ペイパルやOpenAIなどの共同創業で有名な大富豪ピーター・ティール氏(左)と共和党の副大統領候補J.D.バンス氏(右)(写真:Bloomberg)

貧困白人労働者の生活を描き、ベストセラーとなった少年時代の回顧録『ヒルビリー・エレジー』。あれから8年。作者のJ.D.バンスは共和党の副大統領候補としていまやトランプ運動を引き継ぐ最右翼に躍り出た。彼の正体を上編、下編に分けて読み解いていく。

前編「トランプ陣営の攻撃犬になったベストセラー作家」

バンスを変えたIT富豪ピーター・ティールとの出会い

バンスの政界進出に際してパトロンになったのは右翼で80億ドル(約1.2兆円)の資産を持つハイテク大富豪ピーター・ティールである。彼はバンスのビジネスと思想の両方のメンターでもある。バンスが上院議員選挙に出馬するとき、1500万ドルの資金を寄付している。

トランプとバンスの橋渡しをしたのも、ティールである。ティールはトランプを説得し、トランプも最終的に共和党予備選挙でバンス支持を表明した。当時、メディアは、バンスを2020年の選挙結果を否定するトランプ派の候補者として紹介している。

バンスの“変節”の背後にティールの存在がある。2011年、イェール大の法科大学院の学生だったバンスは「大学で時間を無駄にすべきでなく、IT業界で働くべきだ」というティールのスピーチを聞き、大学生活に不満を抱いていたバンスは感動し、彼にメールを送った。ティールはバンスをカリフォルニアに招待した。ティールとバンスの出会いである。

バンスは大学院を卒業した後、短期間、連邦判事の事務官として働いたが、サンフランシスコに移り、ティールの持ち株会社ミスリル・キャピタルに就職した。そこでバンスはティールの思想の影響を受け、保守思想を受け入れるようになる。アメリカのメディアは「バンスはティールが作り出した(Vance is a Thiel’s creation)」と書いている。その後、バンスは故郷オハイオ州に戻り、自分のファンド会社ナルヤ・キャピタルを設立する。ティールは、そのファンドに出資している。

ティールは自らの思想を「国家保守主義(national conservatism)」と呼び、「自由と民主主義は両立しない」として、「権威国家」を樹立する必要性を説いている。「権威国家」は「民主主義」より優れていると考えている。そして中央集権的な政府を分割し、テクノロジー企業がIT技術を使って管理する分散型の体制に変えるべきだと主張している。

ティールとバンスは「極右の思想」で一致

こうした理論は、中央集権的な連邦政府の解体を主張する「極右の思想」と一致する。ティールを通して、バンスは、こうした思想を共有し始める。

バンスの「政府論」もティールと同じである。彼らは、アメリカ政府はエリートの寡占集団に支配されていると考えている。「ディープステート(影の国家)論」である。

バンスは『Vanity Fair』のインタビューで「トランプは2024年の大統領選挙に出馬するだろう。トランプがすべきことは、行政機関の中堅官僚とすべての公務員を解雇し、私たちを支持する人々(注:極右の人々)に置き換えることだ」と語っている(2022年4月20日、「Inside the New Right, Where Peter Thiel Is Placing His Biggest Bets」)。

バンスは現在の政府組織に懐疑を抱いている。さらに現在アメリカで展開されている中絶やLGBTQの権利などを巡る社会的価値観を巡る「文化戦争」に関して、バンスは「文化戦争は階級戦争である」と発言している。

家庭観も家父長制を支持し、女性は妻として、母としての役割を果たすべきだと主張する。アメリカの白人の出生率の低下は、女性が子供を産まなくなったからだとして、リベラル派の女性を「子供がいない、猫と暮らす女性(childless cat ladies)」と語っている。副大統領候補になってから、この発言が取り上げられ、バンスはリベラル派から批判を浴びている。

『Vanity Fair』の記事の筆者は、バンスの考えを次のように表現している。「アメリカのシステムは自然に分裂するか、偉大な指導者が半独裁的な権力(semi-dictatorial power)を掌握する2つの可能性を示している」と書いている。「偉大な指導者が権力を掌握する」という言葉は、トランプをイメージしたのかもしれない。

バンスの“変節”を『ニューヨーク・タイムズ』は「バンスの過激化」と呼んでいる(2022年1月4日、Simon van Zuylen-Wood、「The Radicalization of J.D. Vance」)。

同記事の筆者は共和党の予備選挙でのバンスの様子を「バンスは予備選挙運動で数十人の有権者を前に、国を誤らせた企業と政府のエリートを15分にわたって攻撃した」と書いている。そして、「イェール大学のカルチャーショックがバンスの政治に対する考え方を変えた」と指摘する。

別の政治集会でバンスは「鉄鋼会社の仕事が海外に移転されただけではない。ワシントンの“愚か者”によってわれわれを嫌う国へ売り渡した」と怒りを込めて語っている。

文化問題は右寄り、経済問題は左寄り

そしてバンスは、新興富裕層のポピュリストの知識人が主張する「国家保守主義」の政治的アバターになり、文化問題では右寄りで、経済問題では左寄りの主張を展開している。

このグループは、主にカトリック教徒で構成され、反リベラル派で、大企業には懐疑的で、貿易政策や移民政策では国家主義的な主張を行っている。バンスは子供の頃はプロテスタントであったが、大学では無神論者になり、ティールの下でカトリック教徒に改宗している。

ちなみに、保守派インテリの多くはカトリック教徒に改宗している。プロテスタントは庶民宗教であり、神学的な体系は持たない。だが、カトリックは知的伝統があり、それが保守派インテリを魅了している。

国家保守主義者は、共和党のエスタブリッシュメントを批判する。バンスは「エスタブリッシュメントに愛される代償はおもしろいことが何も言えないことだ。おもしろいことを何も言わなければ、アメリカが抱えている問題を解決する意味のある存在になれない」と、『ニューヨーク・タイムズ』の記事の中で語っている。

さらに「支配層のエリート社会は退屈だ。彼らはまったく反省がなく、ますます間違っている。私はある種の選択をしなければならなかった」と、政界へ足を踏み入れた理由を説明している。オハイオ州の白人労働者をイメージしながら、バンスは「私たちは産業の空洞化が労働者階級の家族を破壊すると理解しなければならない。労働者階級の家族を破壊すると、多くの社会的病理が入り込んでくる」と語る。

攻撃する標的はインテリ層

同記事の筆者は「バンスは自分を奪われた人々の保守的な擁護者だと位置付けている。ただ自分が一緒に育った人々の失敗ではなく、彼が属する専門家階級の失敗を是正しようとしている」と指摘している。バンスの攻撃の標的はインテリ層である。それは、別の場所での発言だが、バンスは「大学は敵である」と過激な発言をしているのも、そうした意識があるからであろう。極めて過激なポピュリズムである。トランプのポピュリズムはご都合主義であるが、バンスのポピュリズムは理論的であり、より強固な主張である。

同記事の筆者は「バンスにとって、過去数十年の物語は、左翼の社会的な寛容と右翼の自由市場の信条と融合して、新自由主義という魂のない倫理を作り出したということだ」と興味深い指摘をしている。バンスは「過去20年または30年のアメリカの女性解放主義者の基本的な嘘は、女性がゴールドマン・サックスの小さな部屋で週90時間働くことが女性の解放だと言っていることだ」とも語っている。

さらに「子供のいない猫の女性」に言及し、「この国では権力を持ち過ぎた多くの奇妙な猫の女性がいる」と発言している。極めて女性差別的表現である「猫の女性」という言葉が、今、蘇っている。共和党がハリス副大統領を非難する際に、この言葉が使われている。

なぜトランプはバンスを副大統領候補に選んだのか。トランプは最後の最後まで誰を副大統領候補にするのか迷っていた。最後まで残ったのはバンスとダグ・バーガム・ノースダコタ州知事とマルコ・ルビオ・上院議員の3人であった。

トランプが最終決定をしたのは共和党大会の初日の7月15日の午後である。トランプは自身のSNS(Truth Social)で「長い間、熟考を重ね、途方もない能力を持った多くの人について考え、副大統領に最も適した人物はJ.D.バンス上院議員であると決定した」と発表した。その20分前にバンスに直接電話して、「私たちは国を救わなければならない。君は最善の方法で私を助けてくれる人物だと思う」と告げた。

トランプにハイテク資産家を橋渡し

両者の関係が親しくなったのは、トランプがカリフォルニア州で選挙資金パーティを開催した6月頃からである。バンスはベンチャーキャピタリスト時代のコネを使って、トランプとシリコンバレーのハイテク資産家の橋渡しをした。バンスは上院選挙でトランプから支援を受けたことに感謝しており、トランプに最も忠実な政治家となっていた。

さらにトランプの側近もバンスを推挙した。特に2016年の大統領選挙でトランプを勝利に導いた極右のスティーブ・バノンや保守派のジャーナリストのタッカー・カールソン、バンスの親友であるトランプの長男のトランプ・ジュニアなどは、トランプに「バンスは最も忠誠を示す人物になる」と説得した。さらにピーター・ティールなど保守的な起業家も相次いでバンスを推した。

トランプにとっても、大統領選挙を戦ううえでバンスを副大統領にするメリットがあった。まずバンスがオハイオ州を地盤としていることだ。同州に隣接するペンシルバニア州やミシガン州などの“激戦州”での州の勝敗が選挙に決定的な影響を与える。これらの州は白人労働者の有権者が多い。

バンスは『ヒルビリー・エレジー』を出版した後、「白人労働者階級」出身を売りものにしている。バンスが副大統領候補になれば、ラストベルトの激戦州の白人労働者にアピールすることができる。もう1つの打算は、バンスの妻がインド系の移民の子供であり、移民や少数民族にアピールすることができることだ。妻はイェール大学法科大学院のバンスの同窓生である。

さらにトランプにとってバンスは頼もしい存在でもあった。バンスは弁護士で、多くの訴訟を抱えるトランプに有効なアドバイスを与えることができる人物である。バンスはさまざまなメディアに登場し、優れた話術の能力を発揮していた。トランプにとってバンスは自分の「メッセンジャー」の役割を効果的に果たしてくれる人物でもあった。トランプをシリコンバレーと繋ぐ重要な役割を果たしてきた。

そして何よりも「MAGA運動」を牽引する役割も果たしている。バンスは共和党内の右派勢力の支持を得ていた。民主党の幹部は「バンスはワシントンで最も極右の過激派の1人である」と語っている。中絶問題などの政策でも極めて保守的な立場を取っている。保守的なキリスト教徒のエバンジェリカル(福音派)の支持もある。

バンスは「MAGA運動」の次の指導者か

アメリカの多くのメディアは、バンスを「MAGA運動」の次の指導者になると指摘している。また一部の論者は「バンスはトランプよりもはるかに右寄りである」と、警戒心を露わにしている。

最後に1つ付け加えるとすれば、バンスが共和党の副大統領候補に決まったのは、バイデン大統領が選挙から撤退し、ハリスが民主党の大統領候補として登場する前である。トランプは大統領選挙での勝利を確信し、バンスを選択することは無党派にアピールするよりも、共和党支持基盤を強化する狙いがあった。

だが、ハリスが民主党の大統領候補になり、無党派層を引き付けている。さらに大統領選挙の最大の争点が中絶問題になるのは間違いない。そうなるとバンスの連邦レベルでの中絶全面禁止を支持する超保守的な立場は、トランプにとって足かせとなる可能性もある。

MAGA運動は、白人労働者とエバンジェリカルを主体として自然的に発生したトランプ支持グループである。明確な思想に基づいた運動体ではない。バンスは「国家保守主義」や「反エリート主義」を主張している。バンスはMAGA運動を新しい次元に昇華させることができるのだろうか。一部の論者は、「バンスは労働者を見捨てた」とその変節を説明している。

トランプが勝利しても、敗北しても、「トランプ後」の共和党をバンスが引き継ぐ可能性はある。選挙中は当然、選挙後もバンスの発言や行動は注目しておく必要がある。

(中岡 望 : ジャーナリスト)