MGCは残暑の厳しさが影響? 神野大地が世界陸上を見て再認識した暑熱対策の重要性
神野大地「Ready for MGC〜パリへの挑戦〜」
第5回
プロマラソンランナー、神野大地。青山学院大時代、「3代目山の神」として名を馳せた神野も今年30歳を迎える。夢のひとつであるパリ五輪、またそのパリ五輪出場権を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)が近づくなか、神野は何を思うのか。MGCまでの、神野の半年を追う。
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スピード練習に取り組む神野大地
「8月の練習は距離を含めてスピードの領域ってかなり上がって来て、練習の消化率としてはかなり高かったと思います」
神野大地は明るい表情で、そう語る。
7月に引き続き8月は毎週末ロング走を入れ、週の中にインターバルなどスピード系の練習を入れた。例えば、標高1500mで3分10秒ほどの設定で15キロのペースランニングを行ない、数日後には1キロのインターバルを12本こなし、週末には白樺湖30キロ走を1時間44分程度で走り切った。8月後半の週末には、白樺湖での40キロ走を行ない、1キロ3分20秒のペースで進むも、途中で3分10秒まで上がった。気温が上昇して、脱水症状が出たので35キロで中止したが、「30キロ以上の距離をしっかり続けていく」という練習はできており、足は着実に作られているようだ。
「4年前のMGCの時はもちろん、2年前の防府読売マラソン(2位)の時よりも自分の状態はもちろん、練習のレベルも確実に上がっています」
成長を実感している神野だが、2019年のMGC前はケニアで合宿を組んでいた。「タレずに粘り強くついていく」ことをテーマに、毎週末30キロ、40キロのロング走を取り入れていた。選手の中には、過去、レース前に取り組んだ練習を見直して、それを踏襲していくケースもある。神野は、4年前のケニアでの練習メニューなどを見返すことはあるのだろうか。
「僕はほぼないですね。4年前とは違って今は藤原(新)さんがコーチになり、何をすべきかを藤原さんと対話して、自分のメニューを見つけて、そのメニューを消化しています。今の自分の体に合った練習があると思うので、昔の練習やメニューと照らし合わせてどうこうというのはないですね」
今の自分の体に合わせて、変えるべきものを変えていく。今回、MGCに向けて、大きく変わったものがあった。それは、4年前も同じ時期に変えたものだった。
「2カ月前にアップのメニューを変えました。股関節周りの伸縮をよくさせたり、腸腰筋とかの反発をしっかりできるようにするものです。4年前と今の僕の体では筋肉量が違うし、メインに使う筋肉も違う。そろそろ変えたいなぁと思ったところで中野(ジェームズ修一)さんが察してアップを考えてくれました。変更した結果、トレーニングで鍛えたところを使わなきゃいけないと意識して使うのではなく、自然に使えるようになりましたし、安定感が出てきました」
【世界大会での日本人のメダルもある】練習が順調に進行していく中、8月はブダペストで世界陸上が開催された。マラソンには山下一貴(三菱重工)、其田健也(JR東日本)、西山和弥(トヨタ)の3名が出走し、神野も注視していたという。レースは、32℃という厳しい暑さの中、優勝候補のエチオピア勢やケニア勢が脱落していくという苛酷な展開になった。
「山下選手が40キロ地点で、メダル圏内まで20秒のところまで頑張っていましたけど、改めてマラソンは最後まで油断しちゃいけない、怖いなと思いました。エチオピアとかケニアの選手はダメだと思ったら急に失速したり、やめたりするんですけど、今回もそうだった。そこで諦めなければ順位が上がっていくのを山下選手は感じていたと思うんです。実際に上がっていって、もう落ちることはない。ここからさらに上がっていくだけだと思った矢先、足にトラブルが起きた。ケニアやエチオピアの選手と同じように脱水症状が出たり、足がつったりするリスクが日本人にもあるんだなと思いました」
山下は一時、5位まで順位を上げたがあと2キロというところで両足がつり、最終的には12位に終わった。其田は35位。42位の西山はレース後に車椅子で運ばれるほど苛酷なマラソンになった。レース後、山下のインタビューを見て、神野はその表情に大きな自信を垣間見ることができたという。
「山下選手のインタビューの受け答えからの印象でしかないんですけど、今回のレースで自分の力でメダルを狙えるところに来ているなっていうのは分かったと思うんです。結果は12位ですけど、もっとやれるという感触、手応えは絶対にあったと思うし、普通に走れば入賞もできたと思ったはずです。それを知ることができたのはすごく大きかったんじゃないかな。僕らとは異なり、ひとつの上の領域にいったなというのは感じました」
山下の健闘はあったが、2013年モスクワ大会で5位の中本健太郎以来の入賞、05年ヘルシンキ大会での尾方剛の銅メダル以来の獲得には至らなかった。世界との距離については、どう見えたのだろうか。
「これは、僕自身の感覚ですけど、五輪や世陸などの世界大会に関しては、日本人選手はメダルもあると思っています。例えば、ベルリンマラソンで『よーいドン』になると結構、差が出てきてしまうと思うんですけど、世界大会は調整がすごく難しい。ケニアやエチオピアは3人が代表として出てくるけど、絶好調の3人が出てくるわけではないし、レース展開によっては途中で落ちたり、やめたりする選手もいる。日本もその可能性がありますけど、自分の調子をうまく合わせることができればメダルの可能性は十分にあると思いました」
【MGCは暑さ対策がカギ】調子をレース日に合わせるピーキングは言うほど簡単なものではない。練習をしっかりとこなし、調整を慎重に進行してスタートラインに立っても思うように走れないことがある。
「これがマラソンの難しいところで、レース前、すべて計画どおりにやれましたという人はほとんどいないと思うし、全部やれましたという人ほど走れなかったりするんです。それを前回のMGCの時にすごく感じました。実際、僕は前回の時、練習がかなり出来ていた。でも、スタートラインに立った時、これから戦うというよりはやり切った感が出てしまい、疲弊している状態でスタートしちゃったなという反省があったんです」
レース前に故障して、休むことでレースではそれが功を奏したケースもある。それが前回のMGCの中村匠吾だろう。スタート前、夏に走り込み、日焼けした選手が多い中、ひとり肌が白い選手がいたが、それが中村だった。中村は故障明けでの挑戦になり、自分ができることに徹して、MGCに臨んだ。その結果、優勝し、東京五輪のマラソン代表の座を射止めた。
「僕は、すべて100%の練習ができた選手が走れるわけじゃないというのを前回のMGCで学びました。今もいろんな情報が入ってきますが、みんな何かしらのトラブルを抱えている。最後に調子の波をうまくもっていけた選手がMGCで勝つ。そこにこだわって調整していく必要があるかなと思います」
慎重に調整しつつ、ベクトルは常に自分に向けていく。MGCが迫ってくる中、相手の動向は気になるところだが、意識してしまうと冷静に調整するのは難しくなる。神野の耳にもいろんな情報が入ってくるが、「そうなんだ」くらいに押し止めている。
「僕は、誰かに勝つことを意識して戦う感じではなく、自分の状態をしっかりと上げて,ベストを尽くすことが大事だと思っています。自分がベストを尽くした時、相手がその上の領域で走っていたら能力がなかったということで悔いなく終われると思うんです。でも、100%ではない状態でスタートラインに立つと単純に勝ち負けで味わう悔しさとは別の悔しさが生まれるんです。それは絶対に避けたいので、100%に上げた状態でスタートラインに立つことにこだわっていきたいです」
MGCにピークを合わせるために、あえて練習量を落とすことはしない。神野は感覚的にしっかりと練習をこなし、その練習の流れの中でレースに出ていくスタイルが自分には合っていると考えているからだ。
「調整を進めていく中で、準備はいろいろ考えていかないといけないですね。今、残暑が厳しいので、それが10月までつづく可能性もある。世陸では山下選手が足をつったけど、それはもしかしたら直前合宿を涼しいニュージーランドで行ない、暑熱対策が十分ではなかった影響が出たのかもしれない。MGCは暑さ対策をしっかりしないといけないと今回の世陸を見てあらためて思いましたし、タフなレースになるのは間違いないでしょう」
PROFILE
神野大地(かみの・だいち)
プロマラソンランナー(所属契約セルソース)。1993年9月13日、愛知県津島市生まれ。中学入学と同時に本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」と呼ばれる。大学卒業後はコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。フルマラソンのベスト記録は2時間9分34秒(2021年防府読売マラソン)。身長165cm、体重46kg。