五大商社の一角である伊藤忠。アニメ・IP市場の開拓にいよいよ本気を出している(撮影:梅谷秀司)

日本の新たな基幹産業に、あの総合商社が熱を上げている。

伊藤忠商事は10月21日、人気キャラクター「おぱんちゅうさぎ」を国内・韓国を除くアジア地域で独占的に商品化する権利を取得した。アジアにおけるグッズ化などの需要を取り込み、権利収入の拡大を狙う。

「おぱんちゅうさぎ」は、クリエーターの可哀想に!氏が手がけるSNS発のキャラクターだ。けなげに生きるもなかなか報われない、というストーリー設定と、今にも泣き出しそうなかわいらしいデザインが若者を中心に支持されている。2024年、マイナビ「マーケティング・広報ラボ」が調査した10代女子のキャラクター人気ランキングでは、「ちいかわ」と同率首位に輝いた。

巨大市場で機会をうかがってきた

インドの調査会社、Data Bridge Market Researchによれば、2029年までにアジア・太平洋地域のアニメ・キャラクターIP(知的財産)市場は年平均6.1%で成長し、1474億ドル(約21兆円)への拡大が見込まれる。


人気キャラクターの「おぱんちゅうさぎ」。アジアでのグッズ展開などを進め、2026年に流通総額500億円を目指す(写真:伊藤忠商事

伊藤忠は、キャラクターとのコラボを希望する雑貨や食品メーカーなどからの許諾料で稼ぐ、商品化ライセンスのビジネスで機会をうかがってきた。

そんな中、「おぱんちゅうさぎ」の権利を運用するポジションに空きが出たことを察知し、クリエーターサイドへアプローチ。ほかの企業からも関心は寄せられていたが、中国市場への知見の深さなど、グローバル展開に向けた強みを訴求し、その座を勝ち取った。

伊藤忠の動きはこれだけにとどまらない。

10月5日、計8巻で累計部数350万部を突破し、数々の漫画賞を受賞した人気漫画「チ。 ―地球の運動について―」のアニメ放送・配信が始まった。今クールにおいて注目の1作となる本作品、実はその製作委員会で取りまとめ役の「幹事会社」を務めるスカパー・ピクチャーズは、スカパーJSATが4月に設立し、伊藤忠も出資者に名を連ねたばかりの合弁会社だ。


「チ。─地球の運動について─」は、天動説が正しいとされる時代に、迫害されながらも地動説を探求する人々の物語だ(©魚豊/小学館/チ。 ―地球の運動について―製作委員会
原作/魚豊「チ。 ―地球の運動について―」(小学館「ビックスピリッツコミックス」刊))

ネットフリックスやアマゾンといった動画配信サービスのプレーヤーに需要を食われてきたスカパー。ここ数年は事業改革に向けて、スカパー以外のプラットフォームでも視聴され、世界で戦える強力なアニメ作品の製作を模索してきた。

合弁会社の設立前に「チ。」のアニメ化の許諾こそ勝ち取れたものの、ヒット見込みが高い原作の多くはソニーグループ傘下のアニプレックスや東宝に許諾が集中する状況が続き、スカパー単独での挑戦に限界を感じつつあった。

そんな中、海外の商流に強みを持つ伊藤忠がIPビジネスに注力し始めたことを知り、スカパー側から協業を打診。スカパーJSATが約8割、伊藤忠が約2割と出資比率ではマイノリティーだが、アニメ製作への関心も大きかった伊藤忠にとっては渡りに船となった。

エンタメ・IPビジネスで苦い過去

近年、アニメ・IPビジネスの活況は注目を集めており、ゲーム会社をはじめとしたエンタメ・メディア業界内での事業強化や参入の動きは頻発している。では、伊藤忠のような畑違いのプレーヤーでここまで入れ込むケースがあるかというと、一転して珍しい事例だろう。

実は伊藤忠、この領域でまったくの門外漢というわけでもない。1998年に「君の名は。」などで知られるアニメ会社、コミックス・ウェーブ・フィルムの前身となった企業を合弁で設立し、「仮面ライダー」や「サイボーグ009」で知られる石森プロのライツビジネスも担ってきた。

しかし、2000年代初頭に積極化した映画の製作委員会への出資については、映像を世界展開するというハードルの高さから、投資回収のリスクを鑑みて中断するなど、エンタメ・IPビジネスでスケールしきれなかった苦い過去を持つ。

それから時は流れ、2010年代後半には動画配信サービスの世界的な普及によって、エンタメ・IPビジネスに強力な追い風が吹き始めた。これを受けて、2020年4月にはVTuber企業のANYCOLORに出資するなど、伊藤忠でもIP事業が再加速する。

2021年、満を持して伊藤忠は現地企業などと合弁で、香港にアニメやキャラクターのライセンス代理店・Rights & Brands Asiaを設立(伊藤忠は38.5%出資)。中国市場における「ムーミン」の独占展開を開始し、小売りや飲食、観光業など100件程度の顧客を開拓した。


中国では飲食店やホテルなどとムーミンのコラボ企画を積極展開する(画像:伊藤忠商事

キャラクターコラボの定番である飲食店での限定メニュー開発から、ホテル客室内のアメニティなどをムーミンでジャックする企画、中国という地域性に沿わせたコラボ麻雀牌まで、その事例は多岐にわたる。現在はムーミンで数十億円規模の流通総額を誇り、2024年5月には上海支店を開設すると同時に、タイやシンガポールなど東南アジア10カ国での独占ライセンス権も加わった。

ムーミンに続く看板IPへ

「おぱんちゅうさぎ」は、そんなムーミンに続く看板IPであり、同様にRights & Brands Asiaが展開を担う。伊藤忠の情報・金融カンパニーでこの事業を担当する稲留光・フロンティアビジネス第三課課長代行は「おぱんちゅうさぎの商品化権獲得を発表してから、海外展開している日本企業や現地企業からの問い合わせが殺到している」と明かす。2026年には、「おぱんちゅうさぎ」の流通総額を500億円まで引き上げる計画だ。

一方、約2割出資するスカパー・ピクチャーズは、製作委員会からの分配収入のみならず、アニメビジネスのドル箱である海外映像販売・商品化窓口などの獲得を念頭に運営。このスキームで臨んだ「チ。」は動画配信サービスの人気ランキングでも上位につけており、ほか3作品のアニメ製作着工も公表されている。

「伊藤忠はコンテンツビジネスにおいて、自分たちだけでやるとうまくいかなかった。もう一回やるならどういう座組がよいかずっと考えてきた中で、自分たちではできない(プロデュース面の)ことができるスカパーと一緒にやっていくのがよいと思った。すでに、日本のアニメを扱いたい海外の動画配信プラットフォームなどから、こちらも多くの問い合わせが入っている」(伊藤忠の稲留課長代行)

スカパー側で「グラゼニ」などのアニメ作品をプロデュースしてきた、スカパー・ピクチャーズの長内敦社長も「総合商社の海外ネットワークを強みにできれば、(アニメプロデュースの競合他社と)面白い競争ができるのではないか」と意気込む。実際、「チ。」の海外商品化ビジネスについても、Rights & Brands Asiaが支援に向けて検討を進めている。

スカパー・ピクチャーズは今後5年で約10作のアニメをプロデュースする算段で、こちらも2029年の流通総額500億円が目標だ。

1000億円実現へシナジー深化がカギ

ライセンスビジネスとスカパー・ピクチャーズの目標値を合算すれば、伊藤忠がエンタメ・IPビジネスで狙う事業規模は1000億円に上る。この青写真を実現するうえで重要となるのが、Rights & Brands Asiaとスカパー・ピクチャーズのシナジーの深化だ。

スカパー・ピクチャーズにおいて、IPコラボの需要が溢れかえるような作品をプロデュースできれば、Rights & Brands Asiaはコラボ案件の運用・企画力を対外的にアピールできる。IPホルダーからの期待値が高まれば、新たな人気キャラクターの商品化権獲得につながるだけでなく、Rights & Brands Asiaと密接な関係のスカパー・ピクチャーズにヒットの見込みが高い原作も集まりやすくなるわけだ。

ただ、スカパー・ピクチャーズのプロデュースした「チ。」は作品性を高く評価される一方、出版大手の漫画編集者からは「キャラクターグッズがよく売れるタイプの作品ではないだろう」という声も上がる。

現状の製作パイプラインには「商品化の需要が強い作品ばかりが控えているわけではない」(長内社長)ため、前述のシナジーが最大化されるフェーズとは言いがたい。

「商品化を見据えた作品も検討していく」という長内社長。「葬送のフリーレン」など数々の人気アニメを手がけたアニメスタジオ・マッドハウスをアサインできた「チ。」のように、まずは有力なアニメスタジオの制作ラインを押さえつつ、作品性の高い原作ものアニメやオリジナルアニメを投下していく。同時に、Rights & Brands Asiaが海外で独自性のあるコラボ企画を積み重ねることで、出版社などのIPホルダーに運用・企画力を示す、といった我慢の時期が続くだろう。


10月28日までの約1カ月間、傘下のファミリーマートの店内で「チ。」の宣伝動画まで流した(画像:伊藤忠商事

エンタメ・IPビジネスの成長へ、伊藤忠はグループのリソースを惜しみなく生かす方針だ。

「チ。」の放送・配信が始まった10月には、傘下のファミリーマートの店舗サイネージでメインキャラクター役を務める人気声優・津田健次郎氏のインタビュー動画を放映した。サイネージが設置されている約1万の店舗網で宣伝し、作品の稼働を支援することはもちろん、広告収入拡大を狙うサイネージの視認率も上げてしまおうという伊藤忠ならではの取り組みだ。

総合商社への懐疑論を払拭できるか

伊藤忠がこれだけ本気なのだから、ほかの総合商社もこのビジネスに目を付けないはずがない。丸紅は6月、小学館と日本のマンガ・アニメコンテンツのグッズ開発・販売や海外流通網の構築などを担う合弁会社・MAG.NETを設立した。

同社は2022年に講談社と集英社、小学館を束ね、AI(人工知能)やICタグなどを活用した出版流通改革の合弁企業を設立。ある丸紅関係者は「裏側の本音として、世界に向けたキャラビジネスへとつなげたい。これまで出版業界との付き合いがなかったので、まずはその課題解決から始めた」と明かしていたが、いよいよ動きが本格化してきた。

ただ、エンタメ業界内では、「ベイブレード」で実績を上げたアニメ会社を2015年にアサツー ディ・ケイ(現ADKマーケティング・ソリューションズ)へと売却した三菱商事などを含め、総合商社は"アニメビジネスから一度逃げたプレーヤー"という烙印を押されている向きもある。その本気度に対する懐疑論はいまだ根強い。

伊藤忠はエンタメ・IPビジネスで稼ぎを積み上げ、ソニーグループや東宝、バンダイナムコグループなどと比肩するプレーヤーになれるのか。追随する同業との違いを見せつけ、エンタメ業界からの信頼を勝ち取ることも、成功に向けたカギを握りそうだ。

(森田 宗一郎 : 東洋経済 記者)