いま魔法の杖があって、おまえさんは、“王国一賢い男”にもなれるし、“王国一ハンサムな男”にもなれる。さぁ、どちらを選ぶかね?

悪神のささやき───

  「ひとつ訊こう。いま魔法の杖があって、おまえさんは、
  “王国一賢い男”にもなれるし、
  “王国一ハンサムな男”にもなれる。
  さぁ、どちらを選ぶかね?

  ふふん、わたしなら、どっちを選ぶかだって?
  そりゃ当然だろう。“王国一ハンサムな男”さ。

  この世には、知性を理解する頭を持った人間よりも、
  目を持っている人間の方がはるかに多いからね」。

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 この悪神のささやきは、『仕事と幸福、そして人生について』(ジョシュア・ハルバースタム著、桜田直美訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)のなかで紹介されているウィリアム・ハズリット(19世紀英国の批評家)の次の言葉を焼き直したものである。───「王国一賢い男になるよりも、王国一ハンサムな男になるほうが魅力的だ。なぜなら、知性を理解する洞察力を持っている人間よりも、目を持っている人間の方がはるかに多いからである」。

 道を究めれば究めるほど、そこは細く深い世界になっていく。必然、その世界を評価できる人間は少なくなる。道を究めようとする者の最大の誘惑は、「多くの人間に認められたい」という欲求かもしれない。しかし、そうした欲求を満たしたいなら、道を究めるよりほかの術をとったほうがいい。「大衆から人気を得る」というのは、また別のところの才能なのだ。

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 江戸時代の文人・大田南畝(おおたなんぼ)は、『浮世絵類考』の中で、浮世絵師・東洲斎写楽についてこんな記述をしている。

  「あまりに真を画かんとて あらぬさまにかきなせしかば
  長く世に行われず 一両年にして止む」


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