トルコ語で「ルールを守れ!」と記してあるゴミ捨て場

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「迫害された難民」なのか「治安を乱す存在」なのか

 迫害を受ける「受難の民」か、あるいは違法行為を繰り返す「不法滞在者」か。埼玉・川口市に集住するクルド人についての見方は巷間で相反している。この春、トルコで現地調査を行った難民問題の第一人者・滝澤三郎氏が、この問題の深層を詳らかにした。【前後編の前編】

(取材・構成=ノンフィクション作家 西牟田靖)

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【写真を見る】「時速140キロ超で飲酒スマホ」「過積載のクルドカー」 川口市で問題となっているクルド人

 今、難民を巡る議論は世界でも日本でも、重要テーマの一つとなっています。

 世界を見れば、難民や避難民は急速に増え、「人権問題」から「政治問題」へと発展している。

トルコ語で「ルールを守れ!」と記してあるゴミ捨て場

 日本を見ても、入管法が昨年に改正され、大きな転換期を迎えている中で、埼玉県川口市でのクルド人集住問題がホットなテーマとなっています。

 一般メディアは、クルド人はトルコで迫害され、逃れてきた難民なのに、冷淡な入管がそれを認定しないとの報道がほとんど。

 他方で、ネットメディアなどは、たむろやナンパ、騒音、ゴミ出しトラブル、危険運転、大量の廃材を積んだ「クルドカー」など、地域のルールや法律の無視について取り上げ、治安を乱す存在だと報じています。

現実から乖離したものが多い一般メディアの報道

 私は埼玉大学や東京都立大学大学院で学んだ後、法務省を経て国連ジュネーブ本部やUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の財務局長や駐日代表の職を歴任するなど、一貫して難民問題に携わってきました。

 また、この3月にはトルコに赴き、現地でクルド人がどのような状況にあるのか、調査を行いました。

 そうした経験から見ると、今の一般メディアクルド人に関する報道は、実態に基づかず、現実から乖離したものが多い。

 そこで、現在の難民を巡る世界と日本の状況を押さえ、その上で川口のクルド人問題にどのように向き合っていくべきかについて、私見を述べたいと思います。

先進国で相次いで起こる難民排斥運動

 UNHCRの調査によれば、現在、世界で移動を強いられた難民や避難民の数は約1億2000万人。日本の人口と同じくらいですから、莫大な数です。その数だけ悲劇がある。

 理由は、戦争や国内紛争の激化です。シリア、ミャンマー、アフガニスタン、ウクライナ、ガザ地区といった国や地域で、多数の難民や国内避難民が発生しています。

 シリア難民などは2015年以来、ドイツに110万人流入し、中南米諸国からアメリカへは数百万人の難民移民が。アメリカ・メキシコの国境では、年間で250万人が不法入国を図って拘束されています。

 これほどの難民・避難民が流入するがゆえに、先進国では難民の排斥運動が相次いで起こっています。今年に入り、イギリスでは不法移民法が成立し、難民申請者のルワンダへの強制移送計画も持ち上がった。これは労働党が政権を取って中止しましたが、アメリカの大統領選でも移民問題が大きなテーマとなっているのは周知の通りです。

難民鎖国」は終わった

 日本の状況はどうでしょうか。

 昨年、日本で難民申請した人の数は1万4000人。世界では360万人ですからごくわずかです。もともと日本は紛争地から遠く、日本語という障壁もあり、外国人のコミュニティーも少ないことから、申請者も少なく、また難民認定率も数年前まではごく低かった。そのため、メディアは「難民鎖国」などと非難していました。しかし、昨今の日本の状況が大きく変化していることはほとんど報じられていません。

 国軍によるクーデターが起きたミャンマーについて、在留するミャンマー人3万5000人の希望者に「特定活動」の在留資格を与え、タリバンによる権力掌握後にはアフガン人400人を日本に避難させ、350人以上を難民認定した。またウクライナからの避難民も2500人を受け入れ、内戦に苦しむスーダンについては、在留スーダン人200人のビザを延長しました。

 昨年の入管法改正により、従来の難民制度に加えて、補完的保護対象者(準難民)制度が創設されました。ウクライナ避難民の大半は補完的保護の対象になるでしょう。

 15年ほど前には年間50人前後だった難民受け入れ数が、今年は準難民も合わせれば1500人を超えると見られ、「難民鎖国」は終わったといえます。

 他方で、難民申請さえすれば強制送還が回避できるという「送還停止効」に歯止めがかけられました。難民救済の範囲を広げるとともに、難民制度の乱用を防ぐ体制になったわけです。

クルドを巡る事情を現地で調査

 このような中で、川口のクルド人問題が話題となっています。

 彼らについては迫害や暴力の対象、犠牲者として捉える人々(犠牲者観)と、共同体の安全や価値への脅威をもたらす侵入者として捉える人々(侵入者観)が対立しています。互いに批判をし合い、分断が生まれています。

 この問題の解決のためには、川口に来るクルド人がどのような人々で、なぜ来日しているのかを押さえておくことが必須でしょう。

 UNHCRは、難民を「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受ける恐れがある」人々としています。出入国在留管理庁は、「迫害」を「生命、身体又は自由の侵害又は抑圧及びその他の人権の重大な侵害」と定義していますが、果たして彼らは「迫害」されているのでしょうか。

 私は2021年4月からこの3月まで、国際的な動向を踏まえた日本の難民政策のあり方を考察する研究に取り組みました。

 その一環として昨年はポーランドとアメリカを訪問。今年の3月10日から21日にはトルコを訪れ、現地調査を行いました。

 トルコ西部のイズミール、中部の首都アンカラ、2023年2月に大地震のあった南東部のガジアンテップとその周辺の街、東部のヴァンなどを訪れ、UNHCRやIOM(国際移住機関)などの国際機関、SGDD-ASAM(難民申請者・移民連帯協会)、INARA(支援、救済、援助のための国際的ネットワーク)、またケア・インターナショナルなどの国際的NGOを訪ね、クルドを巡る事情を聞きました。

 トルコにいる日本人の研究者や日本大使館職員にも聞き取りを行っています。

 現地の情勢を良く知り、英語で解説できる3人のクルド人には特に詳しく状況の説明を受けました。

大学に進学するクルド人も少なくない

 聞き取りや各種資料を総合すると、1980年代から90年代の“内戦”時代には、クルド人が差別、迫害されたという実態はあったようです。そのためクルド人の中には難民として外国に逃げる者もいた。その多くは欧米に流れ、ごく少数は日本にも来たようです。

 しかし、2003年、エルドアン政権の誕生をきっかけに状況は変わりました。EUへの加盟を望んでいた政権は、EU人権基準の遵守が求められるため、クルド人に対する法的な差別をなくした。クルド人は人口約8500万人のうち20%ほどを占めますが、クルド系の政党があり、クルド人の国会議員がいて、大臣も高級官僚もいます。エルドアン現大統領の夫人はクルド系。兵役義務も他の国民と同じ最低6カ月間です。義務教育の国語ではトルコ語のみが教えられ、クルド語は対象外ですが、他の少数言語も同様の扱いです。公立の学校は大学まで無料で、大学に進学するクルド人も少なくありません。クルド人難民不認定となり帰国したからといって、逮捕されたり死刑になることはなく、そもそもトルコに死刑制度はない。

 アレヴィー派というクルドの中でも少数である民族については社会経済的な差別を受けることはあるようですが、これも迫害とまでいえるレベルではありません。

「トルコ国内でクルド人が迫害されているという事実はない」

 ただし、非合法であるPKK(クルド労働者党)や、「ギュレン運動」という宗教社会運動に関わっている人々は監視や嫌がらせの対象となり得ます。ギュレン運動の関係者は2016年にクーデター未遂事件を起こし、弾圧の対象となって欧米諸国に逃れました。欧米諸国で難民認定されたトルコ(クルド)人は7万人以上いますが、多くはギュレン運動関係者でしょう。

 ある国際機関の担当者はこう述べていました。

「トルコ国内でクルド人が迫害されているという事実はない」

 大使館の担当者も、

「今のエルドアン政権はクルド人を迫害したり法的に差別するということはありません。ただし反政府武装組織であるPKKの関係者、著名だったり批判的だったりするジャーナリスト、クルド系の政治家については注目している。それ以外の一般のクルド人については、関心を持っていません」

 日本のマスメディアが報じる「犠牲者観」に基づいたクルド人への見方とはだいぶ異なるのです。

「僕自身がクルド人だが、迫害はない」

 調査の中で、3人のクルド人と、シリアから逃れて来たクルド系難民にも話を聞きました。

 その中の一人、ガジアンテップのアメリカ系NGOで働いているアレヴィー派の男性は、「僕自身はクルド人だが、エルドアン政権が20年やってきたクルド人との和解政策を支持する。エルドアンが大統領になってからはクルド人への迫害はない」と述べていました。ただ一方で、「西部と東部で経済格差はある。東部のクルド人地帯はやはり開発が遅れている。アレヴィー派への差別もある」とも指摘していました。

 また、ヴァン市で観光通訳をやっているクルド人男性は政府に批判的。彼とはヴァンからイスタンブールまで一緒に飛行機で帰りましたが、混み合う待合室で搭乗を待っているとき、英語で声高に政府批判をしていました。私は「彼は大丈夫かな」と危惧したのですが、とがめられることもなかったのでそれは杞憂のようでした。さらに、もう一人のクルド人男性はもっと反政府的でした。彼の妹はPKKの構成員で今も東部の山の中で活動しているとのこと。本人もPKKシンパです。

 彼によれば、1990年代、まだ幼い頃に、夜中にトルコ兵が家に来て、家族がみな集められ、庭で2人の親戚が銃で撃ち殺された、と。それがトラウマになり、今でも強い反政府感情を持っているそうです。

 そんな彼は、私が訪れる数週間前にメッセージアプリのWhatsAppにPKKの旗を載せ、警察に呼びつけられたとのことです。

 しかし、そうした“嫌がらせ”を受けたものの、逮捕や処罰までされることはない。それどころか外国に自由に出入りし、韓国や日本にもビジネスで渡航したことがあるそうです。

 後編【川口市のクルド人の来日目的は「就労と家族統合」 クルド人自身が「弟は難民じゃなくて移民」】では、クルド人の本当の来日目的と、日本人が彼らと共生するための道について詳しく報じている。

滝澤三郎(たきざわさぶろう)
東洋英和女学院大学名誉教授。1948年、長野県生まれ。東京都立大学大学院修了後、法務省に入省。以後、国連ジュネーブ本部やUNRWAなどに勤務し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)では駐日代表等も務める。東洋英和女学院大学の教授を経て、現在は名誉教授。

「週刊新潮」2024年10月10日号 掲載