慶應を107年ぶりの日本一へと導いた「ストーリー」「脱・丸刈り」「甲子園で勝つ3条件」
試合前から、シナリオが決まっているかのようだった。
テレビのワイドショーは、連覇のかかる仙台育英ではなく、慶應の特集を組む。甲子園でも開門前から慶應義塾一色だった。すれ違うほとんどの人が慶應のTシャツや応援グッズを身につけている。いざ開門すると、球場の3分の2が慶應ファンで埋まった。世間や甲子園は、慶應の107年ぶり日本一を待ち望んでいる──そう思わずにはいられなかった。
仙台育英を8対2で下し、107年ぶりの優勝を飾った慶應義塾ナイン
筆者は2001年から全試合甲子園で取材しているが、毎年決勝戦を見るたびに思うのが、優勝校にはストーリーがあるということだ。野球ファン以外にもわかるようなストーリーがある場合、不思議と甲子園は"勝ってほしい学校"の空間になる。
昨年は、まさに仙台育英の空間だった。104回目を数えた大会で、まだ東方勢のチームは優勝したことがなかった。スタンドも観客も、ほとんどが「今年こそ東北勢の初優勝を」という雰囲気だった。
2004年に駒大苫小牧が優勝した時も同じだった。この時は北海道勢の初優勝がかかっていた。相手の済美は女子校から共学になり、創部2年目で春のセンバツで優勝。春夏連覇というストーリーがあったが、スタンドは「オレたちが見たいのは北海道の優勝だ」と、駒大苫小牧に大声援を送った。駒大苫小牧は2回までに4点をリードされたが、反撃するとスタンドが後押し。試合は13対10で勝利し、北海道勢初の優勝を成し遂げた。
2007年の佐賀北にはストーリーに加え、プラスアルファの要素があった。この年は、春に"特待生問題"が起き、「特待生ばかり集めている私学はけしからん」という風潮になった。そんななか、県立校の佐賀北は開幕戦に勝利し、2回戦では引き分け再試合を制するなど快進撃。準々決勝で帝京を破ると、大いに盛り上がった。決勝でも広陵に4点のビハインドを背負ったが、8回裏に押し出しで1点を返すと、直後に副島浩史の満塁本塁打が飛び出し大逆転。
2010年は沖縄勢の夏の甲子園初優勝と春夏連覇がかかる興南に、スタンドは沖縄一色。試合前からハイテンションのスタンドに乗せられ、興南打線は4回に一挙7点を挙げるなど爆発。13対1の圧勝で東海大相模を下した。
じつは慶應にもプラスアルファの要素があった。それは長髪であること。今年6月に高野連が髪型についての調査結果を発表。5年前は丸刈りが76.8%だったが、今年は26.4%。大幅な減少が「高校野球のあり方」を問うきっかけとなり、大会中も長髪のチームが勝ち上がるたびに話題となった。
慶應にとっては、「これでもか」というぐらいのお膳立てはできていた。だからこそ、勝負は序盤だった。慶應が先制すれば、スタンドのボルテージは一気に上がる。大声援に加え、立ち上がっての応援にスタンドは揺れる。とくに慶應の三塁側アルプスが目に入る右投手は、ふだんの何倍もの圧がかかる。いかに昨年夏の決勝を経験している仙台育英の湯田統真、高橋煌稀でも、本来の投球は望めなくなる。
【完全アウェイだった仙台育英】そして初回、慶應の1番・丸田湊斗が流れを呼び込んだ。追い込まれながら、低めのスライダーをライトスタンドに放り込んだのだ。105回の歴史を誇る夏の選手権大会で史上初となる先頭打者本塁打。これが仙台育英に大きなダメージを与えた。
「とにかく勢いに乗らせないように(丸田を)しっかり抑えようと話をしていた」と言った仙台育英の捕手・尾形樹人の目論見は外れ、慶應は勢いづく。いきなり盛り上がる慶應の大応援団に、ベンチにいた背番号3の齋藤敏哉も驚いた。
「昨日から須江(航)先生が『球場の3分の2が慶應の応援だ』と話をしていたんですけど、丸田のホームランの時から『エグいな』と。先に点をとられてしまって『やべぇな』という感じになってしまいました」
仙台育英にとっては最悪、慶應にとってはこれ以上ない最高のスタートになった。
さらに、渡辺憩(けい)の三塁ゴロを湯浅桜翼(おうすけ)が捕れず安打にすると、暴投、四球で一、二塁。二死後、渡辺千之亮(せんのすけ)のショートフライを山田脩也が捕球態勢に入りながら捕れず、もう1点が入った。
5回表に慶應は5点のビッグイニングをつくったが、4、5点目は仙台育英のミス。丸田の左中間に飛んだフライをレフトとセンターが追いかけて衝突。センターの橋本航河のグラブからボールがこぼれた。
「お互い『オーライ』と声をかけたんですけど、慶應の応援がすごくて聞こえなかった。声を出したほうが捕ることになっているんですけど......。レフトは(アルプススタンドと)近くて大音量で守りにくかったです」(レフト・鈴木拓斗)
「レフトの声は聞こえなかった。基本的に間の打球は自分が捕ることになっているんですけど、応援もあって慌ててしまいました。捕った感覚はありましたけど、ぶつかって手がずれて落としてしまいました」(センター・橋本)
初回から途切れない大声援。さらに、得点が入るたびに立ち上がって『若き血』の大合唱。アルプス席以外も立ち上がる人が多く、イニング間に何度も「立ち上がっての応援は後ろの方が見えないことにつながります。後方のお客様のご迷惑にならないように十分ご配慮ください」と異例のアナウンスが流れたほどだ。
この異常な状況は、経験十分の仙台育英ナインでも対処できなかった。昨年から4番・ライトで出場している齋藤陽(ひなた)は言う。
「慶應の応援はすごいってわかっていたんですけど。実際、(グラウンドに)立ってみたら想像以上にすごかった。アルプスだけじゃなくて内野席も慶應だったんで......。去年は自分たちが応援されているかなって思ったんですけど、今年は完全アウェイかなと。完全アウェイは初めてです」
相手を呑み込むほどの応援が慶應に勢いをもたらし、森林貴彦監督も大村昊澄(そらと)主将も言った「実力プラスアルファの力」を引き出すことにつながった。
【甲子園で優勝するための3条件】ストーリーに加え、甲子園で優勝するために必要な条件が3つある。それは「実力」「勢い」「運」だ。甲子園優勝3回、準優勝4回の元智弁和歌山監督の高嶋仁氏が常々言っていたこと。どれが欠けても優勝には届かない。
春夏連続出場、3回戦で優勝候補の広陵を破った慶應の実力は説明するまでもない。先述したように大応援団に後押しされて勢いもある。残るは運だが、こちらも慶應は"持っていた"。
神奈川大会決勝の横浜戦では、3対5と2点リードされて迎えた9回表無死一塁でセカンドゴロ。送球が4−6と渡りアウトと思われたが、遊撃手の足が離れたとセーフの判定。一死一塁のはずが、無死一、二塁となり、直後に渡辺千が逆転の3ラン本塁打。あの判定がなければ、甲子園に来られていたかどうかもわからない。
そして、甲子園の決勝では風。この日はいつものライトからレフトに吹く浜風とは逆で、レフトからライトへと吹いていた。この風だと、ライト方向への打球は伸びる。いつもの浜風なら、初回の丸田の本塁打は押し戻されてライトフライだった可能性が高い。風について、同じ左打者で自身も今大会2本塁打を放った仙台育英の捕手・尾形はこう言った。
「今年はいつもと違う風だった。初戦の浦和学院戦はその風で、自分たちが本塁打を打てたり、長打になったりしたんですが......最後の最後でやられたって感じです」
ではなぜ、慶應は運を味方にすることができたのか。背番号16の足立然に尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「いい表情でやっていれば、いい結果が出る。あとは、"ありがとう"を増やしていくことを意識していました。自分たちらしい野球を続けることに意味がある。(運を味方にできたのは)自分たちらしい野球がずっとできたからじゃないですか」
元号が大正だった1916年以来、史上最長ブランクとなる107年ぶりの日本一に加え、センバツ初戦でタイブレークの末に敗れた仙台育英との再戦というストーリー。"脱・丸刈り"が話題になったというプラスアルファ。そして実力、勢い、運......。今年の夏、勝つ要素がすべて揃っていたのが慶應だった。
「春負けてから、ずっと仙台育英を倒そうと目標を立てて練習してきました。マンガに描いたかのようなシナリオ。自分たちの時代が来ているんだととらえました」
キャプテンの大村がそう語ったように、まさにシナリオどおりの展開。今年の夏、"日本一からの招待"を受けたのは慶應義塾だった。