なぜオリックスは続々と新戦力が台頭するのか ルーキー茶野篤政を育てた最強の育成戦略
オリックスが圧巻の強さでリーグ3連覇を達成した。今季はこれまでオリックス打線の絶対的存在だった吉田正尚が抜け、戦力ダウンは免れないと不安視する声が挙がっていたが、終わってみれば2位に10ゲーム差以上をつける圧勝劇。エース山本由伸を筆頭とした強力投手陣に、西武からFA加入した森友哉も吉田の穴を埋める見事な活躍を見せた。だがオリックス3連覇の最大の要因は、新戦力の台頭だろう。
なかでも育成ドラフト4位で入団したルーキーの茶野篤政(ちゃの・とくまさ)は、支配下登録を勝ちとるどころか、開幕スタメンに名を連ねた。そんな茶野の起用にこそにオリックスの強さが潜んでいたのではないだろうか。彼の原点を探るべく、徳島インディゴソックス監督の岡本哲司に話を聞いた。
プロ野球史上初めて育成入団1年目で開幕スタメンに名を連ねたオリックス・茶野篤政
滋賀出身の茶野は強豪・中京高(岐阜)に進むも、レギュラーになることはできなかった。その後、名古屋商科大では1年からポジションを獲得したが、卒業後の進路がなかなか決まらなかった。そんななか、四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスのテストを受け入団。
昨年、四国アイランドリーグで首位打者に輝いたが、ドラフトでは育成4位と決して大きな期待を背負ってプロ入りしたわけではない。
そんな茶野について、岡本は開口一番、「他人(ひと)をよくするヤツ」と表現し、その人間性を高く評価した。その一方で、野球の技能については「入団テスト時は普通の大学生という感じで、そんなにレベルは高くなかった」と語る。
徳島インディゴソックスは、球団発足の2007年以降、ほぼ毎年ドラフトで選手が指名されるなど、育成に定評のあるチームだ。昨年監督に就任した岡本は、茶野のほか4人のNPB選手を育てているが、彼らと比較すると入団当初の茶野は見劣りしたという。
「いま西武でプレーしている古市尊(2021年育成1位)は、スカウトの目を引く特化したものがありました。独立リーグからドラフトにかかるのは、平均的な選手よりも一芸に秀でた選手。そのなかでも一番アピールできるのか足です。でも、茶野の場合はそれもあまりなかった。ただひとつ言えるのは、取り組みが非常に真面目で、周りをよくする人間でした。性格的には申し分ないのですが、正直、プロに行くことは想像できなかったです」
独立リーグからNPBへ進む選手はごくわずかだ。なかには、ドラフトで指名されることよりも、野球を続けることに重きを置く選手もいる。しかし茶野は、本気でNPBを目指していた。
「とにかくNPBという目標に関しては、一歩も後ろに引かない。辛抱強く、どれだけきつい練習をしても前向きについてくる子でしたね」
【徳島球団の起用方針】独立リーグからNPBの門を叩くには、まずチーム内の競争に勝ち、レギュラーとして突出した成績を残す必要がある。しかし昨年のキャンプ終了時から茶野は調子が上がらず、開幕メンバーから漏れた。しかし岡本は、しばらくして茶野にレギュラーポジションを与えた。
「フロントとも相談して使うと決めました。ただし、競争に勝ち上がったというわけではありません。実力だけなら彼より上の選手はいましたが、茶野にはこれだけのチャンスを与えようと」
それは徳島球団の方針だった。チーム内での競争に勝った者が起用される日本球界に対し、海の向こうのマイナーリーグでは育成が優先される。過去にドミニカのアカデミーを取材したが、当地のルーキーリーグでは、監督は球団からの指示に従い登録選手に出場機会を振り分けていた。徳島球団の方針も同様で、選手それぞれにある程度の打席数、イニング数を与えている。
「もちろん競争はさせます。でも、チャンスを与えないと選手を預かっている意味がありません。だって、選手はゲームのなかでしか成長しませんから」
現役時代を大洋、日本ハムで過ごした岡本は、1996年に現役を終えると、そのまま日本ハムのコーチ、二軍監督を務めた。この時、のちにGMとなる吉村浩氏(当時はGM補佐で、現在はチーム統括本部長)からかけられた言葉が、徳島での方針の原型になっていると語る。
「ファームでは、とにかく各選手に1000打席与えてやってくれ。そこまでいくと、その選手の色が出てくる」
1000打席といえば、ファームのレギュラーとして3年プレーして到達する数字である。実際には、すべての打者がこれだけの打席数を与えられるわけではないだろうが、それでもできる限りチャンスを与えていくと、選手たちの成長を肌で感じることができた。
【きっかけはオリックスとの交流戦】そうした球団の方針のなか、茶野は「プロスペクト(有望株)」として強化されることになった。
「まだ力はありませんでしたが、三拍子揃っていましたし、足も速くなりました。だからNPBへ行けるんじゃないかという期待です。とはいえ、実際に指名されるところまでは想定していませんでしたけど」
転機になったのは、オリックスとの交流戦だったと岡本は振り返る。
「昨年6月15日のオリックスとの試合で結果を出して、本人もやれるんだと手応えを感じ、一気に階段を駆け上がっていったような気がします」
この試合で茶野は4打数4安打を放ち、盗塁も決めた。この活躍を、オリックスの福良淳一GMが見逃さなかった。
「あの試合の結果はたまたまじゃないです。本人がしっかりNPBを目標にしていたからこその結果です。あの時は、それだけの結果を残すだけの力を蓄えていました。もちろん、NPBのファームの選手に比べればまだまだ劣っていましたが、彼の潜在能力をGMやスカウトの方が見てくれた。それは、それまでの取り組みがあったからこそだと思うんですよね」
その試合以降、プレー自体が変わっていった茶野を、岡本はこう表現する。
「なんて言うのかな、野球の花が咲いてくるような......そういう手応えはありました。若い選手はひとつのことがきっかけで、体の中から湧き出てくるようなものがあるんです」
ドラフト前には数球団から調査書が届いたが、最後まで何が起こるかわからないのがドラフト。当日はなかなか名前が呼ばれずにやきもきしたが、オリックスから育成4位で指名されると安堵の表情が浮かんだ。
【奇跡を起こしたオリックスの育成システム】オリックスに入団し、プロ初のキャンプに挑んだ茶野だったが、身分は育成選手。そのままでは一軍の試合には出場できない。キャンプでの茶野の目標は、残り数枠の「支配下登録選手」になることだった。
とはいえ、育成4位の茶野が一軍の戦力になれるかどうかを試してもらうチャンスなど、当初はほとんどなかった。ここから約2カ月で一軍のレギュラーに上り詰めたのだが、この茶野の"シンデレラストーリー"には、オリックスの球団戦略が見え隠れすると岡本は言う。
「彼を一軍に上げるなんて、最初は考えていなかったでしょう。当然、球団としてもまずはドラフト上位で指名した選手に成長してほしいと思うはずです。でもオリックスのいいところは、キャンプ地の球場が一軍、二軍が隣り合わせになっていて、気になる選手がいればすぐに見に行けること。おそらくファームの首脳陣が『茶野っていう動きのいい選手がいる』って伝えたんじゃないかなと思うんです。そこで認められたのがラッキーでしたね」
岡本は2014年から2シーズン、オリックスの二軍監督を務めたことがある。就任した時に、高校生ルーキーとしてドラフト3位で入団してきたのが若月健矢だった。当時のオリックスのレギュラー捕手は入団7年目の伊藤光(現・DeNA)で、数年後を考えた時に若月にはレギュラーポジションを任せなければならないと岡本は考えた。そこで球団フロントに「とにかく試合で使っていきましょう」という話をしたという。
翌年には、横浜隼人高からドラフト2位で宗佑磨が入団。宗もまた、ファームでどんどん試合に出していこうという方針だった。
「ただ彼は膝を悪くして入ってきましたから、まずは故障が癒えてからということになりました」
若い選手にはどんどんチャンスを与え、それを首脳陣が見逃さない。そういうオリックスの育成システムを岡本は知っていただけに、茶野がスターダムにのし上がっていく姿を見ても驚くことはなかった。
「日本一のチームのレギュラーですからね。努力もそうですが、茶野はプロのレベルに適応した。彼の努力、実力はもちろんですが、オリックスも認めてくれて、育ててくれた。いろんなことが重なって今があると思うんです」
岡本に話を聞いていると、何度も茶野について「彼は真面目だから、他人をよくするヤツだから」という言葉が出てきた。これが茶野の最大の武器だと岡本は言うが、一般に「プロ向き」とされるタイプは、ライバルを蹴落としてでものし上がる"ちょいワル"だとも言われている。しかし岡本は一蹴する。
「真面目が一番ですよ。僕が思うに、レギュラーになる選手に悪いヤツなんていませんよ。勝負がかかっているからこそ、人のよさが必要なんです。やっぱり人をよくする行動ができるヤツが一流だと思うんですよ。常勝チームになるには、チームがいいヤツの集団になることが必要なんです。『オレが、オレが』という気持ちでもいいんですが、それが人を育てる行動にならないと。今のオリックスはそういうチームだと思います。そうなっていったのは、やっぱり中嶋聡監督と福良GMじゃないですかね」