暴啾析此▲僖螢灰譽皀妊襪ら俳優へ。きっかけは“全身真っ赤”な浅野忠信との初対面「うわーっ、カッコいい」
2009年、17歳のときに「第24回MEN’S NON-NO」モデルオーディションでグランプリを受賞してモデルデビューし、183センチの長身と端正なルックスで注目を集めた胗俊太郎さん。
パリコレやミラノコレクションにも参加。2012年に俳優デビュー。映画『チェリーボーイズ』(西海謙一郎監督)、『ヒル』(WOWOW)、『アトムの童』(TBS系)、『今際の国のアリス』(Netflix)、『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜』(Netflix)など多くの話題作に出演。
2013年に撮影された主演映画『僕の名前はルシアン』(大山千賀子監督)が、2023年9月29日(金)から渋谷ユーロスペースで公開される胗俊太郎さんにインタビュー。
◆身長が伸びすぎてサッカー選手になる夢を断念
宮城県仙台市で生まれ育った胗さんは、小さい頃から運動神経が良く、小中学校のときにはサッカー、高校ではバレーボール部に所属していたという。
「姉が2人いる末っ子長男で、家族の中では明るいんですけど、外に行くとすごく大人しくなるような子でした。
小さいときからサッカーとか水泳などスポーツやピアノもやったり…習い事は結構やっていたかもしれないです」
――将来はサッカー選手になりたいと思ったりしていたのですか?
「小さい頃は、将来的にサッカーのプロ選手になりたいと思っていましたけど、中学でサッカーは諦めました。
『サッカー選手は無理だな』ってなったきっかけが、急に成長期が来て1年で身長が10何センチも伸びたんですよ。そうすると目線が変わるじゃないですか。足元から10何センチも目線が上になると全然違って、やっぱり下手になるんです。
そこで『俺はもうダメだな』って思って。もっと粘り強くやっていれば、多分慣れていったのでしょうけど、そこで『いや、もう無理だな』ってなっちゃったんですよね」
――ご両親は何かおっしゃっていました?
「多分家族が一番プロになれるわけがないだろうと思っていたので、そこは別に何もなく、やりたいことをやりなさいという感じでした」
――高校ではバレーボールというのは?
「サッカーをやるつもりでその高校に入ったんですけど、担任の先生がバレー部の顧問で、『お前は身長もあるし、バレー部の練習に1回来てみろよ』って言われて、『じゃあ遊びで行ってみます』みたいな感じで行ってみたんです。
そのときは、まだサッカー部に入る気持ちだったんですけど、そのバレー部が全国大会に行くようなところでめちゃくちゃ強かったんですよ。別にサッカー熱もそこまでないし、何でもいいから全国大会に行きたいと思って(笑)。全国大会に行けそうだということで、そのまま入ったという感じです」
――全国大会には行けたのですか?
「それが(宮城県大会の)決勝で負けて行けなかったんです。しかもその大会の前に左足を複雑骨折して出られなかったんです。試合のときには松葉杖で。だから、本当にやりきれなくて」
※胗俊太郎プロフィル
1991年5月16日生まれ。宮城県出身。2009年、「第24回MEN’S NON-NO」モデルオーディションでグランプリを受賞してモデルデビュー。2012年、映画『ヴァージン「ふかくこの性を愛すべし」』(今泉力哉・福島拓哉・吉田光希監督)で俳優デビュー。映画『東京喰種トーキョーグール』(萩原健太郎監督)、映画『るろうに剣心 最終章 The Final』(大友啓史監督)、『今際の国のアリス』(Netflix)、『ギヴン』(フジテレビ系)、『スタンドUPスタート』(フジテレビ系)、『ハレーションラブ』(テレビ朝日系)に出演。2023年9月29日(金)に主演映画『僕の名前はルシアン』、2024年1月19日(金)には映画『ゴールデンカムイ』(久保茂昭監督)の公開が控えている。
◆姉がオーディションに応募
2009年、17歳のときに「第24回MEN’S NON-NO」モデルオーディションでグランプリを受賞。仙台の高校に通いながらモデルの仕事をはじめることに。
――オーディションに応募するきっかけは?
「本当によくありそうな話なんですけど、姉と姉の友だちが『MEN’S NON-NO』が好きで、遊びで写真を撮って応募したのがきっかけですね。正直、そのときはモデルが何かもわかってなかったんです。『そんなの地方のガキが受かるわけがないじゃん』って(笑)」
――オーディションはどんな感じだったのですか。
「最初に『書類審査に受かりました』って連絡が来て、その時点で『マジ? 書類審査に受かったんだけど、どうする?』みたいな感じでした。
当時は『MEN’S NON-NO』は外国人モデルとハーフモデルがすごく多い時代で、日本人のモデルはそんなにいなかったんですよね。最終審査でオーディション会場に行ったら、ハーフの人や外国人ばかりで、『ああ、俺はもう終わった』と思って(笑)。
ピアスをいっぱいつけている外国人が多くて、日本人は2、3人ぐらいしかいなかったんです。当時高校生で一番若かったので『終わったわ、大人ばかりだし、ちょっと無理だ』と思って仙台に帰ったんですけど、それから数カ月後に電話がかかってきて『受かりました』って言われて。本当に頭が真っ白になりました(笑)」
――それからすぐにモデルとしての活動が始まったのですか。
「そうです。受かりましたという電話で、1回目の撮影はこの日ですと言われて。そのときはまだ高校生だったので、仙台から毎週東京に通うという感じでした」
――モデルの仕事をはじめたときはいかがでした?
「東京も全然わからなかったですし、本当に何もかもわからない状況で撮影に行っていました。でも、当時出会うクリエイターの人とか、モデルの先輩とか、みんなすごく優しくていろいろお世話をしてくれて、めちゃくちゃ楽しかったです」
――そのときは、俳優になろうという意識は?
「なかったです。そのときはまだ将来のことを聞かれても、とくには考えていなかったんですけど、パリコレに行きはじめてから変わっていきました。
パリコレでランウェイを歩いているモデルとかは、すごく若くして家族を養わなきゃいけない状況の人が結構多かったんです。いろんな国から来ているモデルが結構多くて、その人たちは家族を養うために学校にも行かずに仕事をしていると言っていて。
モデルの次に何をやるのか考えて、バイト感覚でモデルをやりながら次のステップに向かって頑張っているのに、自分は何も考えてないなあって。
でも、映画が好きだったから好きなことはあるし、そっちに行けばいいのかなって思いながら先輩の話とかを聞いて、役者をやってみようと思うようになりました」
◆俳優転身のきっかけは浅野忠信
2012年、胗さんは、映画『ヴァージン「ふかくこの性を愛すべし」』で俳優デビュー。俳優として活動することになったきっかけは、浅野忠信さんだったという。
「当時、いろんな映画を観ているなかで、好きな映画に出ていた浅野忠信さんがすごくかっこいいなと思っていて。ちょうど『MEN’S NON-NO』の撮影で、浅野さんのスタイリングでモデルをするという企画があって、そこで初めて浅野さんに会うことができたんです。
浅野さんは、当時ロン毛で、真っ赤な靴に真っ赤なジーパンに真っ赤なパーカーを着て事務所の階段から降りてきたんですけど、『うわーっ、カッコいい!』ってそこで衝撃を受けて(笑)。そこで『役者になりたいんですよね、俺』という話をして…という流れで役者になりました」
――すぐに映画に出演されることになって。
「そうですね。『MEN’S NON-NO』で表には出ていたので、そこで見て呼んでいただくことがあったりして」
――実際に映画に出てみて、いかがでした?
「何かもっとできるはずだったという悔しさがずっと残っていましたし、今でもそうなんですけど、『こんなにできないものなのか』って思いました。最初は完成した作品を観てもそうだし、現場でいろんな役者の人と芝居をしても、『俺ってこんなにできないんだ』って常に思ってしまっていましたね」
――お芝居のダメ出しとかもされました?
「めちゃくちゃされました。『モデルじゃないんだから〜』みたいなことを言われたこともあったし。でも、当時は結構『モデルだ』という自意識が強かったんですよ。
役者をやりたいとは言いましたけど、『モデルの俺を見て呼んでくれたんじゃん』みたいなガキっぽい気持ちもあって、変に歯向かっちゃっていた時期もあって。素直になればいいところをカッコつけちゃっていたところもありましたね」
――パリコレに12回も出てミラノコレクションにもというと、モデルさんとしてトップクラスですしね。
「何かやっぱりそっちですごい自信をつけていた時期だったので。でも、モデルでパリコレに出たことって、映画業界、日本の芸能界からしたら別に興味ないことというか、関係ないことなんですよね。役者としては1年生だから、そこで変に強がるのは、今となって考えてみたら間違いなんですけど、当時は何か変なプライドがありましたね。
今もちょこちょこモデルはやっていますけど、当時はやっぱりモデルが本業という感じだったので、役者が本業だと意識しはじめたのは本当にここ数年です。4、5年ぐらい前から、自分は役者なんだと意識するように切り替わって、『今まで俺は生半可にやっていたなあ』って思いました」
2018年、胗さんは映画『チェリーボーイズ』に出演。林遣都さん、前野朋哉さんとともに、それぞれ仕事も恋愛も思うようにいかないまま25歳になった童貞3人組の“ビーチク”こと吉村達也を演じた。そして3人は、一念発起し、情けない自分を変えるべく、とんでない脱童貞作戦を思いつく…。
――情けないユニークな役にも挑戦されていて、チャレンジ精神旺盛な方だなと。
「そういう意味では、多分そこまで考えてなかったから、わりと何でもやっちゃっていたというか。チャレンジという意識よりも、おもしろいからやるみたいな、もっと肩に力が入ってない感じで選んでいたからかもしれないです」
――まったくモテず、気が弱くて情けないビーチクくん、ユニークなキャラでしたが、演じてみていかがでした?
「何かすごい青春でしたね。ああいう25歳で女性の経験もなく…という役が自分にオファーが来ることってなかなかないと思うんですけど、不思議なチーム感があっておもしろかったです」
――犯罪を企ててしまうとんでもない3人ですけど、どこか憎めない3人組でしたね。
「そうですね。そのキャラクター設定が、あの作品のおもしろいところというか、シュールでおもしろいなあって(笑)。芝居をやるおもしろさみたいなのは、あの作品あたりから感じていました。
そういう役をやるようになってから考えることもやっぱり増えて、考えることが苦痛じゃなくなってきたのかなっていう感じはします」
2019年には、映画『猿楽町で会いましょう』(児山隆監督)に出演。この映画は、渋谷の猿楽町を舞台に、純朴そうだが実は嘘だらけの読者モデルのユカと、鳴かず飛ばずの新米カメラマン・小山田の恋愛を描いたもの。胗さんは、ユカの元カレのインテリアデザイナー・北村良平を演じた。
「撮影時は、『胗くん、そのまんまでいいよ』って言われることが多かったんですけど、『そのまんまじゃ俺できねえんだよな』って思って。『いや、そのまんまの俺はこうじゃないので』ということで、監督と色々話し合った覚えはあります」
――ヒロインのユカは嘘ばかりで、同性でもイラッとくるところがありました。
「でも、モテるんでしょうね。それで結局振り回されちゃうというか(笑)」
――小山田と付き合いはじめてもユカは良平くんのことがずっと好きで関係を持ってしまう。
「でも、あれは小山田にも悪いところが多いので、そこは心を鬼にしてやっていた記憶があります」
――出来上がった作品をご覧になっていかがでした?
「めちゃくちゃおもしろいなって思いました。現代の若い女の子の、ちょっとわかりやすいくくりで言うと、『メンヘラ』と呼ばれる子たちをうまく描いているなあと。
若い人だけじゃなく、多分年上の方が観ても、ああいう時期があったなとか思っていただけるんじゃないかなって。若いとき独特のプライドもあって嘘をついてしまうことって誰しもあると思うんですけど、そういうところがうまく描かれている作品だと思いました」
2020年には世界190カ国に配信された『今際の国のアリス』(Netflix)に出演。スキンヘッドで顔面に大きなタトゥーを施した“ラスボス”を演じて話題に。2022年には『ヒル』(WOWOW)でこれまでにないほどの悪役に挑戦。過去の痛みを感じさせる繊細な演技が印象的だった。
次回は撮影エピソード&裏話も紹介。(津島令子)
ヘアメイク:望月光(ONTAST E)
スタイリスト:伊藤省吾(sitor)