「人を殴る才能がある」武居由樹は、いかにして井上尚弥に「ボコボコにされた」のか? マススパーリングは「憂鬱」で「恐ろしい時間でした」
武居由樹インタビュー 後編
(前編:ボクシング世界王者になる直前に大ピンチ 八重樫東トレーナーは「あんなこと言わなきゃよかった」と反省した>>)
5月6日、東京ドームで行なわれたWBO世界バンタム級タイトルマッチで新王者に輝いた武居由樹。その試合後には、同じ大橋ジムの"モンスター"井上尚弥と行なったというマススパーリングも話題になった。武居とトレーナーの八重樫東氏にその背景と内容をあらためて振り返ってもらいながら、八重樫東トレーナーから見た武居の際立つ才能、磨き続ける武器について聞いた。
「5.6東京ドーム」翌日に会見に臨んだ(左から)井上尚弥、大橋秀行会長、武居由樹 photo by 日刊スポーツ/アフロ
――武居選手はボクシング転向後、マロニー戦までの8戦すべてをKOで勝利してきました。KOへのこだわり、コツなどはありますか?
武居 コツというのはわかりませんが......先ほど(前編で)も言ったように、K-1での経験が大きいですかね。「倒して勝つ」ことにはこだわりがあります。
――以前、同門の井上浩樹選手に、武居選手とマススパー(※)をした時のエピソードを聞きしましたが、「独特なパンチのフェイントがある」「動物っぽい」と印象を話していました。
(※)マススパーリングの略称。ヘッドギア、大きなグラブを着用したうえで、受け手にダメージが残らない負荷で行なう実戦形式の練習。ヘッドギアの有無やパンチの強度は、選手のレベルによっても変化する。
武居 動物(笑)。
八重樫 それは普通に悪口でしょ(笑)。
武居 ただ、ボクシングが下手なだけです。本当にそうなんですよ。
――キックボクシングを経ているからこそ、セオリーにない動きや技術があるという、いい意味だとは思いますが(笑)。
武居 そうですね。そこは、八重樫さんの指導もありますし。
――八重樫さんは、武居選手が目指すべき選手像をどう考えていますか?
八重樫 「尖った一本の鋭いものを作っていく」という感覚ですね。井上尚弥は、すべての武器が揃っていて、形で表現すると「とてつもなく大きな丸」です。でも、武居はそういうタイプではありません。ひとつの武器を思いきり磨き続けて極める選手。そういう選手が突き抜けますから......(武居を指さして)なんか、めっちゃ、笑ってる。
武居 なんか、怪しい社長みたいなことを言いますね(笑)。
八重樫 おい!(笑)
――その磨き続けている武器とは、強打、KOできる力でしょうか?
八重樫 そうですね。武居は、言い方は悪いかもしれませんが"人を殴る才能"がある。"当て勘"というものにもなりますけど、その強いパンチを当てるために、僕が"助走"を作らないといけないと思っています」
――"人を殴る才能"について、もう少し詳しく聞かせください。
八重樫 たとえば、尚弥は洗練された技術があるので、"パンチを打ち抜く"という表現が適切なんですけど、武居の場合は"ぶん殴る"という表現のほうが合っている。武居の父親(=「POWER OF DREAM」の古川誠一会長)の教えですね。
――育った環境で自然と培われた能力ということでしょうか?
八重樫 そうですね。武居の近くには、幼少の頃からずっと格闘技がありました。練習でも、やらないとやられちゃう。小さい頃からパンチを当てたり、蹴ったりすることをやっていたので、その感覚が身についている。さらに、パンチをもらいたくないから避ける、もしくは避けてからパンチを当てるようにしていった。それらは古川会長が作ったいい環境だと思っています」
【井上尚弥とのマススパーで感じた恐ろしさ】――武居選手は「緑色のベルト(=WBC)が欲しい」と話していましたが、中谷潤人選手が現在保持しているということではなく、「かねてから」ということですか?
武居 そうですね。ボクシングに転向する前から、あのベルトに憧れがあります。
――バンタム級の主要4団体のベルトは、すべて日本人選手が保持しています。同門でWBAの王者である拓真選手と、普段の練習で手を合わせることはあるのでしょうか?
武居 拓真さんとはないと思います。僕がサウスポーで、拓真さんがオーソドックスなので、今後にお互いの対戦相手のスタイルが似ていたりすれば、やらせてもらえるかもしれませんが。
――試合から一夜明けた会見では、マロニー戦の約1カ月前に武居選手と尚弥選手がマススパーをしていたことを、大橋秀行会長が明かしていましたね。
武居 はい、10ラウンドです。本当にいい勉強になりました。メッタ打ちにされましたね(笑)。マススパーをやることは、その1週間くらい前に聞かされたんですが、すごく不安になりました。
もともと僕は、誰とやるにしてもスパーの時のほうが緊張します。試合のほうが気はラクというか、いい意味で開き直っているのかもしれません。自分で言うのも変ですが、試合とスパーではまったく動きが違うと思います。K-1時代は、そんなにガチのスパーをやっていなかったんです。マススパーやミットなどで仕上げていました。ボクシングに転向してからスパーをするようになって、「こういう仕上げ方をするのか」と知りました。
――スパーをやらないというのも、古川会長の方針でしょうか?
武居 そうですね。やるとしても、14オンスの大きいグローブをつけて、ヘッドギアなしの少し強めのマススパーをする、みたいな感じでした。
――尚弥選手とやったのもマススパーとのことですが、それでも不安になったんですか?
武居 やると聞かされてからの1週間は憂鬱でした。尚弥さんも試合を控えているなかでマススパーをやってもらえるのはもちろん、本当にありがたいことなんです。でも、やはり不安のほうが大きかったですし、怖かったです。
――実際に対峙していかがでした?
武居 すべてにおいて全然違いましたね。会見の時にも言いましたが、格闘技人生のなかで一番ボコボコにされました。その次の日には、「昨日は何もしなかった」言い聞かせて、記憶から消しました(笑)。いや、冗談ですけどね(笑)」
――キックボクシング時代を含め、さまざまな相手と手を合わせてきたと思いますが、どの相手とも比較できないほどのレベルでしたか?
武居 はい、比較にならないです。打ちたいパンチを打たせてもらえず、こちらがやりたいことがドンドン潰されていくんです。打とうとしてもその位置に尚弥さんがいない、打ったとしても逆にこちらがパンチをもらってしまう。普通の相手であれば、パンチが当たらないなら別の方法で当てる工夫ができるのですが、尚弥さんには、自分のよさ、武器、やりたいことを封じられてしまった。最終的にはガードを固めるしかない、みたいな感じになりました。
――それで尚弥選手から、「このままじゃ止められるぞ!」という激があったと。
武居 恐ろしい時間でした......。でも、何度も言いますが、本当にありがたかったです。
――パウンド・フォー・パウンド(PFP)で世界のトップ争いをしている選手が同じジムにいる環境についてどう思いますか?
武居 マススパーは、本当にいい経験でした。普段も尚弥さんと他の選手のスパーを見て、勉強させてもらっています。
八重樫 またやるよ。
武居 何を......ですか?
八重樫 (尚弥との)マススパー。
武居 ......(無言のままうつむく)」
――試合後、リング上のマイクで「足立区から来た武居が東京ドームで世界チャンピオンになりました」と話していました。ここまでを振り返ってみていかがですか?
武居 そうですね、順調......ですかね?
八重樫 周囲から見たら順調に見えても、みんな血ヘドを吐きながらやっていますからね。選手自身は目一杯だったりします。だから、「順調だね」と言われるうちはいいんですが、自分で「順調だ」と思ったらダメ。もっともっと追い込んでいかないと、本当の意味で、順調にならないので。だからこそ、トレーナーである僕や周りがハッパをかけないといけないです。そうしないと、どこかで立ち止まってしまって、キャリアが崩れてしまうことになりますからね」
武居 やっぱり、言うことがどこかの会社の社長っぽいですね(笑)。
――今回、おふたりの信頼関係もよく伝わってきました。
八重樫 そうですか? 普段の会話は嚙み合わない時もありますよ(笑)。
武居 そうかもしれないです(笑)。
【プロフィール】
■武居由樹 (たけい・よしき)
1996年7月12日、東京都足立区生まれ。10歳でキックボクシングを始め、足立東高時代はボクシング部でも活躍。「power of dream」に所属し、2014年11月にKrushでキックボクシングデビュー。17年4月には第2代K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王座を獲得。23勝(16KO)2敗の戦績を残し、20年12月、ボクシング転向を発表。元世界3階級王者の「激闘王」八重樫東トレーナーに師事し、21年にプロボクシングデビュー。プロ5戦目で、東洋太平洋スーパーバンタム級王座獲得。バンタム級転向のため、2023年11月にタイトル返上。2024年5月6日、WBO世界バンタム級タイトルマッチにて、王者ジェイソン・マロニーに判定3−0で勝利を収め、世界初挑戦で王座を獲得した。戦績は9戦9勝(8KO)。
■八重樫東(やえがし・あきら)
1983年2月25日、岩手県北上市生まれ。拓殖大学2年時に国体優勝。2005年3月に大橋ジムからプロデビュー。06年東洋太平洋ミニマム級王座獲得。11年にWBA世界ミニマム王座を獲得。13年にはWBC世界フライ級王座を獲得し、3度防衛。15年にIBF世界ライトフライ級王座を獲得、日本人3人目の3階級制覇を達成した。井岡一翔、ローマン・ゴンサレスなどとの激しいファイトスタイルから「激闘王」の異名を持つ。2020年9月に引退を発表。通算戦績は、35戦28勝(16KO)7敗。