2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、女子選手たちへのインタビュー。パリ五輪出場のためには、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)で勝ち抜かなければならない。選手たちは、そのためにどのような対策をしているのか、またMGCやパリ五輪にかける思いについて聞いていく。

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パリ五輪を目指す、女子マラソン選手たち
〜Road to PARIS〜
最終回・細田あい(エディオン)前編


2022年名古屋ウイメンズマラソンでMGCへの出場権を得た細田あい

「これまでの競技生活は、ずっとケガとの戦いでした」

 細田あいは、少し思いつめた表情で、そう言った。

 大学時代は「日体大のエース」と呼ばれ、実業団では駅伝で活躍し、マラソンではパリ五輪の切符を賭けてMGCに挑戦する細田が、陸上で長距離を始めたのは小5の時だった。

「学校で走るのが速いぐらいで県の代表になれるレベルでもなかったんですけど、長い距離を走るのは好きでした」

 当時は、「友人と一緒にできるし、体が強くなる」という理由で水泳もしており、この経験が細田の心肺機能を高めていった。中学では力をつけ、3年時には県大会の1500mで3位、3000mで2位など結果を残し、卒業後は長野東高校に進学した。

「本当は、地元に近い高校を考えていたんですけど、自分は駅伝で全国大会に出たかった。それで駅伝が一番強い長野東に進学しようと決めました。ただ、長野東は家から遠かったため、親元を離れて陸上をしていました。そのくらい長野東で駅伝をやりたいという気持ちが強かったですね」

 長野県内では駅伝で屈指の強さを見せた長野東だが、公立高校ゆえに寮はなく、下宿のような形で監督の家に部員数名とともに生活していた。練習も学校のグラウンドを走るのではなく、家に戻って来て、監督が作ったクロカンコースで走り込んでいた。

「競技場でトラックを使用して走ることはほとんどなかったです。冬は雪が積もるので競技場で雪かきして走るレーンを確保して走っていましたが、ほとんどがクロカンですね。そのおかげで基礎体力がつきましたし、たまにトラックのように反発をもらえるようなところで走ると前に進む感じが得られたので、クロカンでも十分、成長出来ているなというのは感じました」

 細田は、クロカンで磨かれた足で高2の時にはインターハイ1500mに出場し、全国高校駅伝女子にも高2、高3時と続けて出走した。

 日体大でも1年の時から全日本大学女子駅伝、大学女子選抜(富士山女子)駅伝に出場し、活躍した。ここまで駅伝にハマった理由について、細田はこう語る。

「駅伝は、単純に足し算じゃないんですよ。持ちタイムがたとえば3000mで9分30秒の人が集まったとしてもそのチームが必ずしも速いわけじゃない。チームワークとか、コンディションとかプラスアルファの要素が絡みあって結果が出ますし、チームにいると自分はもちろん、みんなでがんばろうっていう気持ちになるんです。陸上は個人競技ですが、駅伝はみんなと一緒という不思議な感覚があって、団体スポーツのおもしろさが凝縮されているので好きなんです」

【ケガがなければ世界とも戦える】

 細田が大学4年間で、最も印象に残った駅伝は4年時の全日本大学女子駅伝だという。

「チームは優勝を狙っていましたし、最後の学年だったので、自分の役割を果たさないといけないと思っていました。チームは7位と悔しい結果に終わったんですが、個人的には3区で区間賞が獲れて、いい走りができたので、やり切れたという気持ちでいっぱいでした」

 細田の陸上人生に大きな影響は与えたのは、この時の駅伝の経験もそうだが、大学2年時のケガも非常に大きかった。

「自分の陸上人生の最初のターニングポイントでした。2年の最初の頃はケガが多くて、ぜんぜん走れず、もう陸上をやめようと考えた時があったんです。そんな時、ずっとケガをしていた先輩が復帰して、すごくカッコいい走りをしていたんです。その時、初めて人の走る姿を見て感動しました。先輩が苦労してすごく頑張っている姿を見てきたので、余計に感動したのもあるんですけど、私も先輩みたいになりたいと思いました。復帰した私を見て、後輩たちに感動してもらえたらいいなって。そこからまた競技に前向きに取り組めるようになったんです」

 ケガから復帰し、大学2年時の世界クロカン(世界大学クロスカントリー大会)では個人9位、団体では優勝した。ケガさえなければ、十分走ることができる。世界とも戦える。その気持ちが着火剤になり、大学3年には関東インカレで5000m、10000mの2冠を達成するなど才能が開花した。

「フォームの改造が大きかったですね。日常生活から意識して、階段を上がる時もフォームを意識していましたし、筋トレもしていくことでケガが減ったというか、しなくなりました」

 細田は、もともと蹴りが強い走りで、外側に巻くような走り方をしていた。膝から下を使うのだが、そのための筋力がともなっていなかった。そのせいもあってケガが多かったが、その強化をしつつ、お尻と太ももを使って走れるように意識した。

「そのフォームがどのくらいで自分にハマったのかは、明確には分からなかったんですが、単純にケガが減ったので、よかったんだと思います」

 トラックで結果が出るようになったが、気持ちはマラソンに向いていた。

「関東インカレで勝てたのは嬉しかったんですけど、トラック自体は得意じゃなくて、将来的にもそこで勝負したいとは思わなかったです。トラックをグルグル回って走るよりもロードで、いろんな場所で走ったりするのが好きでしたし、得意というのもあったので、大学4年の時にマラソンを走ろうかと考えた時期もありました。ケガがあって至らなかったですが、やっぱり将来はマラソンだよねって思っていました」

【マラソン挑戦は高橋尚子に憧れて】

 細田がマラソンに興味を持ち始めたのは、小学生の頃だった。

 シドニー五輪で高橋尚子が金メダルを獲った姿を見て、自分もいつかは金メダルを獲りたいと思い、マラソンに傾倒していった。中学1年の時には、全校行事でマラソンを走り、すごく楽しかったという。フルマラソンだったが、そこで細田は女子の大会記録を生んだ。この時からマラソンを走るセンスをすでに持ち得ていたのだ。

 細田が初めてマラソンの大会に挑戦したのは、2019年の名古屋ウイメンズ。2時間29分27秒で、総合18位だった。

「1年目でのマラソンで、東京五輪のMGCの出場権を得られるレースだったので狙っていったんですけど、全然話にならなくて...。ケガで思うように練習が積めなかったですし、レース中にも故障して思い描いていたレースではなかったんです。でも、レッドカーペットみたいなところを通過してゴールするとすごい歓声で、走破できたんだという達成感がありました。その時、またマラソンを走りたいと思えたので、そこは良かったです」

 結果自体は、納得のいくものではなかったが、このレースへのアプローチは、細田にとって非常に有意義だった。当時、ダイハツに所属しており、チームの先輩である前田彩里とともに練習を消化していく中で、学ぶことが多々あったという。

「最初、マラソンに向けて、どういう練習していけばいいのか分からなかったんです。マラソンで結果を出していた前田さんについていけば、自然と先輩に近づけるかなと思い、必死に練習についていきました」

 前田の練習メニューを一緒に消化し、それをこなしたことで自分に合ったやり方を見つけることができた。ついていけない練習があった時は、そこについていけるようになるためにはどうしたらいいのか、考えて走るようになった。また、ポイント練習以外での練習や動き作りなどを見て、マラソンを走る人はこういうことをしているんだと気付くことができた。

「たぶん自分ひとりでは、与えられたメニューをやっているだけで、特にいろいろ考えもせず、これで本当に記録が出せるのかなって感じで進んでいったと思うんです。でも、前田さんと一緒に練習することで、ここまでやればこのくらいのタイムを出せるだろうという手応えを得て、取り組めました。練習以外でもトラックとは違う気持ちの持ち方や生活の部分などを学べたので、それが今の競技生活にも活きています」

 その翌年、2020年3月の名古屋ウイメンズでは2時間26分34秒で総合8位に入った。これからさらに上のタイムを狙って行こう、さらに飛躍しようと思っていた矢先、新型コロナウイルス感染症が大流行した。

 ここから細田は、引退を決断するほど、追いつめられていった――。

後編を読む>>引退寸前からMGC出場へ 細田あいが高橋尚子からのアドバイスを受けて描くレース展開

PROFILE
細田あい(ほそだ・あい)
1995年11月27日生まれ。長野東高校から日本体育大学へと進学し、本格的に駅伝に取り組みはじめる。1年時から全日本大学女子駅伝に出場するなどし、「日体大のエース」と呼ばれるまでに。卒業後、ダイハツ→エディオンと進み、2022年開催の「名古屋ウイメンズ2022」で2時間24分26秒を記録し、MGCへの出場権を獲得。同年10月に開催された「2022ロンドンマラソン」において日本歴代8位となる2時間21分42秒を記録した。