5月30日の交流戦で日本ハムの山粼福也が「6番・投手」でスタメン出場し、自ら先制打を放ち、勝利投手に輝くなど"リアル二刀流"の活躍を見せた。また、6月25日の試合では広島の森下暢仁が今季2度目の猛打賞をマークし、今季の打率は4割2分9厘となった。そこで、プロ野球記録の3021試合に出場の名捕手・谷繁元信氏に聞く、マスク越しに見た「強打の投手」は誰だったのか? また現役選手のなかで「打てる投手」は?


6月25日の試合で今季2度目の猛打賞を記録した広島の森下暢仁 photo by Sankei Visual

【往年の打てる投手たち】

── 谷繁さんの現役時代、「強打の投手」のイメージがある選手は誰でしたか?

谷繁 結構いましたよ。そのなかでもすぐ頭に浮かぶのは、巨人の斎藤雅樹さん、桑田真澄さんですね。時々、ホームランを打っていた記憶があります。あとカープ時代の前田健太(現デトロイト・タイガース)もいいバッティングをしていました。

── ほかにバッティングのいい投手で印象に残っている選手はいますか。

谷繁 私が現役を引退したあとですが、DeNAのジョー・ウィーランドですね。ウィーランドは2017年に投手として10勝を挙げ、シーズン3本塁打をマークしています。当時のアレックス・ラミレス監督は、彼が打席に回ってきてもそのまま打たせ、直後のイニングで投手交代ということもたびたびありました。また、延長戦で彼を代打に送って四球で出塁し、サヨナラ勝ちにつなげたこともありました。

── 谷繁さんと同じチームで強打の投手は誰でしたか。

谷繁 まず、横浜時代なら野村弘樹さんですね。それこそPL学園時代、立浪和義さん、片岡篤史さんらを抑えて4番を打ったこともあったと聞きました。プロではろくに打撃練習もしていないのに「よくこんなに打てるなぁ」と思うくらい、いいバッティングをしていました。私が打順7番か8番でチャンスを潰したあと、9番の野村さんが打ってくれて、何度か助けもらったことがあります。今となってはいい思い出です。

── 野村さんは98年の西武との日本シリーズ第1戦でも投打にわたる活躍でした。

谷繁 4回裏と5回裏に、野村さん自ら先頭打者で連続二塁打を放ち2得点。その試合の勝利投手になり、日本一に向けていい流れをつくってくれました。

── 中日時代はどうですか。

谷繁 やはり川上憲伸ですね。いいバッティングをしていました。印象深い本塁打も何本か打っています。

【捕手・谷繁なら大谷翔平をどう攻める?】

── 打撃のいい投手を打席に迎えたとき、捕手の立場からするとどうですか。

谷繁 ピンチのときにバッティングのいい投手を迎えると、やはり野手が打席に入っているのと同じような感覚で攻めないといけないですから、神経を使いますし嫌でしたよ。抑えて当たり前というなかで、打たれたときのダメージはハンパないですから。

── 先の交流戦で、日本ハムの新庄剛志監督は打撃に定評のある山粼福也選手を6番で起用し、甲子園での阪神戦で西勇輝投手から先制打を打ちました。

谷繁 山粼は高校3年(2010年)のセンバツ大会で、日大三高の5番打者として放った13安打は、大会最多安打タイ記録と聞いたことがあります。強打の日大三高でクリーンアップを打つような選手ですから、レベルは相当高いですよね。

── 山粼選手のほかにも、広島の森下暢仁選手が打率4割を超えで話題になりましたが、そのほか現役選手のなかで打撃センスを感じさせる投手は誰でしょうか。

谷繁 ヤクルトの石川雅規はしぶといバッティングをします。あと、巨人の山粼伊織、DeNAの中川颯はいいですね。ともに右投左打ですが、スイングが野手と変わらない。中川はオリックスから移籍してプロ初勝利の試合(5月18日)で、中日の左腕・松葉貴大のカーブを横浜スタジアムのライト中段に叩き込みました。あのバッティングにはびっくりしました。

── 大谷翔平選手(ロサンゼルス・ドジャース)がメジャーの本塁打王を獲る前のエンゼルス時代の2022年に、捕手・谷繁が大谷を攻めるとしたらという問いに「内角のファウルでカウントを稼ぎ、内角高めを見せて嫌な感じにさせておいて、最後は外角に落とす」とおっしゃっていました。今ならどう攻めますか。

谷繁 基本的な攻め方は変わらないと思いますが、味方投手によりけりだと思います。球速があって、高めのストレートに威力がある投手であれば、高めの真っすぐを中心に攻めることになるでしょうね。

── 今季は打者に専念していますが、二刀流のときからよく走ります。大谷選手の盗塁、走塁に関してはいかがですか。

谷繁 打つだけ、投げるだけではなく、そつなく高いレベルでプレーできる選手です。彼に関しては、常識やセオリーが通用しない。今後もさらなる飛躍に期待しています。


谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)/1970年12月21日、広島県生まれ。江の川高(現・石見智翠館)時代に甲子園に2度出場し、3年夏はベスト8進出。88年のドラフトで大洋(現・DeNA)から1位指名を受けて入団。98年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得し、日本一に貢献。2002年に中日に移籍。06年にWBC日本代表に選出され、世界一を獲得。13年に通算2000本安打を達成し、14年から選手兼監督となり、15年に現役を引退、16年は監督選任となり指揮を執った。通算3021試合出場(NPB歴代1位)、27シーズン連続本塁打など、数々の記録を残した。引退後は各種メディアで評論家、解説者として活躍している