私たちは、日々遭遇する出来事や事実、体験によって自己がつくられていくと思っている。しかし実際自己をつくっているのは、出来事や事実をどうとらえ、どう心を構え、どう体験していくかを根っこで決めている「観念」である。降りかかってくる出来事を100%コントロールすることはできないが、観念をコントロールすることは可能である。

 最初に、古代ギリシャ・ストア派の哲学者エピクテトスの言葉です───
 「人はものごとをではなく、それをどう見るかに思いわずらうのである」。

 また、フランスの哲学家・モンテーニュは『エセー』でこう言っています───
 「事柄に怒ってはならぬ。事柄はわれわれがいくら怒っても意に介しない」。

◆「その出来事が」ではなく「観念が」感情を引き起こす
 この2つの言葉を理解するために、卑近な例を出しましょう。
 職場の同僚2人が昼食のために定食屋に入りました。2人は同じメニューを注文して待っていたところ、店員が間違った品を持ってきました。そのとき一人は、「オーダーと違うじゃないか。いますぐ作りなおして持ってきてくれ」と、厳しく当たる対応をしました。一方、別の一人は「まぁ、昼食の混雑時だし間違いも時にはあるさ。店員がまだ慣れてないのかもしれないし。時間もないからそのメニューでいいよ」と、穏やかな対応をしました。

 このように同じ出来事に対し、結果として2人の持つ感情、そして対応がまったく異なったのはなぜでしょう。───それは、各々が持つ観念(ものごとのとらえ方、見識、信念)が異なっているからといえます。


続きはこちら