〈渡邊渚さんインタビュー〉パリ五輪に行ったのは“病気に何も奪われたくなかった”から フジテレビを辞めた理由、バレーボールへの愛、そしてこれから

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8月31日付けでフジテレビを退社した元アナウンサー・渡邊渚さん(27)。今年8月、療養中にパリ五輪を現地観戦したことで、ネット上で非難を浴びることになった。いっぽうで本人は、現地でのさまざまな経験は「生きる勇気をもらえた」とポジティブに受け止めている。なぜ、彼女はそう思うことができたのか? いま目指している働き方などとあわせて話を聞いた。

【写真】日々のつらさが綴られた渡邊さんの闘病日記

パリ五輪を現地観戦したことで炎上。実際の経緯は?

ーーSNSで闘病生活の様子を投稿していたこともあって、療養中にパリ五輪を現地観戦していたことが物議を醸しました。

渡邊渚(以下、同) それについてはさまざまなご意見をいただいていて、不快な思いをされた方には、本当に申し訳ないと思っています。

ーーただ渡邊さんとしては、外に出ていくことが治療の一環でもあったわけですよね。会社には報告していたのですか?

五輪を現地観戦しに行くことについては、会社にもしっかり報告していましたし、主治医や臨床心理士の先生にも許可を取っていました。

ーー観戦チケットはいつごろ入手したのですか? SNSでは「大人の力が働いている」「日本代表の誰かと付き合っているんじゃないか?」といった憶測も出ていましたが。

いえいえ、パリ五輪の公式リセール経由で、7月初旬に自分で入手しました。観戦には1人で行きましたし、たまたま取れた席が、カメラに映り込みやすい日本戦のベンチ裏だったんです。

ーーカメラに映ってしまったと気づいたとき、「マズイ!」と思いましたか?

正直なところ、私は普通の人間ですし、芸能人ではないので……。「私だって気づくんだ!」と、最初は驚いたくらいでしたね。

海外での五輪観戦が、生きる希望に

ーー五輪観戦の際は、体調面に問題はなかったのでしょうか?

正直、長時間フライトへの不安はありましね。

4~5月はパニック発作が特に酷くて、1人ではどこにも行けない状態だったのですが、6月初旬に持続エクスポージャー療法(PTSDに対する認知行動療法)を始めたことで、自分の中でもパニックを抑える方法がちょっとずつわかってきて。

それによって、五輪の現地観戦を現実的に考えられるようになったんです。それで、先ほども少し触れましたが(#1)、1人でどこまで行けるかという実験の一環で、パリまで行ってみることにしたんです。

ーー誹謗中傷を受けたことで、症状は悪化しませんでしたか?

それが、しなかったんですよ。パリでは体調も崩さなかったし、パニックも起きなくて。もともと悪かった臓器系にも、不調が現れなかった。結果として、パリに行ったことで、生きる希望をもらえたんです。

私、パリに行く前は「現地でバレーボールを観られたら、もう死んでもいいと思えるんじゃないか?」と考えていたんです。

でも日本に帰ってきたら、「1人でいろいろできるようになった」と勇気が湧いてきて。

1人でご飯を食べられた、1人で外国の街を歩けた、現地の人たちと仲良くなれた……。

いろいろな面で成長や復調を感じられたので、誹謗中傷は受けましたし、私の行動を不快に思われた方には申し訳ないのですが、私自身は行ってよかったと心の底から思っています。

ーーそうしたチャレンジをしてまで、五輪でバレーボールを観たい気持ちが強かったんですね。

絶対に観たいと思っていた景色でしたし、もしかしたら、仕事として自分も現場にいたかもしれない。

私としては「病気に何も奪われなかった」と思いたかったんです。願いが叶わなかったことを、病気のせいにしたくなかった。

ーー本当にバレーボールがお好きなんですね。

高校時代はバレーボール部に所属していましたし、大学在学中は中継のアルバイトも経験して。社会人になってからも個人的にスコアシートを書いたり、選手のデータを取っていたりするほど、大好きな競技です。

それに、会社に入社した直後から中継などを担当させていただいたこともあり、自分の中では仕事をするうえでの目標やモチベーションにもなっていました。

ーーパリ五輪の件で、SNSの使い方には気をつけなくてはいけないと思いましたか?

もちろん民放に勤めていたということもあるので、「言っていい・言ってはいけない」の分別については理解しているつもりです。

それに、「人を傷つけないことが一番」だと思って生きてきたというのもあるので。

あと、人間性として、そもそも人に対してあまりイライラしない性格なんです。なので、SNSで何かを発信していくとしても、基本的には自分のことについて書くだけになるかと思います。

「もし病気にならなかったら」と考えると涙が出てしまう

ーーパリ五輪を経てメンタル的にも復調したことを考えると、フジテレビアナウンサーとして働き続けるという選択肢もあったのでは?

そうですね……ただ、私としては五輪がきっかけで退職したわけではないので。

アナウンサーの仕事は、もちろんテレビに出演している時間だけではなく、放送に向けた準備や、イベントの司会、ナレーションなど、仕事内容はかなりハードなんです。

すごく時間がかかる作業も多いですし、自宅に帰れない日もありました。もちろん、テレビ業界やアナウンサー職だけがそうであるわけではないのですが。

ーーそうした仕事内容やスケジュールが、自分には合わなかったと?

いえ、当時は全然問題なかったんです。仕事から受ける刺激も多かったですし、楽しくて、それが幸せだと感じていました。

でも病気になって、家族や友人と分かち合える幸福感のほうが、自分にとって大切なんだと気づいて。

だから以前のようなスケジュールでは働けないと思いましたし、あのまま会社にいたとしても、心身ともに健康かつ幸せでいられる自信はありませんでした。

ーー渡邊さんは2020年4月にフジテレビに入社されていますが、5年目で退職することについては、どのように感じていらっしゃいますか? もちろん、体調を崩されたことが、退職理由の一つではあるのですが。

個人的にも「半人前で辞めるなんて、嫌だな」と思ったときもあったんです。アナウンサーとして十分な経験を積めたわけではないですし、まだまだやりたいことだってたくさんある。

それこそ入院中、自分が大事にしていたものが、手のひらからこぼれていく感覚があって、すごく悲しかったんです。

当時決まっていた番組や、自分が定めていた仕事での目標……それらが実現できる寸前だったのに、病気によって手放さなければならなくなった。それは、当時の自分にとって、本当に本当に辛い経験でした。

正直なところ、PTSDにならなかったら、仕事を続けていたと思うんです。いまでも深夜に起きて会社に向かい、「めざましテレビ」で視聴者の皆様が起きるお手伝いをしていたかもしれない。そう考えると、やっぱり悔しくて。

「もし病気にならなかったら」と考えると涙が出てきてしまうのですが、一方で病気になったことで気づいたこと、得たものもたくさんありましたし、視野も広がったと思います。

生きづらさを感じている人たちのために

ーー今後、具体的にどのようなことをしていきたいですか? テレビに出演することはあるのでしょうか?

テレビに出たい」という気持ちは、いまのところないんですよ。それに「フリーアナウンサー」という肩書きもいらないと思っていて。

約3年しか経験していない私にはアナウンサーを名乗る資格はないですし、テレビ番組に出るのもおこがましいと思っています。

ーーなるほど。ただ、完全に距離を置くわけではないんですよね?

そうですね。門戸を閉ざしているわけではないので、オファーがあれば、ありがたく検討させていただきます。

ーーいっぽうで、何かしらの発信や表現は続けていくんですよね?

はい。実はこの1年、病気がきっかけでつながれた方々がたくさんいるんです。私と同じような境遇の人や精神疾患に悩んでいる人が、私のInstagramアカウントをフォローしてくださっていて。

そういう方々に対して、「大丈夫、私は味方だよ」と伝えていきたいなと、まずは考えています。

あと、精神疾患を抱える人だけではなく、生きづらさを感じている方々が繋がっていけるツールや環境を作っていきたいなと思っています。10~20年先になるかもしれませんが。

ーーYouTuberとして活動することも……?

今後もさまざまなシーンで何かを伝えたり、表現したりしていきたいと思っていますが……YouTuberにはならないと思います(笑)。

一方で、私はこれまでアナウンサーとしてテレビの世界しか見てこなかったので、一度そこから船出をしてみて、自分でコントロールしながら、やれることをできる範囲で、少しずつ挑戦していきたいと思っています。

取材/鈴木ひろあき 集英社オンラインニュース班

構成・文/毛内達大 撮影/松木宏祐 ヘア&メイク/東川綾子