鈴鹿に10万1000人の大観衆が詰めかけた。小林可夢偉が表彰台に立った、あの2012年以来の10万人超えだ。

 角田裕毅はその大観衆の目前で、9番グリッドからスタートする。

 予選は、アルファタウリAT04の実力をすべて出しきる渾身の走りだった。それもQ1、Q2、Q3と、すべてのラップを完璧に決めた。

 金曜日には10台中10番目のクルマだったのを、セットアップの変更とドライビングでここまで持ってきたのは、まさにチームと角田の力のすべてを出しきった結果だった。


鈴鹿に来てくれた大勢のファンに手を振る角田裕毅

「ファンのみなさんの応援がすごかったですし、Q1、Q2、Q3と進むにつれてどんどん応援が大きくなっていくのを感じました。

 特にQ2が終わったあとのインラップの時は、ファンのみなさんが拍手してくれていたり、旗を振ってくれていたのが見えて、すごく感動しました。僕の大好きな鈴鹿で、最大限の力で走れたのが楽しかったです」

 9月の過酷な残暑の下、角田は前髪から大粒の汗を滴らせながらも笑顔を見せた。

 まさに、あの2012年以来の日本人ドライバーによる日本GP入賞へ──期待は高まった。

 スタートでは、目の前でセルジオ・ペレス(レッドブル)とルイス・ハミルトン(メルセデスAMG)の接触があり、やや行き場をなくした角田は、僚友のリアム・ローソンに先行されてしまった。

 逆バンクのアウト側から一度は再逆転したものの、デグナーでローソンがインに飛び込んできたために先行させて、デグナーのふたつ目でインに入ろうとしたところ、厳しく幅寄せされてしまった。

 ヘアピンをアウトからアプローチし、立ち上がり重視でスプーンのアウトに並びかけたが、押し出されるかたちとなった。

 この日本GPを前に、アルファタウリの来季のドライバーラインナップが決定した。レギュラー昇格がなくなったローソンにとって、角田よりも優れたドライバーであることを誇示することが、来季のさらなる可能性を掴むための大きな力になる。

 1周目のローソンはこれまでに見せたことがないほどアグレッシブに、デグナーでもスプーンでも角田を徹底的にブロックして、9位のポジションに固執した。

【何のメリットもないチームメイト同士の争い】

 チームメイト同士ということを考えれば、リスクの大きすぎる幅寄せではあった。だが、角田は前戦シンガポールGPの教訓もあって、必要以上のリスクを冒すことはしなかった。

「スタート自体はよかったんですけど、彼はまったくもう、レースというより僕に負けなければいいという感じなので、あのまま行っていたらクラッシュしていた。あそこで引いたのがよかったなと思います」


角田はローソンの執拗なバトルに苦しむことに...

 後方のニコ・ヒュルケンベルグ(ハース)が早めに動いたため、チームはアンダーカットされないために角田を先にピットインさせた。結果、1回目のピットストップでは角田がローソンをアンダーカットするかたちになった。

 2回目のピットストップでは、ローソンが先にピットイン。角田は5周後にピットインして、再びふたりの順位は入れ替わった。

 5周タイヤがフレッシュな角田のほうが、当然ながらペースは速い。だが、ローソンに追いついてプレッシャーをかけていくが抜けない。

 ローソンは曲がりくねったセクター1で角田を引きつけてタイヤを滑らせてオーバーヒートさせて、セクター3で引き離してメインストレートでDRS(※)を使われても決定機を与えないギャップを巧みにコントロールしていた。角田としてもセクター1で食らいついていかなければメインストレートで決定機を作れないため、いかんともしがたい状況だった。

※DRS=Drag Reduction Systemの略。追い抜きをしやすくなるドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制システム。

 チームメイト同士の争いによるペース低下とタイヤの性能低下は、チームにとって何のメリットもない。しかし、前のアルピーヌ勢とはすでに15秒以上のギャップがあり、タイヤも同じ条件であるため、逆転のチャンスはなく入賞も見えてこない。後方の周冠宇(ジョウ・グアンユー/アルファロメオ)が背後に迫ってこないかぎり、チームオーダーを出す場面ではない、という判断が下されたのはそのためだ。

【角田裕毅にとって致命的となった9月の残暑】

 もちろん、1回目のピットストップで入れ替わってしまった順位を2回目のピットストップで元に戻すかたちを採ったのだから、チームにとって大きな脅威が生じないかぎり、順位の入れ換え指示を出さないのは当然のことだった。

 端的に言えば、この結末はスタートの時点で決まっていた。それだけ角田とローソンのレースペースには大きな差がなかった、ということでもある。

「速さはあったのに、引っかかって高速コーナーでタイヤがオーバーヒートして抜けなくて、どうしようもありませんでした。何のメリハリもない、よくわからないストラテジー(戦略)でした。ピットインのたびに誰かの後方に戻ることになり、チャンスとパッケージを最大限に結果につなげることができなかったのは残念です」

 アルファタウリと角田にとって致命的だったのは、そのチームメイト間の戦いではない。問題はアルピーヌ勢2台に先行を許し、入賞圏外に押し出されてしまったことだ。

 この9月の残暑が、日本GPをタイヤに過酷なレースにした。例年ならそれほど問題にならないリアタイヤのオーバーヒートが予想以上に進み、驚くべき速さでグリップとラップタイムが落ちていった。

 ミディアムがソフトと同じくらいタレてしまい、決勝ではハードタイヤでなければ長く走ることができない。それが金曜最初のフリー走行で判明し、2セットしかないハードをフリー走行で使わず決勝に温存したマクラーレンやメルセデスAMG、アルピーヌに対し、FP1でハードを使ってしまったレッドブルやフェラーリは不利な状況に立たされることになった。

 アルファタウリはFP1でハードを使わなかったものの、決勝よりもまず予選で上位に行くためにソフトを温存することを優先し、FP2でソフトの代わりにハード、FP3ではミディアムを使った。その結果、予選で9位・11位という結果を手にすることができたのは確かだが、ハードもミディアムも1セットしか残っておらず、決勝の戦略があまりにも苦しくなった。

【戦略的にはもっとやれたけど、鈴鹿は楽しめた】

 その代償として、ハードを2セット持っていたアルピーヌ勢に易々と逆転を許し、決勝ではなにひとつミスを犯したわけではないのに11位・12位と、後退を余儀なくされてしまった。すべてはこの暑さと、リアタイヤのデグラデーション(性能低下)を読み誤ったことに原因がある。

「チームとしても、ここまでデグラデーションが大きくなるとは思っていなかった。だけど、2セットを残していたチームもあったので。その予測ミスが一番の失敗だと思います」

 予選では最高に楽しんで走ることができたと笑顔を見せた角田だったが、決勝後に笑顔はなかった。

 それでも、熱い歓声を送ってくれた10万人の大観衆に手を振り、感謝の気持ちを述べた。

「自分自身としてはすべてを出しきりましたけど、レース週末全体を通しての戦略的には、もっとやれたことがあったと思います。レース内容はぜんぜん楽しめませんでしたけど、とにかく鈴鹿は楽しめました。

 10万人の日本のファンのみなさんの存在は、本当に特別でした。予選・決勝は特にエネルギーをもらいましたし、今回もずっと忘れることのない鈴鹿の2戦目になりました」

 チームをあからさまに批判するでもなく、チームメイトに牙を剥くでもなく、そう言いきった角田の表情には、チームリーダーとしての責任感がはっきりと見て取れた。チームも自分も、もっと強くならなければならない。

 3度目の鈴鹿は、来年の4月──。秋晴れの悔しさを糧(かて)に、さらに強く成長し、次こそは満開の桜を咲かせてくれるはずだ。