加藤未唯は「失格後」の混合ダブルスにどんな思いで臨んだのか 逆境からの優勝に「ようやく笑えて」スピーチにはいろんな思いを込めた
加藤未唯インタビュー中編(全3回)
◆加藤未唯・前編>>涙で言葉に詰まり...「もうテニスを辞めるしかないのかな」
「自分の思いを主張できるところまでは行かないと、意味がない」
今年6月の全仏オープン。混合ダブルスの試合へと向かう加藤未唯は、自らにそう言い聞かせた。
女子ダブルス3回戦での失格後、再びコートに向かう決意をした彼女の胸中は? そして、優勝へと彼女を駆り立てたものとは?
あの時からおよそ1カ月が経った京都の夏の日、彼女がパリでの日々を振り返ってもらった。
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加藤未唯は優勝スピーチでようやく笑顔を見せた
── 混合ダブルスの試合(準々決勝)が始まる前に、パートナーのティム・プッツ(ドイツ)がハグして気持ちを落ち着かせてくれたと言っていました。どのような気持ちで試合に向かったのでしょう?
「試合が始まるその前にウォーミングアップをしているんですけど、その時にいろんな選手が声をかけてくれたんです。たくさんの選手と話しているうちに、アップの時間もなくなってしまうほどで。ティムは『本当に嫌だったら、試合はやめていいからね』と言ってくれたんですけど、そうやって言われれば言われるほど、申し訳ないっていう気持ちにもなって......。
彼はすごく優しくて、いつも笑顔で。なので、彼がこうやって言ってくれるんだったら、がんばりたいなって。失格になったあと、初めて『がんばりたい』っていう気持ちになったのは、あの時でした」
── 実際にコートに立った時の感情は、どのようなものでしたか?
「正直、『無』だったんです。コートに入った時から試合が終わるまで、何も感じなかったというか。ある意味、うれしいも、悲しいも、どっちの感情もないような感じでした」
── その『無』の状態で試合に勝った時には、涙もありました。どういう涙だったのでしょう?
「勝った試合で涙が出たのは、初めてでした。まずお客さんが受け入れてくれたことで、私はまだ試合をしていいんだ......と感じられたことが大きかったです。ブーイングされなかったことで、安心したというのもありました。
あとは、相手の選手からも優しい言葉をかけてもらえて。まだここにいていい、辞めなくてもいいのかなと思えたのは、『うれしい』とまではいかないにしても、ほっとしたので、たぶんそれで涙が出たんだと思います。ミックスで優勝していなかったら、もしかしたら辞めていたかもしれないので」
── そのような状態でも、試合での加藤さんのプレーそのものはよかったように見えました。
「そうですね、あの試合はいいプレーだったと思います。感情的に何も感じない分、逆にのびのびとできていた部分もあったかもしれません。たぶん、あの試合(準々決勝)の相手が一番強かったので、あそこを乗り越えられたことで、勢いがついたところはあります」
── そして準決勝では、女子ダブルスのパートナーであるアルディラ・スチアディ(インドネシア)との対戦になりました。試合前に彼女と話したりしましたか?
「彼女は、常に優しい言葉をかけてくれていました。なので、私が先に準決勝進出を決め、その次にディラ(スチアディ)が決めた時は、私から『明日はよろしく。いい試合をしようね』と声をかけました」
── そしてこの準決勝も勝利し、決勝戦へ。センターコートに入った時、緊張や高揚感はありましたか?
加藤「いえ、あの時も、特に何も感じてなかったんです。感情的に『無』の状態で、今から試合だな......くらいでした。気持ちの高ぶりとか感激とかも、一切なかったです。今までのテニス人生で、そんな感覚でコートに立ったのは初めてでした」
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テニスキャリアで初めて経験する、感情の動きが皆無に近い状態で立った、グランドスラム決勝戦のセンターコート。
ただ、そのような精神状態とは裏腹に、第1セットを先取されたあとの第2セット終盤から、加藤の見せ場が続いた。ゲームカウント4-4から加藤のボレーでブレークに成功すると、続くゲームも連続ボレーで第2セットを奪取。
運命の10ポイントタイブレークでは、序盤で加藤がボレー、さらにはスマッシュを決めて、勝利への流れを力強く生んだ。最後は相手のショットがネットにかかり、勝利が決まる。その時、両手を天に突き上げた彼女の口もとから、ようやく笑みがこぼれた。
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── 決勝戦では、第2セットの終盤から躍動感が増した感じがしました。何か気持ちの変化などあったのでしょうか。
「ファーストセットは先にブレークしながら落とし、第2セットも序盤のチャンスを逃して、『残念やな』って思ったところはありました。その頃から、私の名前を呼んで応援してくれる声も多く聞こえてきたので、がんばらないと思ったのは覚えています。
人生で、グランドスラムの決勝に立てる日が来るとは思っていなかったので、それを思うと、こんなところで『ああ、残念だったな』と思っている場合じゃないなという気持ちは、ありました。
第2セットの最後のゲームでは、パートナーの動きがちょっと硬いところがあったので、『私が決めにいかないと』と思い、ボレーで積極的に動いたというのはありました」
── そこから優勝が近づくにつれ、気持ちの盛り上がりなどは?
「なかったです。優勝した瞬間に、ようやく笑えました。あの時が初めてでした、ちょっと『うれしい』という感情が出てきたのは」
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頂点の空気を吸うと当時に、膠着していた心がいくぶん氷塊したかのように、胸に広がる喜びの感情。
そうして立った優勝セレモニーの舞台は、彼女が目指した「自分の思いを主張できるところ」であった。
あらかじめ用意していたウィナースピーチに、彼女は思いの丈を込める。
ボールガールには、謝罪を。失格となった試合の対戦相手には、再戦への希望を。そして大会側には、失格によって失効したランキングポイントを戻してほしいとの願いを。
それらのメッセージに込めた思いとは──?
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── 表彰式でのスピーチには、どのような言葉や思いを必ず入れようと思っていたのでしょうか?
「すべての人への感謝でした。自分のコーチだったり、パートナーだったり、来てくれたお客さんたち。たぶん、ミックスダブルスの決勝としてはかなり人が入っていたのと思うので、それにもけっこう驚きました。それだけ応援してくれた方たちがいたということなので、そこへの感謝も伝えたかったです。
(女子ダブルスの)パートナーと、彼女の母国のインドネシアの方たちもたくさん応援してくれたので、その方たちへの感謝と、謝りたかったというのもあります。もちろん、ボールを当ててしまったボーラーにも謝りたかった。
それと、女子ダブルスの3回戦の相手にも、結果はあんなふうになってしまったけれど、『またいい試合をしよう』と言うことで、自分も前に進めるのかなと思って(スピーチに)入れました。
あとは、賞金にはそこまでこだわらないんですが、ランキングポイントを取るために、こうやって海外を転戦している。大会にはすでにアピールはしていましたが、もう一度、そこは言いたかったところでした」
── そして表彰式と会見などが終わった直後に、ボーラーに会いに行ったと聞きました。
「はい。大会にお願いして、会う時間を作ってもらいました。コート上でも謝りましたが、やはりもう一度会って、ちゃんと謝りたいと思っていたんです。
まずは、彼女があの後もボーラーを続けていることに、すごく安心しました。私が試合をしに大会に来ているように、彼女はボーラーをしに来ているわけですから。
彼女はあまり英語ができなかったので、大会の人が通訳をしてくれながらだったんですけど、会話も交わし、彼女もちょっと笑顔になってくれました。京都の抹茶のお菓子を渡して、『京都わかる? 抹茶好き?』と聞いたら、『もちろん』と返事してくれたのがうれしかったです。
それに彼女からは、『実は私のお父さんもボーラーをやっていた』という話を聞けました。テニス選手が親からテニスを習ったみたいに、ボーラーにもそういうつながりがあるのだなと......。そういうのも聞けたのは、よかったと思えたことでした」
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親から子へと受け継がれたテニスへの愛情や歴史に触れ、加藤は少女に、「将来、あなたの子どももボーラーになれたらいいね」と伝えたという。
「テニスを辞めるしかないかも」との失意から、「こんなかたちで終わりたくない」の心の声に従い出場した混合ダブルス──。
結果、彼女が得たものとは、グランドスラムチャンピオンの肩書き。さらには、『自らの声』に呼応した人々の思い。そして「将来、自分の子どもとフレンチオープンに来られたら」の願いを込めた、『ラスト8クラブ』のパスだった。
(後編につづく)
◆加藤未唯・後編>>開幕の全米OPに期待「今年はWTAファイナルズ出場を狙っている」
【profile】
加藤未唯(かとう・みゆ)
1994年11月21日生まれ、京都府京都市出身。8歳からテニスを始め、2013年10月にプロ入り。2017年の全豪オープン女子ダブルスでは穂積絵莉とのペアでベスト4進出。2018年の東レPPOでは二宮真琴とのペアでツアー初優勝を果たし、2023年6月の全仏オープン混合ダブルスではティム・プッツ(ドイツ)とのペアでツアー2勝目。身長156cm。利き手=右、バックハンド=両手打ち。キャリア自己最高ランキングはシングルス122位、ダブルス30位。