1年ぶりに撮影された「M87のブラックホール」の変化した部分・しない部分から分かること
楕円銀河「M87」の中心部にある超大質量ブラックホール(※1)は、天文学史上初めて構造が可視化されたブラックホールです。中央が暗くて周辺が明るい環状構造の画像はよく知られていますが、理論的には時間を空けて撮影すると画像が変化することが予想されていました。
M87のブラックホールを可視化した「イベントホライズンテレスコープ」は、初撮影から1年後となる2018年の撮影キャンペーンで取得された観測データを解析し、画像として出力しました。その結果、環状構造という大枠は変化しない一方で、最も明るい部分が約30度移動していることが明らかにされました。これはブラックホール周辺部の環境を反映したものであり、理論的予測と一致するものです。
※1…M87の超大質量ブラックホールは通称「M87* (エム87スター)」と呼ばれていますが、現時点で国際天文学連合の承認を受けておらず、正式な名称ではありません。
■「ブラックホール」の可視化は100年以上の課題
1915年にアルベルト・アインシュタインによって一般相対性理論が発表された直後の1916年、時空が歪みすぎて光ですら脱出ができなくなる領域が生じるという見解がカール・シュヴァルツシルトによって示されました。これが今日の「ブラックホール」に当たる天体です。
当初は純粋に数学的な存在でしかなかったブラックホールですが、天文学の発達によってブラックホールでないと説明がつかない現象が次々と見つかり、その実在性は疑いようがないほどとなりました。
ただし、ブラックホールそのものを撮影したと言える状況は、ブラックホールの性質により長い間実現できていませんでした。ブラックホールそのものは全く放射をしない一方で、周辺部は物質が集合し大量のエネルギーを放出しているため、物質とエネルギーがブラックホールを覆い隠してしまいます。また、ブラックホールそのものの大きさが小さいことも、撮影を難しくしています。
このような困難があるため、初めてブラックホールの撮影に成功したのはごく最近のことです。世界の様々な電波望遠鏡が連携して撮影を行う「イベントホライズンテレスコープ」は、地球から「おとめ座」の方向に約5500万光年離れた位置にある楕円銀河「M87」の中心部を観測し、そのデータから超大質量ブラックホールの周辺部を画像化することに天文学史上初めて成功しました。観測データは2017年4月に取得され、画像は2019年4月に公開されました。
撮影された画像は、中央が暗く、その周辺部が明るい環状構造となっています。これはブラックホールの時空構造を反映しており、理論的な予測とよく一致します(詳細は記事末尾の補足節にて解説)。ただし、ブラックホールの可視化とそれに伴う科学的研究は1回撮影して終わりというものではなく、継続した観測によって何が変化し、何が変化しないかを確かめることが求められます。これは同時に、独立した観測で同じような状況が再現されるという、科学の原則を確かめることにも繋がります。
■1年越しの撮影で見えてきたブラックホール周辺部の環境
初公開された画像の元になったデータを取得した2017年の観測キャンペーンから1年後、イベントホライズンテレスコープは2018年4月18日から29日にかけて、M87の超大質量ブラックホールに対する新たな観測キャンペーンを行いました。2018年の観測では新たに「グリーンランド望遠鏡」が観測に加わった他、メキシコの「大型ミリ波望遠鏡」が鏡面全体を使用する観測を行えるようになったことで、全体的な感度が向上しています。
また、観測データの記録データが2倍に向上したことで、観測する電波の波長が4つに増え、精度が向上しました。さらに、観測データの分析でも独立した8種類の手法で画像化が行われました。そのうち5種類は環状構造を前提としていない手法です。
その結果、2018年の観測データからも、中央が暗く、周辺部が明るいという環状構造を画像化することに成功しました。環状構造の大きさはブラックホールの質量で決定されるため、1年という短期間では事実上変化しません。1年越しの観測でも同様の結果が得られたことは、環状構造が一般相対性理論によって正確に記述されていることを裏付けています。
一方で、大きく変化した点もあります。環状構造で最も明るく見える位置、つまり電波が最も強く放射されている位置は、2017年と2018年との間で約30度も変化しています。また、コントラストも変わっているようです。ブラックホール周辺部では物質が激しくかき乱され、数日以内という極めて短い時間で状況が変化する乱流が発生しています。つまり、最も電波放射の激しい場所が変化した結果、明るい位置とコントラストが変化して見えたと考えられます。
そして、明るい位置は変化しているものの、そのどちらも画像の下側(南側)であるという点に着目すると、別の現象との関連も見えてきます。この画像のように明るく見える場所は、自転軸から遠い位置 (※2) であることが予測されるため、ブラックホールの自転軸は画像の左右方向 (東西方向) にあることになります。
※2…画像の下側 (南側) が明るいのはブラックホールの回転方向の影響であると考えられます。下側は私たちからは奥側から手前側へと近づいて見えるため、ドップラー効果により明るくなります。一方で画像の上側 (北側) は手前側から奥側へと遠ざかって見えるため、ドップラー効果により暗く見えます。
この自転軸の延長線上には、ブラックホールから離れる方向へと高速で物質が噴出するジェットが存在します。ジェットはブラックホールの自転軸の方向に噴出すると理論的に予測されているため、これも観測結果と一致することになります。
今回の研究結果は、2017年のブラックホールの可視化を追加検証するだけでなく、ブラックホールの周辺部で理論的に予測されてきた現象を新たに直接観測できたという点でも意義のあるものです。ブラックホールという非常に極端な時空構造は、一般相対性理論やそれに代わる重力理論を検証する場ともなるため、これからも継続的な観測と検証が行われるでしょう。
■補足: ブラックホールの直接撮影の意味
可視化されたブラックホールの画像を見ると、中央が暗く、周辺部が明るい環状構造となっています。中央の暗い部分はブラックホールそのものではなく、ブラックホール周辺の電磁波では観測できない領域を反映しています。これは「ブラックホール・シャドウ」と呼ばれています。
ブラックホールの “本体” は「事象の地平面」よりも内側の時空の領域であり、事象の地平面の直径はシャドウの直径の約40%となります。事象の地平面は「外側から内側へ入れる一方、内側から外側へ出ることはできない一方通行の領域」です。一方で、事象の地平面の外側には「外側から内側へ、または内側から外側へと双方向の一方通行が可能な領域(※3)」もあります。この境目は「光子球」と呼ばれます。
光子球の外側から内側へと入る光は最終的にブラックホールへと落下するため、光子球を横切った光は観測できなくなります(※4)。これがブラックホール・シャドウです。電磁波による観測ではブラックホール・シャドウと事象の地平面を分けて撮影することが現状不可能なため、 “ブラックホールの直接撮影” とはブラックホール・シャドウを可視化することを表します。一方、光子球の周辺は重力が強いため、光の進路は大幅に曲げられます。画像の明るい環状構造は、光子球のすぐ外側を進んだ光を反映しています。
※3…より正確には、光子球の定義は「その内側で、あるいは内側を横切る安定な自由落下軌道が存在しない領域」となります。軌道を変更したり加速・減速が行えるならば、光子球の自由な出入りが可能です。しかし光は自由落下軌道で運動するために、光子球の内外に対して一方通行な軌道を取ることになります。
※4…光子球は事象の地平面とは異なり内側から外側へと光が移動できるため、厳密には完全な暗闇ではありません。しかし、光子球の内側に光源が存在したとしても、事象の地平面を横切るまでの短時間しか光を放たないため、現在の技術で観測できる明るさを大幅に下回ります。
Source
The Event Horizon Telescope Collaboration. “The persistent shadow of the supermassive black hole of M 87”. (Astronomy & Astrophysics)“初撮影から1年後のM87ブラックホールの姿”. (EHT-Japan)
文/彩恵りり