純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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20世紀はマスプロダクト・マスコンシュマーの時代だった。つまり、同じ商品を大量生産して、より多くの顧客に売る「掛け算商売」だ。しかし、これがいま、崩壊してきている。バイトテロ、モンスタークレーマーのせいだ。

もともと人々は、生まれも育ちも多様なのが当然。それを近代国家は強権的で強制的な義務教育によって均質化し、これを軍隊や工場で高圧的に「しつけ」て、マスメディアの新聞やテレビで飼い慣らすことで、同じ言葉、同じ常識、同じ関心の「大衆」を社会的に作り上げ、彼らが20世紀の生産と消費を担ってきた。

が、もはやそうではない。同じ常識が通用しない人々が大量に発生してきている。彼らはオレサマ第一主義で、たとえば最高裁まで争って敗訴しても、裁判がまちがっている、と言って無視する県知事様がいらっしゃったりするくらいだ。ホテルのフロント、病院や役所の窓口でも、大声でわめきたてるモンスタークレーマーで揉めごとだらけ。ましてや、コンビニ、公共交通機関、学校でさえも、わけのわからない屁理屈の自己主張をガンとして曲げないモンクレたちが続出。飲み屋に至っては、酔っ払ったモンクレが来ない日はない。その対応に振り回され、本業の仕事が麻痺する。おまけに、経営者はもちろん、外部の第三者までもが裁判官面して大量に割り込んできて、ああだ、こうだ、と言い立てて、いよいよ話をややこしくする。

生産の現場でも似たようなもの。バイトをすっぽかす。ある日突然辞めてしまう、なんて、まだ序の口。いくら工程を厳格に決めても、守る気がない。いや、守る必要があると思っていない、それどころか、なにか守るべきものがあるすら思っていないオレサマたちが、これまたわけのわからないことをしでかして、仲間内ではしゃぐ。SNSで表沙汰になっているだけでも、これだけあるのだから、そうでないものがどれだけあるのやら。しかし、それは現場の下っ端だけではない。世襲トップ、高学歴のエリートさまたちからして大差無い。ある日突然、わけのわからない社内規則をメールで一斉通達したり、集団で会議して、自慢げに上げ底弁当を経営努力と称して売り出したり、バカさ加減に現場の方が呆れて、契約が切れ次第、更新しないフランチャイジーが続出。

だから、これは高級高額路線を採れば解決するというものではない。高級ホテル、飛行機の上級クラスなどほど、オレサマがおまえら下郎にサービスというものを教えてやろう、という王子様やお姫様、オレは県知事様だぞ、オレの我がままを聞くのが当然だろ、というような、会社や組織の中でのむちゃくちゃに慣れた、ケタ外れにタチの悪い横暴な客たちがやってきて、周囲まで巻き込んで、なにもかもワヤにする。おまけに、経営者の方がそのお友だちだったりして、なんとかしてやれ、みたいな無理を言うから、アホくさくて、従業員や公務員の方が辞めてしまう。

かくして、カネさえ払ってくれれば、だれでもお客、そういう商売がハイリスクになってきている。医は仁術、などと言っても、たまにお世話になる先生で、御高齢と待ち時間の長さを理由に、常連以外の新規の患者は軒並み体よくお引き取りいただいている病院がある。今後は、旅館や学校も、そうならざるをえないだろう。御紹介も無しにどこからともなくやってきた一見さんは、名前や住所なんか聞いたところで、どこのだれだか身元知れずで、なにをしでかすか、わかったものではない。

本来、クレジットカードは、料金後払いの手段などではなく、旅先の一見さんお断りの名店でも、お客の人柄をクレジット会社が厳格な身元調査と信用実績に基づいて保証し、これを使えるようにする、というもの。現代でも、レンタカーやホテルの予約など、事故やドタキャン予防にクレジット番号必須が当然。さらに遡れば、フリーメーソンも、成金だらけ、詐欺師だらけの18世紀ヨーロッパで、他都市での信用を担保する組織だった。日本でも、江戸時代、明治時代には、紹介状持参が当たり前だったし、米国では、現代でも前の職場の上司の推薦状無しに管理職に雇い入れることはまず無い。

繰り返すが、支払余力で人柄までは決まらない。高額を厭わずに払える上客であっても、育ちの悪い成金、甘やかされてきたバーバリアンなお坊ちゃま、お嬢ちゃまほどリスキーな客は無い。身内じゃお山の大将でいられる自営業、自由業、芸能人も、どんなものやら。まして独身フリーターで、なにも失うもののない「無敵の人」は、恐ろしい。かつてのクレジット会社が、有資格定職10年、家族持ち、持ち家、預金残高、銀行取引実績など、守るべきものを内々の審査条件にしてきたのも、こういうことがあればこそ。海外居住でも、一時的でさえ、実際にこういった証明書をいくつも出させられる。

こういう信用情報収集は、じつは昔よりはるかに容易になってきており、すでに国家規模で信用ポイント制をやっている国もあると聞く。町から出る新幹線の切符もマイナカードで承認されないと買えない、なんていう国民管理国家が理想とは思えないが、顧客にしても、従業員にしても、今後は、民間クレジット会社の信用保証が重要になるのはまちがいない。病院や学校でも、病状や成績より人柄、信用。とにかくトラブルコストが高くなりすぎた。たった一人の顧客、たった一人の従業員のわがまま、でたらめで、会社や組織が潰れかねない。来る者拒まず、というようなオプティミスティックな20世紀的性善説では、もはやリスク管理として甘すぎる。厳選無き数は、力どころか、地雷でしかない。


純丘曜彰(すみおかてるあき)大阪芸術大学教授(哲学)/美術博士(東京藝術大学)、元ドイツマインツ大学客員教授(メディア学)、元テレビ朝日報道局ブレーン