「貸さない家主が悪い」とは誰も言えない…83歳男性が25年住んだ月10万円の家を強制退去させられた理由
※本稿は、太田垣章子など共著『死に方のダンドリ』(ポプラ新書)の第4章「老後に住める家を見つけるダンドリ」の一部を再編集したものです。
■かつて高齢者は「優良顧客」だった
2018年に行われた調査でも、家主や不動産会社の大半が「できたら高齢者に貸したくない」と思っているという結果が出ています。そこには、賃貸借契約の相続や孤独死に絡む問題以外にも、さまざまなトラブルがあることがうかがえます。
・ 家族が対応しない。言ってもしてくれない
・ 共有部分で失禁・糞尿をする(制御できない)
・ 電球を替えられない、テレビが映らない(単なるコンセント抜け)、エアコンのリモコンが反応しない(単なる電池切れ)などの理由で呼び出される
・ 耳が遠く、大きな音でテレビを視聴するため、他の入居者とトラブルになる
・ 室内を片づけられず、汚部屋になる
・ 隣人に金の無心をしたり、被害妄想で近隣や警察に迷惑をかけたりする
・ ボヤ程度だが、火事を起こした
・ 生活スタイルの違いから、隣人と生活音トラブルになる
一昔前までは家族や親戚が対応していたことを、民間の家主や不動産会社が対応しなければならない状況が起こっているのです。彼らができるだけ高齢者に貸したくないと思うのも、仕方のないことだと思ってしまいませんか。
本来なら家主側にとって、高齢者の賃借人はいったん入居すると若い人ほど引っ越しすることが少なく、結果として長期入居してくれる「優良顧客」です。しかし、老化が進むとさまざまなトラブルを引き起こす可能性もありますから、入居審査の判断は簡単ではありません。
■孤独死以外にもある高齢者の賃貸トラブル
若い人もトラブルを起こすことはありますが、家主側の負担が大きい高齢者によるトラブルのほうが数が多いといえます。ところがトラブルの相手が高齢者の場合、法律だけで事務的に解決できないことも多々あります。
たとえば、賃借人が家賃を滞納して、話し合いでは解決できなかったとしましょう。そのときは訴訟手続きで明け渡しの判決をもらい、強制執行という手続きで滞納した賃借人を強制的に退去させることができます。
ただ、高齢者の場合はスムーズに退去させられないこともあります。執行官が「この高齢者をここから追い出した場合、その後生きていけるのか?」とためらってしまうと、判決は出ていても執行してくれない場合があるからです。
こうなると家主は大変です。家賃を払ってもらえないから仕方なく訴訟を起こし、判決をもらって強制執行を申し立てたのに退去させられない。八方塞がりになってしまいます。
高齢者が賃貸住宅を借りにくいことを象徴する、リアルな実態をひとつ紹介しましょう。司法書士として私が実際に関わったケースです。
■独りで住むには贅沢…住み替えを怠った83歳男性のケース
83歳になる賃借人の男性が、家賃を滞納しました。
滞納額は既に80万円を超えています。部屋は45m2の2DK。家賃は月10万7000円でした。ひとりで住むには、かなり贅沢な部屋です。
この家賃帯なら、月々30万円くらいの収入が必要でしょう。そもそも年金額以上の家賃ですから、よほどの資産がない限り払い続けることはできません。滞納が始まったということは、貯金が底をついたということでしょう。
話をするために現地を訪れても、本人はいつも不在。高齢者の場合には、在室していることが多いのですが、この賃借人のおじいちゃんにはなかなか会うことができませんでした。しかも夏の暑いさなかに、電気・ガス・水道も止められていました。
生活はかなり追い詰められていたのでしょう。折しも、連日35度を超える酷暑。室内で倒れているのでは? と心配すらしましたが、当の本人は朝起きたら身支度をして図書館やスーパー、複合施設の中で過ごしていたようです。
滞納の理由は、安い物件に転居するタイミングを逸したからに違いありません。賃借人は72歳まで、タクシー運転手として働いていました。仕事している間は、年金も加算されて、生活はできていたはずです。現役のタイミングなら、安い身の丈に合った部屋への転居はできたでしょう。
■家賃を滞納しても明け渡しを拒絶
裁判で、おじいちゃんは滞納していることは認めたものの「25年以上借りているんだから、自分が最期まで住んだとしても罰は当たらない」などと暴言も吐いていました。しかし、裁判官に一喝されて黙るしかなく、その場で明け渡しの判決が言い渡されました。
こうなると最終的には、強制執行で部屋から退去させられてしまいます。法廷を出た後、おじいちゃんに説明すると「それは困る。助けてほしい」とすがってきます。こうなると私も放っておくことができないので、その足で一緒に役所に行きました。
住まいのエリアの高齢福祉課(場所によって担当課の名前は変わります)では、低所得の人たちの住まいも確保されていました。ところが、驚くことにおじいちゃんは「引っ越しは断ります!」と言って役所に行ってから意思を翻したのです。
福祉課も本人が「お願いします」と言えば手を貸してくれますが、本人が拒否してしまうと権限がないために、何もできなくなってしまいます。
裁判所で「助けてほしい」とお願いされたから、私もわざわざ役所までおじいちゃんを連れて行ったのに、その場で「引っ越しは断ります!」と言われてしまうと、もうお手上げです。時間の問題で執行になることを伝えても、本人が首を縦に振りません。そのため、身内でない第三者の私も、福祉の人たちも何もできなくなってしまいました。
■黒ずみはゴキブリの卵、じゅうたんのように湧いたウジ虫
おじいちゃんが引っ越しを拒んで部屋を明け渡さなかったため、強制執行の手続きは進んでいきました。執行官にも役所側にシェルターが用意されていることを伝えると「困ったじいさんだね。執行はするけど、役所とは連携してね」と言われ、頭を抱える日々が始まりました。
強制執行までの1カ月、私と役所の人が延々とおじいちゃんを説得し、最終的には執行当日の朝、役所の車で身の回りの物だけ持ってシェルターに避難となりました。おじいちゃんも酷暑の中、ホームレスになろうと腹を括ることはさすがにできなかったのでしょう。
それにしてもこの日までの福祉の人や私の努力は、どう評価されるのでしょうか。最初からすんなり動いてくれれば、強制執行の費用は掛からず、私たちの労力も不要でした。すべて高齢が原因だとは言い切れませんが、やるせない思いは残ります。
ようやく部屋は明け渡してはもらえましたが、それからも家主は大変です。執行された部屋の壁が、黒ずんでいました。汚れかなと思っていたら、なんとゴキブリの卵! 部屋の中にはネズミもたくさん、蛆もいっぱい。動いているものもいれば、動かなくなったものもいて、まるで絨毯のように部屋中を覆っています。
壁の卵もこれだけびっしりなら、おそらく生きたゴキブリもたくさんいたのでしょう。思い返してみても、おぞましい光景です。ここに人が住んでいた、ということだけでも信じられません。
■家主「事故物件にならなくてよかった」
当然ながら室内は、見事なゴミ屋敷。リフォームに数百万円かかるでしょう。しかも部屋の中から、6柱のご位牌(いはい)が出てきました。本人は「捨ててくれ」と軽いものです。ところがそのまま執行では処分できないので、供養してくれるお寺に家主側が費用を払って納めるしかありません。長年住んでくれたとは言え、家主にとってみれば大変な損失です。
「正直、事故物件にならなくて良かったと思うしかありません」
力なくつぶやいた家主は、このエリアの大地主だから何とかなったのかもしれません。これが融資を受けて家主になった人なら、1年分以上の純利益が吹っ飛んだでしょう。
家主や管理会社だけでなく、働いていた時の同僚からも「もっと安い物件に早く引っ越しした方がいい」とアドバイスをもらっていたにもかかわらず、耳を貸さなかったことで、多くの人に迷惑と金銭的負担をかけてしまったおじいちゃん。高齢になると頑固になるのか、善悪がわからなくなるのか、断捨離や連帯保証人が原因なのか、私にはわかりません。
この賃借人のおじいちゃんに限らず、私が出会った明け渡し訴訟の相手方の高齢者は、タイミングを逸して転居できなかった人たちが非常に多いです。60代でまだ仕事をしていれば、家賃保証会社の加入だけで部屋は借りられます。ところが70歳を超えてしまうと、高齢者に部屋を貸したくない家主側は、滞納の心配というより亡くなった後の手続きをしてくれる身内の連帯保証人を条件とします。身内はいるでしょうが、頼れる関係ではないのでしょう。
■「貸さない家主が悪い」とは誰も言えない
高齢になれば、兄弟姉妹も高齢なので連帯保証人になれるほどの経済力がありません。そうなると子どもか甥・姪になりますが、そもそも疎遠で交流がないのが大半です。
そのような背景があるので、身内の連帯保証人を求められてしまうと、この段階でほとんどの人が撃沈。ひとつめのハードルを越えられず、部屋探しは諦めるしかなくなってしまいます。
また高齢になると日々の生活で精一杯で、先のことを考えて行動できないようです。見たくないのか、自分の収入もいつか減るということをなかなか想像しません。その時のために、予め安い物件に引っ越そうとせず、問題を先延ばしにしてしまいます。
さらに今より安く狭い物件に引っ越すためには、当然、荷物も断捨離していかねばなりません。これがふたつめのハードルです。元気そうに見えても、年を取ると荷物の処分を自分ではできません。誰かの手を借りなければ、断捨離や部屋の片づけは難しくなります。
結果、安い物件に引っ越すことができず、トラブルに発展してしまう高齢者は後を絶ちません。
家主側が一度こういったトラブルを経験してしまうと、次から高齢者には貸さないと決めるのは当然の帰結です。結果、高齢者がますます借りられない世の中になっていきます。「貸さない家主が悪い」とは、誰も言えないのです。
■家賃滞納で明け渡しを求められるケースが続々
代表的な例を見ていただきましたが、私は今も毎週のように裁判所に通い、複数の賃貸トラブルを解決するために走り回っています。すべて紹介することはできませんが、他にもこのような事例があるということを知っていただければと思います。
・高齢者が契約直後から家賃を滞納し、この5カ月間、ただの1円も家賃を払っていない。携帯電話は変更され、連絡がつかず、裁判にも出廷しない。しかし裁判官は、判決によって賃借人の住んでいる家を奪うことになる重さにプレッシャーを感じるのか、すんなりと判決を出してくれない
・70代の賃借人が家賃を50万円近く滞納。家主から明け渡し訴訟を起こされた。年金はほとんどないのに、家賃が7万2000円。未だに働いているので(働かざるを得ない)生活は細々と何とかなるものの、家賃まで支払えないとのこと。家賃が生活保護受給の制限内であれば、差額を補助してもらえるが、家賃価格が高かったため何の補助も得られず、本人も動くに動けない状態だった
・明け渡し訴訟の判決が出て執行も終わった80代の賃借人。認知度や介護度を考えるとグループホームや特別養護老人ホームには入居できないため、安い老人ホームを探しているが身元保証人がいない。身元保証人がいないと、この高齢男性が亡くなった後、退所手続き、部屋の片づけと荷物の撤去をしてくれる人がいないため、安い老人ホームにも入居できない
・老朽化の進んだ築60年以上の賃貸住宅を取り壊したいが、80代の賃借人が立ち退き交渉に応じない。滞納額は200万円近くにのぼっており、家主が明け渡し訴訟を起こした。賃借人は目を患っていて、視力がかなり低下している。身元保証人がいなかったが、奇跡的に受け入れてくれる施設が見つかるのを待って強制執行が行われた。部屋はいわゆる「汚部屋」になっていたが、その中から120万円以上の現金が見つかった。メガバンクに2000万円以上の預金があることも判明した。お金は持っていたものの、お金だけが頼りと思い、家賃を払わなかったとのこと。受け入れ先を探すのに苦戦したため、解決までに1年近くを要した
・入居者が特別養護施設に突然引っ越してしまい、夜逃げ状態に。貸主、管理会社に何の連絡もなく、行政が引っ越しさせた。その後、弁護士から一方的に動産放棄の連絡と自己破産の通知が送られてきた。未回収の家賃だけでなく、荷物の撤去費用まで負担することに。それが1年の間に3回あった。いずれも親族からの支援がない方で、連帯保証人も支払いが困難とのことで、回収不能に陥った。行政にも連絡したが、「仕方がない」と言われた
・高齢者に賃貸物件を貸した。その後、高齢者施設との併用となったが、どこの施設に行っているかがわからない。ケアセンターに連絡したところ、プライバシー保護を理由に教えてもらえず、施設名どころか本人の生死すらわからない状態が続く。ならばと、住民票を取得しようとしても、役所はさまざまな書類を要求してきてなかなか取得させてくれない
■仲の良い家族がいることを前提にした法制度の限界
このような問題は今、全国各地で頻発しており、最近ようやくメディアで報道されるようになってきました。日本は人口対比で認知症患者が多く、高齢化に伴って認知症になる人はますます増えると予想されています。
賃貸住宅に住んでいる人が認知症になるケース、病気が原因で賃貸トラブルになるケースはこれからもっと出てくるでしょう。しばらくは賃貸借契約にまつわる問題は増えることこそあれ、減ることはないと思われます。
しかし法務省は「家主側が相続人と契約の解約手続きをとればいい」との考えで、いまだに抜本的な解決策を示していません。どこまでいっても、仲の良い家族がいることが大前提になっています。これだけ少子高齢化で家族関係が希薄になっている中、前提条件がとっくの昔に消え去っていることを国の偉い方々は気付いていないのでしょうか。
賃貸借契約が相続されず、賃借人の死亡と同時に終了する終身建物賃貸借契約もありますが、認可を受けた物件でのみ使うことが許され、一般的には利用することはできません。
■家主だけが大きなリスクを背負ってしまう
また高齢賃借人に何かがあって福祉の人たちがレスキューしようとしても、本人が同意しなければ、誰にも権限はなく何もできません。認知症が始まって「ひとり暮らしは厳しい」と福祉側が判断しても、本人の意思が尊重されます。
たとえば認知症が始まって自分の糞便を泥団子のようにして投げまくっても、本人が拒否すれば施設に入所させることもできません。それが理由で他の入居者が退去してしまっても、国は家主側の損失を補塡(ほてん)もしてくれません。高齢者の家族に助けを求めない家主が悪いということでしょうか。
この先も、すべての高齢者が、持ち家を持てるわけではありません。そんな中で、民間の家主だけが大きなリスクを背負ってしまうのはあまりに酷だと言うほかないでしょう。
私も現在、賃貸物件に住んでいます。私が70歳以上の高齢者となる頃には賃貸借契約は相続されず、一代限りで終了することを自由に選択できる社会になっていてほしいと本気で願っています。そうでなければ離れて暮らす子どもに手続きをしてもらうしかないからです。子どもに迷惑をかけたくないと考える方は少なくないのではないでしょうか。国が早期に現場の悲痛な声を聞き、法改正してほしいと思います。
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太田垣 章子(おおたがき・あやこ)
OAG司法書士法人 代表司法書士
専業主婦だった30歳のときに、乳飲み子を抱えて離婚。シングルマザーとして6年にわたる極貧生活を経て、働きながら司法書士試験に合格。これまで延べ3000件近くの家賃滞納者の明け渡し訴訟手続きを受託してきた賃貸トラブル解決のパイオニア的存在。家主および不動産管理会社向けに「賃貸トラブル対策」や、おひとりさま・高齢者に向けて「終活」に関する講演も行い、会場は立ち見が出るほどの人気講師でもある。著書に『老後に住める家がない! 明日は我が身の“漂流老人”問題』(ポプラ新書)、『あなたが独りで倒れて困ること30 1億「総おひとりさま時代」を生き抜くヒント』(ポプラ社)などがある。
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(OAG司法書士法人 代表司法書士 太田垣 章子)