日没後の表彰式で優勝トロフィーを手に笑顔を見せる笑顔を見せる竹田麗央 (カメラ・馬場 秀則)

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◆米女子プロゴルフツアー TOTOジャパンクラシック 最終日(3日、滋賀・瀬田GC=6616ヤード、パー72)

 3打差の4位から出た竹田麗央(りお、21)=ヤマエグループHD=がマリーナ・アレックス(米国)とのプレーオフ(PO)を6ホール目で制し、来季から2年間の米ツアー出場資格を獲得した。1イーグル、5バーディー、2ボギーの67で回り、通算15アンダーでトップに並ぶと、約2時間にわたって日没すぎまで繰り広げられた死闘をバーディーで決した。今大会は日米両ツアーを兼ねており、日本は今季8勝目。初の年間女王に王手をかけた。

 日没予定時刻を3分すぎた、午後5時すぎ。竹田が大歓声の中、珍しく両手を突き上げた。「やっと終わった」。1・2メートルのバーディーパットを沈め、約2時間にわたる6ホールのPOに決着。米ツアー切符をもぎ取った。「長くなってしまってすみません。最後に優勝できて、すごくうれしい」とはにかんだ。勝負が決まらない場合は4日への“延長”が決まっていたホールで、死闘に終止符を打った。

 8、9番の連続ボギーで後退も、16番パー5でよみがえった。243ヤードの第2打を3ウッドでピン右手前3メートルに運び、イーグル。ガッツポーズが飛び出した。「ドライバーとスプーン(3ウッド)がよかった。そのおかげで優勝できた」。大会の平均飛距離は270・25ヤードで全体トップ。パワーを生かした攻めで後半に5つ伸ばし、首位を捉えた。

 価値の大きな1勝だった。12月の米女子ツアー最終予選会に出場登録していたが、免除になった。「受けなくてよくなったことが一番うれしい。来年から米国でプレーできると思うと楽しみで、すごくワクワクしている。海外メジャーでも優勝したい」。今年から優勝者が得られるシードが翌1年から2年に延びたことも、うれしい変更だ。

 悪天候で3日目が中止になった2日は、練習後に仲良しの小祝さくら(26)とゲームセンターへ。「あまり試合のことを考えずに、リフレッシュをしていた」。プロ野球チップスのクレーンゲームに7000円を投じ、14枚のカードをゲットした。オンとオフの切り替えのうまさも竹田の強みになっている。

 今大会は日米両ツアーを兼ね、国内では初勝利から一気に歴代2位の年間8勝を積み重ねた。次戦の伊藤園レディス(8〜10日、千葉・グレートアイランドC)で、年間女王が決まる可能性も高まった。「残り3試合、気を抜くことなく最後まで頑張りたい」。大きく飛躍を遂げたシーズン。初の女王戴冠を置き土産に、海を渡る。(高木 恵)

◆竹田が次週の伊藤園レディスで年間女王になる条件 〈1〉優勝すれば200ポイントを加算。山下が単独2位に入っても、851・52ポイント差がつき、山下が2試合で優勝しても700ポイントしか獲得できないため、逆転が不可能に。〈2〉山下が単独2位の場合は竹田が単独7位以上。〈3〉山下が単独3位の場合、竹田が単独20位以上。〈4〉山下が単独4位以下の場合は701・52ポイント以上差がつき、竹田の順位にかかわらず女王が決まる。

◆竹田に聞く

 ―プレーオフで勝ち切った。

 「(ツアーで)プレーオフ自体初めてだったので、1ホール目から緊張していた。6ホールにも及ぶと思っていなかったけど、最後まで集中力を切らさずに回ろうと思っていた」

 ―日没までプレー。

 「4ホール目と5ホール目は、自分が決め切れなかったのですごく悔しかったけど、切り替えた。5ホール目と6ホール目は暗くて(パッティングの)ラインも読みにくくなっていたので、早く決めたいと思った」

 ―米国での暮らし。

 「移動も大変だし、そんな簡単にはいかないと思うけど、日本選手がたくさん活躍しているので、自分もそこについていきたい。英語はこれから勉強する」

 ◆竹田 麗央(たけだ・りお)2003年4月2日、熊本・合志市生まれ。21歳。6歳の時、母の影響でゴルフを始め、熊本国府高1年時の19年九州ジュニアで優勝。1993、94年の賞金女王・平瀬真由美は母の妹で叔母にあたる。21年11月のプロテストに合格し、翌年からツアー参戦。今年9月のソニー日本女子プロ選手権でメジャー初制覇。日本女子オープンでメジャー2連勝を飾った。趣味は野球観戦。166センチ。家族は両親と兄、弟。