるように、近代都市になるずっと前からタヌキが生息していた。その後、生息環境は激変したとはいえ、現在にいたるまで東京のタヌキが生き延び続けていることには、やはり驚かざるをえない。その理由としては、タヌキが雑食で、食べられるものなら動物でも植物でも何でもいけるということが一つ考えられる。なかには人間の残飯を漁るものもいるようだ。
これとは対照的なのがキツネだ。タヌキと同じイヌ科で、体格も同じぐらいのキツネ(アカギツネ)も明治初期ぐらいまでは東京都心に生息していた。それがいまでは東京からいなくなってしまった(「ぽんぽこ」でも、東京にいたキツネのうち、人間に化けられないものは絶滅したという設定になっていた)。
その原因としては、キツネもタヌキと同じ雑食ながら、やや動物食に偏っていること、また行動範囲がタヌキよりも広いということが考えられる。タヌキのそれがたいてい1キロメートル四方で収まるのに対し、キツネの場合5〜12平方キロメートル、荒地では20平方キロメートル以上になるという。道路や宅地開発で行動圏が分断されれば、キツネは生きていけないというわけだ。
もちろん、タヌキが今後も生き残るには最低限の緑は必要だろう。現に、かつて20年ほど前にタヌキが現れた私の実家の周辺でも、その頃を境に宅地開発で大半の雑木林が失われ、彼らの姿を見かけることはすっかりなくなった。
東京23区のタヌキも、調査から生息数は約1000頭と推定されているものの(2008年現在)、けっして安泰ではない。なぜなら、タヌキの生息地はなおも減り続けており、緑地が増えたとか、タヌキの生息条件が急激に好転したような状況はまったくないからだ。それでもタヌキが急増したように錯覚してしまうのは、目撃情報がテレビや新聞で報じられたり、ネットで拡散されることが増えたからにすぎないようである。
そう考えると、いくら東京都心でタヌキの目撃例が増えようと、根本的に環境が変わらないかぎり、「平成狸合戦ぽんぽこ」のメッセージはいまだに有効といえる。
「ぽんぽこ」の物語もまた、それなりに自然に配慮した町づくりが行なわれるようになったとはいえ、まだまだ十分とはいえない環境のなか、タヌキたちが人間のゴミを漁ったりしぶとく生きるさまを描いたところで締めくくられていた。それを見ていると、「このしたたかないきものは、まだ東京にいるのです。あきらかに」とでも言いたくなる。
……って、それ、「ぽんぽこ」やない、別のジブリ映画のキャッチフレーズのもじりや。
(近藤正高)