「車いすに乗っていても西田さんは…」 盟友・竹下景子が明かす西田敏行さんの晩年 西田さんがたびたび見返していたドラマとは
「西田さんのような方は他にいらっしゃらない」
「西遊記」「池中玄太80キロ』」から「釣りバカ日誌」シリーズ、「ドクターX」まで。数々の当たり役を得て、長らく第一線で活躍した名優・西田敏行さんが、10月17日に虚血性心疾患で亡くなった。享年76。彼は、いかにして国民的俳優と呼ばれるまでになったのか。長年、西田さんの“相棒役”を務めてきた女優の竹下景子(71)が秘話を明かした。
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NHKラジオのオーディオドラマ「新日曜名作座」で長らく西田さんと共演してきた竹下が弔問に訪れたのは、西田さんの死の翌日だった。
「眠っているような、やさしいお顔をされていました。思わず“西田さん起きて”と声をかけてしまうくらい、穏やかなお顔でしたね。今にもにこっと笑ってくれるような気がしました」
竹下はそう語る。
「突然のことでとっても悲しいですけど、愛するご家族が暮らすご自宅で静かに逝かれたというのは、せめてもの慰めになることなのかな、と思いました。奥様とお嬢様が迎えてくださったので、そんなことをお話ししました。本当に急過ぎるし、西田さんのような方は他にいらっしゃらないだろうなと思うと、残念で残念で……」
「本当のエンターテイナー」
共演者を失い悲しみに暮れる竹下。彼女が初めて西田さんと仕事をしたのは、竹下がまだ大学生の時だった。1974年から放送されたNHKの連続ドラマ「ふりむくな鶴吉」。主演は沖雅也、竹下は沖のお相手となる女性、西田さんは下っ引きの役だった。
「ハナ肇さんや宇野重吉さんなど、そうそうたるメンバーでした。西田さんはまだ若手だったのですが、そういった大物の中でも、キラキラ輝くような魅力がありました。私とは五つほどしか違わないはずなんですが、とてもそうとは思えなかったですね。こちらが大学生で右も左も分からないのに対して、西田さんは青年座出身の新鋭俳優という感じで、憧れました」
西田さんは気さくな男だった。
「撮影の合間、楽屋にみんなが集まると、エルヴィス・プレスリーのまねをしてくれるんです。それがまたうまくてねえ。役者たちの間でも大人気で、“西田さーん! もういっかーい!”とアンコールがかかると、何度でも歌ってくれるんです。本当のエンターテイナーなんだ、プロってすごいなあと感心しきりでした」
「車いすに乗っていても……」
近年、西田さんの健康面は必ずしも万全な状態とはいえなかったが、それでも仕事を続ける姿を竹下は目の当たりにしてきた。
「ここ10年の間、西田さんは度々体調を崩されて『新日曜名作座』の収録をお休みされることもありましたが、その度に見事に復帰されてきました」
収録では、得意のアドリブもよく繰り出していた。
「以前、朝井まかてさんの『雲上雲下』で、西田さんが『風』の役を演じたことがありました。ファンタジーだから、草とか風が喋るんです。西田さんは『風』として喋るうちにいつの間にか自然と歌いながら喋るようになっていたんです。メロディーは全くのアドリブなのですが、『風』の役に見事にハマっていて。天性のセンスですよね」
竹下が最後に西田さんに会ったのは今年7月半ばの収録の時だった。
「ここ1年ほど、西田さんはNHKの局内を車いすで移動していて、“やあどうもどうも暑いですねえ”なんてあいさつをしてくれて。何てことのないあいさつなのですが、温かみがあって現場の空気が和らぐんです。車いすに乗っていても西田さんは西田さんでした」
西田さんは82年にTBS系列で放送されたドラマ「淋しいのはお前だけじゃない」を“すごく大事にしている”と語っていたという。
「ひと際思い入れがおありだったようで、今でも時々家で見返す、と仰っていました」
過去作品を見直し、西田さんは“次”に役立てようとしていたのかもしれない。
10月24日発売の「週刊新潮」では、竹下を含め、山田邦子、岡部まり、せんだみつお、井筒和幸監督ら、西田さんとともに仕事をしてきた著名人たちの証言をもとに、「希代の俳優・西田敏行」の素顔を5ページにわたって特集する。
「週刊新潮」2024年10月31日号 掲載