審理が進められている東京地裁(弁護士JP編集部)

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東京都豊島区の自宅アパートで昨年9月、当時87歳だった母親の首を絞めて殺害した罪に問われている澁川勝敏被告(61)の初公判が1日、東京地裁で開かれた。

検察官が起訴状を読み上げた後、福家康史裁判長から事実関係に間違いがないか問われると、被告人は「(間違い)ありません」と返答。検察官、弁護人ともに、被告人が事件当時、心神耗弱(こうじゃく)状態にあったこと、そして自首の成立を認めており、量刑を争点に裁判裁判で審理が進められている。

良好だった母子関係

被告人は被害者である母親と、2005年に亡くなった父親の間に山形県で生まれ、小学生の時に父親の転職に伴い東京都内へ転居した。妹が1人いるが、事件当時は結婚して地方で暮らしており、被告人と母親は2人暮らしだった。

妹の供述調書と被告人の証言によれば、母親は明るくて優しい性格。一方、父親は亭主関白で日常的に暴力を振るう人だったが、兄妹は母親の優しさに包まれて育ったという。

被告人と母親はお互いに「お母さん」「勝敏」と呼び合い、会話が多かったとは言えないものの食事を一緒にとるなど、関係は良好だった。また、母親は高齢ながら認知症の症状もなく、日常生活における食事や入浴などは一人でこなせていた。メニエール病の疑いなどはあったものの、主治医によれば重症状態になく、一人で通院。家事についても、食事の用意は母親、洗濯は被告人、掃除は交代でするなど、分担していたという。

「お兄ちゃんは働かないし、引きこもっている」

被告人と母親の2人暮らしは、被告人自身も「ホッとするものだった」と振り返るなど、一見すると穏やかそのものだった。しかし、母親は生前、娘(被告人の妹)に対し、被告人の将来を不安に思う気持ちを吐露していたという。

「母は兄を気にかけていました。『お兄ちゃんは働かないし、引きこもっている。私もいついなくなるか分からないからね』と悲しそうに話していました」(妹の供述調書より)

被告人は高校中退後、1年ほどはスーパーでアルバイトしていたものの、その後は職を転々とした。検察の冒頭陳述によれば、33歳頃からは無職で、実家で引きこもるように生活していたそうだ。

父親が亡くなってしばらくすると生活保護を申請。以降は母親の年金と合わせて家計を回しており、就労支援事業に参加していた時期もあったが、しばらくすると行かなくなった。ただし生活保護のケースワーカーによれば、被告人は真面目な性格で家賃の滞納も一度もなく、母親の年金関連の書類も持ってくるよう頼めばきちんと持参したという。

就労せず引きこもっていたことを「本人の努力が足りない」と言ってしまえばそれまでだが、被告人は逮捕後の精神鑑定で「境界知能」だったことが判明している。境界知能とは、IQ(知能指数)が平均的な値と知的障害の間にある状態のことで、日本人の7人に1人が該当するともいう。障害とは診断されないために認知されづらく、明確な公的支援もないため、つらい思いをしている人も少なくないとされる。

介護に関するテレビ番組がきっかけで不安に

表面上は何の問題もなかった被告人と母親の2人暮らしだったが、事件の1年ほど前にテレビで介護に関する番組を見たことをきっかけに、被告人は「自分には(母の介護が)できない」と不安を募らせていく。

事件の半年ほど前には精神的に落ち込み、それまで当たり前にできていた掃除ができなくなった。夜も眠れなくなったことから、事件の2週間ほど前には精神科クリニックを受診。中等度のうつ病と診断され、抗うつ剤と睡眠薬を処方されたものの改善せず、約1週間後に再診している。

この時の被告人の様子について、面談を担当した精神保健福祉士は「『怖い』という言葉が繰り返し出てくる」と記録していた。

「やめて」怖がって逃げる母親を追いかけ、首を絞める

次回の受診予約もしていたものの、その日を迎えることなく、事件は起きてしまう。

当日午前11時頃、めまいがすると言って座ったまま10分ほどじっとしていた母親を見て、「自分が介護できないとお母さんがかわいそうだ」と思った。そしてパニックになり、台所へ移動した母親の首に手をかけようとする。母親は「やめて」と怖がって逃げたが、それでも首に手をかけ、あおむけになって倒れた母親の首を両手で、さらには電気コードで絞めつけて殺害した。

その後、自らも命を絶とうと思っていたができず、110番通報。初公判では、この時の通話記録も証拠として再生された。「母親を殺してしまいました」という被告人の震えた声で始まったその音声データからは、自宅の住所を間違えるなど激しく動揺した被告人の様子が伝わってくる。応対した担当者から「落ち着いてください」などと言われているうちに被告人の自宅へ警察官が臨場し、約7分間の通話は終了した。

なお逮捕直後、被告人の手の甲には、母親が抵抗した際についたであろう、まだ新しいひっかき傷が残されていたという。

母親の将来の介護に不安を募らせ犯行に至った被告人だが、もし介護が必要になった場合にどうすればよいのか、母親本人や行政機関などに相談することはなかった。被告人は法廷で「今思えば福祉に相談しておけばよかった」「(介護が必要になった際には)母に施設に入ってもらうなどの選択肢があったことが今なら分かる」と後悔を口にした。

判決は11日に言い渡される予定だ。