こんにちは、書評家の卯月鮎です。私は人の顔がなかなか覚えられません。学生時代、よく「アイドルグループの○○のなかで誰が好き?」と聞かれましたが、知っているはずなのにひとりも顔が思い浮かばず、名前の響きで適当に決めていました(笑)。

 

この新書を読んで、「なるほど、私は人の顔が覚えられないというよりは、そもそも人の顔を見ていなかったんだな」と気づきました。これは自分に対しての新たな発見! どうりで、ビルの名前や駅前の彫刻、レストランのインテリアなどはしっかり覚えているのに、遊びに行ったメンバーはあやふやなんだなあと(笑)。

 

認知神経科学者が解説する顔と脳の関係

さて、今回紹介する新書は、『顔に取り憑かれた脳』(中野珠実・著/講談社現代新書)。著者の中野珠実さんは認知神経科学者で大阪大学大学院情報科学研究科教授。人の心が生成される仕組みを、身体・脳・社会の相互作用の観点から明らかにすることを目標に研究をしています。

 

自分の加工写真にのめり込む理由とは?

人間にとって、顔は他者や自己を理解するうえでとても重要な意味を持っていると中野さんは言います。本書では顔と脳の密接で精巧な関係を解き明かしていきます。

 

まず、第1章「顔を見る脳の仕組み」では、1950年ごろに行われた興味深い実験のデータから話が始まります。ロシアの心理学者アルフレッド・ヤーバスは人がどこを見ているかわかる装置を開発し、視線の動きを調べました。部屋に複数の人物がいる絵を見せたとき、人々の視線の大半は人物の顔を見ている。顔の写真を見せると、視線のほとんどは目と口を行き来していたそうです。

 

この実験から、私たちは普段顔ばかり見ており、特に目と口から情報を得ようとしていることがわかります。人間の目は横長で黒目の位置がわかりやすく、自分が今どこを見ているのか他人に伝わりやすい、と中野さん。目や眉を動かすことでさまざまなシグナルを出し、情報をやり取りしているのですね。

 

本書のメインテーマが第3章「自分の顔に夢中になる脳」。なぜ集合写真のなかで自分の顔だけはすぐ発見できるのでしょうか? 確かに迷うことなくぱっとわかるのは不思議ですよね。

 

自分の顔を無意識のうちに優先する脳の仕組みを明らかにするため、中野さんらはサブリミナル映像に仕込まれた自分の顔と他人の顔に対する脳の活動をMRIで比べる実験を行いました。その結果、自分の顔に対してドーパミン(報酬系を活性化させモチベーションを引き起こす脳内物質)を分泌する部位が強い活動を起こすことがわかったのです。

 

もうひとつ、自分の顔を美しく加工した写真を女子大学生に見せ、MRIで脳の活動を調べると、側坐核という報酬や快感を予測し意欲を高める部位が強く活動することもわかりました。こうした実験から、加工した自分の顔写真をSNSにアップする人が多い理由が伺えます。Tiktokが大流行したのも自撮りがキレイに映るから、なのかもしれません。

 

人は何人まで顔を覚えている? 作り笑いを見破る方法は? 赤ちゃんはどの時期から人の顔を認識できる? など、顔に関する豊富なトピックを盛り込みながら、顔と意識、アイデンティティの関係に迫っていきます。中野さん自身が行っている最前線の研究結果もやわらかい言葉で解説され、なるほどと目からウロコが落ちました。

 

「他者と自己をつなぐ顔という存在は、『人間とは何か』という深遠な問いにつながります」と中野さん。イケメンかどうかだけが顔のすべてではありません(笑)。

 

【書籍紹介】

顔に取り憑かれた脳

著者:中野 珠実
発行:講談社

デジタル時代の今、ネット上は過度に加工された顔であふれている。これはテクノロジーの急速な発展がもたらした、新たな現代病なのかもしれない――なぜ、人間は“理想の顔”に取り憑かれるのだろうか。そのカギとなる「脳の働き」に最新科学で迫る。そこから浮かび上がってきたのは、他者と自分をつなぐ上での顔の重要性と、それを支える脳の多様で複雑な機能の存在だった。鏡に映る「自分の顔」が持つ、新たな意味にあなたは驚くかもしれない。

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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。