このつるつるすべる廊下というシチュエーションを設定することで、お膳立ては完璧である。航一はこの廊下をどてんとかなり大胆にスッ転ぶ。寅子が手を貸し、そのままお互いの手を握り合う。十分近付いた。射程距離内。さぁ、航一、行けぇ(!)。

 少し気恥ずかしそうにそれぞれ下を見ながらも、一応向き合う姿勢になっている。一度手を離してから抱き合う。ツーショットになると身長差が強調される。ここはひとまず航一がリード。膝をきゅっきゅっと曲げて高さを調節する。寅子の唇に狙いを定めようとするが、彼女は笑いをこらえている。唇と唇が重なる。あぁ、これでやっと距離がゼロ。

 笑ってしまうくらいぎこちない動きと運びだが、寅子がぶぶっと吹き出し、航一も微笑む。唐突なつるつる廊下作戦とはいえ、何をふざけてるんだ。

 でも寅子と航一が折り合いをつけた「永遠を誓わない、だらしがない愛」の視覚的な表明としては、ほほえましく及第点といったところだろうか。

◆GHQの指導による日本映画初のキスシーン

 ところで、この二人のキスは、「接吻」と日本風に表現したほうがいいのかしら。キスとカタカナ英語でいうのはシャレ過ぎてる気もするというか、何せ「世界初の接吻の試み」みたいなぎこちなさだったのだから。

 21世紀の令和を生きるぼくらからしたら、20世紀の戦後すぐを生き抜く男女の関係性が古風に写るのは当然である。だからやっぱり接吻かなと思うのだが、ここで戦後の日本映画でのキスシーンを思い出してみる。

 日本映画最初のキスシーンが描かれたのは、佐々木康監督の『はたちの青春』(1946年)だ。佐々木監督は戦後の日本を間接統治したGHQによる検閲をくぐり抜けた第1号映画にして、並木路子の「リンゴの唄」が大ヒットした『そよかぜ』(1945年)の監督でもあるのだが、『はたちの青春』でキスシーンを含めることは、GHQによるアメリカ式の啓蒙的な指導によるものだった。

◆ぎこちないなりに感慨深い

『はたちの青春』の撮影では俳優たちがうがい水を常備するあまり、消毒臭くて仕方ないものだったらしく、ロマンもへったくれもない。アメリカが求めたキスシーンは全然甘い口あたりのものではなかった。

 同作よりちょっとロマンティックな映画なら、窓ガラス越し(外では雪!)のキスシーンで有名な『また逢う日まで』(1950年)がある。

 田島貴男が歌う「接吻 kiss」の歌詞世界では「長く甘い口づけ」が持続するというのに、戦後の日本では少しずつキスシーンへの耐性をつけ、段階を踏みながら、映画の中でキスを表象していったのだ。

 だとするなら、『虎に翼』のぎこちないキスシーンは、当時の撮影環境を踏まえた一種のパロディ的な描写とも理解できる。

 寅子と航一がキスをするのは1953年のことだから、GHQによる占領は終了していた。新しい時代の価値観を体現する法律家の二人が唇と唇を重ねるのはぎこちないなりに感慨深い。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu