故意の暴投にブチギレ…外野まで追っかけ大乱闘 元助っ人の反省「有名になってしまった」
元広島アレンが語る大門と大乱闘「有名になってしまった」
かつて広島でプレーしたロッド・アレン外野手を覚えているだろうか。多くのファンが思い出すのは、大洋(現DeNA)の大門和彦投手との乱闘騒ぎだろう。背中の後ろを通された暴投に激高し外野まで追いかけまわした。「あれで有名になってしまった」と苦笑いで反省する。
1988年にインディアンス(現ガーディアンズ)傘下AAAで3冠王を獲得したが、メジャー定着とはいかず、昇降格を繰り返す日々。広島からの誘いは「チャンスだったんだ」と振り返る。当時は海外選手とのパワーの差も大きかった。「日本はパワーヒッターが好きだし、自分にはパワーがそれなりにあった」。日本でなら活躍できると感じた。
1989年に来日した助っ人は生稲晃子の「麦わらでダンス」の応援歌で豪快アーチをかけた。1年目こそ、11本塁打、39打点に終わったが、2年目の1990年には4打席連続本塁打を放つなど、98試合の出場で打率.313、25本塁打をマークした。ただ、同年に事件は起こった。
6月24日、横浜スタジアムで行われた大洋戦。大門和彦投手が投じた1球は背面を通る大暴投になった。アレンはヘルメットを投げつけ、大門めがけて猛ダッシュした。直前の7回にはアレンが本塁突入の際に秋元宏作捕手と交錯し負傷交代。大洋の須藤豊監督が帽子を投げつけ猛抗議する場面があった。それの報復だと感じたアレンは外野まで追いかけまわし、両軍が外野に集まる異例の大乱闘になった。
同年の後半に握手で和解「思い起こすと凄い面白いよね」
「あれは忘れることは難しいよね」。まるで追いかけっこのようになったシーンは「プロ野球珍プレー好プレー大賞」の常連になってしまった。「多くの人があれを見て笑ってるよね。あれでとても有名になってしまった」。
その後、同年の間に大門に会いに行き握手をして和解したという。結果的に退場になってしまい、当時こそ反省はしていたが、今となれば良い思い出。「記憶を思い起こすと、凄い面白いよね」と豪快に笑う。
「監督のコウジ・ヤマモト、コーチのミズタニ(水谷実雄)……あと、ノムラ(野村謙二郎)は良い選手だった。良いチームメートと監督に恵まれたよ」。わずか3年間の在籍だったが、すらすらと名前が出てくる。「練習はとにかく長かったけどね」。
現在は米国に戻り、マーリンズの地元放送局「バリースポーツ・フロリダ」のレポーターを務める。7日(同8日)、敵地・ドジャース戦では孫のニック・アレンくんが「ALLEN 00」と書かれた広島時代のユニホームを着用して観戦していた。大乱闘で沸かせた助っ人にとって、広島の思い出は忘れられないものとなっていた。(川村虎大 / Kodai Kawamura)