/空に浮かぶ風船は、その紐を掴まないかぎり、キミの夢にはならない。前向きなだけでは、前には進まない。古い自分自身を踏みつけてこそ、半歩前に踏み出すことができる。/

 こんな自分ではダメだ、と思うとき、ダメだと思われている古い自分に対して、それをダメだと思っている、もう一人の新しい自分がいる。その、古い自分をダメだと思う新しい自分こそが、現実のダメな自分を半歩前へと進める足がかりだ。

 人間は、前にしか眼がついていない。だから、先のことばかり、調子よく語る。夢はあるか、と聞かれると、あれこれと雄弁に語る。だが、空高くどこかへ飛び去っていく風船を指さして、あれは自分のものだ、と言い張ってみても、むなしくはないか。なんとか飛び上がって、せめてそのヒモの端だけでも掴み取ってこそ、自分のものになるのじゃないのか。

 そうでなくても、前しか見ないやつは、自分より前を行く人々のことばかりを気にしている。彼らをうらやみ、アラを探し、ああだこうだと後から言い立てる。しかし、そんなことをしてもムダだ。連中も、自分たちより前しか見ていない。後のやつの言うことなど、聞く耳は持ち合わせていない。なんにしても、キミが何を言おうと、相手にはもちろん、キミ自身とはなんの関係も無い。

 キルケゴールやニーチェ、ハイデッガーなどの実存主義者は言う、生きる、ということは、ただここにいる、ということではない。いまのこの自分自身と向き合い、積極的に関わり合っていくことだ、と。自分自身とは直接の関係が無い物事にばかり眼を向け、肝心の自分自身のことを留守にしているようでは、それは自分の人生の傍観者だ。

続きはこちら