結核はペニシリンの発見で治せる病気にはなったが…科学者・中村桂子 百日咳、ポリオ、結核。今や「感染症は重大な病気」と捉えない時代になった理由
タレントのJOYさんが結核を発症「死ぬかと…」と情報番組で自身の状況を語りました。また、福島の高齢者施設で結核集団感染も報告されています。今でも患者数が年間1万人を超えの理由とは?生命科学研究の第一人者・中村桂子さんが感染症について語った記事を再配信します。********新型コロナウイルスが令和5年5月8日に「5類感染症」に位置づけられてから、1年が経過しました。令和6年3月末には治療薬や入院の公費支援が終了し、猛威をふるったコロナ禍から徐々に日常を取り戻しつつあります。そのようななか、JT生命誌研究館名誉館長の中村桂子さんは「ウイルスとは何かを考えることが、これからの生き方にとって大事」と話します。今回は、生命科学研究の草分け的存在である中村さんが、ウイルスとの向き合い方をまとめた著書『ウイルスは「動く遺伝子」』より、一部ご紹介します。
* * * * * * *
感染症を心配しなくてもよい社会
ウイルスは肉眼では見えませんし、通常の顕微鏡でも見えません。それだけでも扱いにくいのに、ウイルスはなかなかしたたかで、分かりにくいものなのです。
そこで、普通の暮らしの中でのウイルスの登場場面を考えると、風邪が浮かび上がります。風邪にかかったことがない方はいないのではないでしょうか。風邪はウイルス感染症です。
生きている以上、病気は避けられません。誰もが健康には関心がありますから、メディアでの発信にも、医療や健康の情報は多いですね。今は専門家も普通の人も、関心の多くが生活習慣病に集中するようになっています。
がんは気になる病気ですし、高血圧、糖尿病、高脂血症などの薬を飲んでいる人は少なくありません。高齢社会ですから認知症も問題です。
けれど、感染症の話題はほとんどありません。専門家も普通の人も、病気のことを考える時に、感染症を特に心配しなくてもよい社会になっているということです。
感染症の歴史を辿る
ところで、私の子どもの頃は、病気といえば感染症のことを考えました。
百日咳は細菌による呼吸器の感染症で、主に子どもがかかります。赤ちゃんが感染すると、命を落とすことも珍しくありませんでした。
『ウイルスは「動く遺伝子」』(著:中村桂子/エクスナレッジ)
ポリオに感染して小児麻痺(しょうにまひ)になり、足が不自由になる子もいました。天然痘にかかり顔に「あばた」が残っている人に街で出会うこともありました。
結核は国民病といわれるほど患者が多かった病気で、大学時代の友人にはサナトリウムに入っていた人もいました。
結核菌が脊椎に感染して起こる脊椎カリエスに罹患した正岡子規は、文学者として素晴らしい仕事をしましたが、「病床六尺」<『病牀(床)六尺』(子規随筆集)>の世界で暮らしていたわけです。
それが今では、感染症を命に関わる重大な病気として捉えない時代になりました。急速に医学が進歩したからです。
感染症の捉え方が変化した理由
始まりは19世紀の終わり頃。感染症の原因が微生物であることが分かったことです。
日本人では北里柴三郎が、破傷風菌の純粋培養に成功し、その後ペスト菌を発見するなど、病原菌の研究で重要な役割を果たしました。原因が分かれば対処法が考えられます。
20世紀に入ると、まずワクチンが開発されました。
研究が進み、私が子どもを育てた20世紀半ばには、乳児の時に、ジフテリア、百日咳、破傷風の三つの病原菌に対する三種混合ワクチンを打ち、その後、はしか、ポリオ(小児麻痺)など、さまざまなワクチンで感染症予防ができ、安心して子育てができました(今はさらに多くなっています)。
また、結核は抗生物質が発見されたことで、治せる病気になりました。
最初に発見されたのはペニシリン(1928年)で、1942年に実用化されました。太平洋戦争中だったため、日本ではすぐには使えず戦後徐々に普及したことが、私の記憶の中にあります。次々と新しい抗生物質が見つかり、医療が変わっていった様子も覚えています。
もう一つは公衆衛生の向上です。
とはいえ、高度経済成長期の日本を見ても、まだ公衆衛生が定着しているとは言い難いところがありました。街や公的施設などには、今の若い人たちが見たら驚くような不衛生な状態が見られました。
そして、この50年ほどの間に公共空間がとてもきれいになり、清潔な暮らしが当たり前になりました。
ワクチン、抗生物質の活用と公衆衛生の普及によって感染症が減ることで若年層の死亡率が低下し、高齢社会になり生活習慣病が浮び上がってきたのが現状というわけです。
感染症は「消えた」わけではない
しかし、感染症は消えたのではありません。
特にこの記事のテーマであるウイルスは難物です。
抗生物質は細菌には有効ですが、ウイルスにはこれに匹敵する治療薬はありません。
今世界中が新型コロナウイルスに悩まされ、ウイルス感染に関しては「感染症の時代ではない」とは言えないのだということを思い知らされているわけです。
※本稿は、『ウイルスは「動く遺伝子」』(エクスナレッジ)の一部を再編集したものです。