石川祐希が感じる男子バレー日本代表の進化 でも「達成感はまったくない」のはなぜか
石川祐希のAttack The World vol.6
(vol.5:今の日本代表に必要な「チーム力」 10代の新戦力には「先輩に助けてもらえると思うな」>>)
バレーボール男子のネーションズリーグで、日本は銅メダルを獲得した。主要国際大会では実に46年ぶりの表彰台。歴史的な快挙を成し遂げたチームの中心にいたのは、主将として、得点源として大車輪の活躍をした石川祐希だった。だが、これもまだ通過点。歴史を切り開くエースの視線は、もっと先へと向いている。
銅メダルを獲得したネーションズリーグを振り返った石川
――銅メダルを獲得して帰国した成田空港では、多くのメディアやファンが出迎えました。これからへの期待の高まりも感じたのではないでしょうか。
「あれだけ人が来たのは初めてです。周囲からの期待を感じる機会は増えましたし、僕たちに多くの人が期待感を持っているなというのは感じています」
――2カ月近くにわたって行なわれたネーションズリーグを振り返ってみましょう。名古屋大会で4連勝して滑り出しましたが、石川選手自身が「いける」と思った試合はありましたか?
「いい流れで来ているなと思っていましたが、『これはいけるな』『ベスト4に入れるかもな』という発想はあまりありませんでした。それよりも『ベスト4に入るぞ』という気持ちのほうが強かったです。ベスト4に入ること、決勝大会に進むことをずっと意識していました」
――チームの勢いがつくきっかけになった試合はありましたか?
「勢いがついたな、と思った試合はふたつあります。ひとつ目は名古屋でのフランス戦。フランスはメンバーがあまり揃っていませんでしたが、いいバレーをしていましたし、『かなり力があるチームだ』と個人的には思っていました。1セット目を取られましたけど、2セット目からいい流れをつかんで勝てました。フランスに勝てたのは、大きなきっかけになったと思います。でも、1番勢いづいたのはブラジルに勝ったところですね」
――ネーションズリーグの前に、石川選手は「ブラジルへの苦手意識を払拭したい」と話していましたね。
「試合をしてみたら『意外にいけた』という感じです。1、2セット目はブラジルのパフォーマンスが全然よくないなと思っていましたが、案の定、3、4セット目に調子を上げてきた。5セット目も1点を争う展開になりましたが、勝つことができました。
あの試合は本当に勢いがつきましたし、自信になる勝ちでしたね。ただ、ブラジルへのイメージはこれまでとあまり変わっていません。ブラジルには(アウトサイドのイオアンディ・)レアルがいませんでした。彼がいる、いないで結果は違ったと思います」
――勝敗は別にして、印象に残っている試合はありますか。
「準々決勝のスロベニア戦と、3位決定戦のイタリア戦です。そのふたつは重視していた試合でした。スロベニア戦に関しては『ベスト4に入る』という目標を達成するために大事な試合だったので、このネーションズリーグで1番大事だと思っていました。その試合で、個人的にはしっかりとパフォーマンスを発揮できたと思います。27点も取っていましたが、自分でもそんなに点を取っていると思っていなくて、びっくりしました」
3位決定戦は、準決勝でポーランドに負けはしましたが、ベスト4という目標は達成しているということが頭の片隅にありました。それは、昨季のイタリア1部リーグと同じ感覚だったんです。リーグでもプレーオフの準決勝に進むことを目標にしていて、準々決勝でペルージャを倒して目標を達成。でも、そこでシーズンは終わりじゃない。その後、準決勝でチビタノーバに負けて、力尽きちゃったかのように3位決定戦のピアチェンツァ戦ではまったくパフォーマンスを上げられませんでした。
ネーションズリーグもそれと同じ状況になりましたね。目標は達成しているけど、そこで終わるのか。それともイタリアでの反省を生かして、もう1回踏ん張ってメダルを取るのか。自分の中で、『またひとつ成長するチャンスがここにある』と思いながらプレーしていました。それで結果を残せたのは、非常に大きかったです」
――同じ失敗は繰り返さない、と。
「そんな感じです。イタリアでの経験は仕方がないことだと感じていて、失敗ではないと思っています。ただ、同じことを繰り返して同じ結果を出すのか、もうひとつ上に進むのかというのは明確な違いでしたね」
――チームとしては、3位決定戦にはどのような意識で臨んでいたのでしょうか。
「メダルが懸かった大事な試合でしたが、チームとしてはメダルを取りにいくというよりも、負けた後にどんな試合をするか、ということを考えていました。みんな疲れていましたし、イタリアは強いので普通にやったら負けてしまう。そこで自分たちがどういうパフォーマンスをするのかということ、目の前の1点や1球を必死に取りに行くこと。それがパリ五輪予選(OQT)につながると(フィリップ・)ブラン監督からも言われていました。
試合前にチーム全体でそういう話をしてゲームに入ったので、その点はしっかりと実現できたと思います。例えば、OQTでは初戦のフィンランドに負ける可能性もあるわけです。そうなったら、もう1試合も負けられない。メンタルもきつい状態でずっと戦わないといけません。そういうところもイメージしながらやっていました」
――東京五輪で8強入りして以降、昨年のネーションズリーグは準々決勝で敗れ、世界選手権では東京五輪王者のフランスにベスト16でフルセットで惜敗しました。惜しいところまでいっても、なかなか越えられなかった壁を今回は乗り越えましたが、チームとして成長した点はどこだと考えていますか?
「ひとりひとりがプレーの精度を上げたと思います。困った時でも『チームでなんとかする』というよりは『個人頼り』で乗り越えられています。僕や高橋藍選手、宮浦健人選手、西田有志選手などが流れを変えたり、相手に流れを渡さないプレーができたというのは、大きな要因。『ひとりでも戦えている』というか、『個』が際立っているケースが多かったですね。そこが成長したから、強い国が相手でも戦えていたと思います」
――局面、局面で、個と個の勝負で負けなかったからこそ、強豪国と渡り合えたと。「個で負けない」ということは、石川選手がずっと言い続けてきたことですね。
「それが形になってきたと感じます。海外リーグを経験している選手も増え、そのことが個で戦える力につながっていると思います。それでも、まだ僕たちは経験不足です。ポーランド戦も自分たちのミスから崩れて、流れを渡してしまいました」
――主要国際大会では46年ぶりのメダル獲得となりました。何か感じることはありますか。
「やっとこのステージに立てたというか、このレベルまでこられたなと感じます。メダルを1個取るだけでもチームとして自信になるし、逆に、周りから日本がマークされる存在にもなります。あとは、コート外でも喜んでくれる人が増えますよね。今回、空港にもあれだけファンの方が来てくれましたし、新聞でも一面で取り上げてくれましたし、どこに行っても『試合を見ました』と声をかけられます。メダルを取っていなかったら、ここまで反響はなかったと思うので、メダルを取ることの重要性をあらためて感じました」
――達成感はありますか?
「メダルを取った瞬間はめちゃくちゃ嬉しかったですが、達成感はまったくないです。今シーズン最大の目標はOQTなので、あくまで通過点。そのひとつの大会で結果が出ただけなので、ちょっと安心した、という感じでしょうか」
――通算275得点で大会のベストスコアラーにもなりました。これまでテーマにしてきた「大事な場面で点を取る」ことについての自己評価はどうですか?
「大事なところで取れた時もあったし、取れなかった時もありました。例えば取れなかった場面でいうと、ブラジル戦の第5セット、14−13と勝利まであと一歩に迫った時のプレー。リベロの山本智大選手(パナソニック)がサーブレシーブをダイレクトで相手コートに返してしまったのを、トランジションで自らレシーブしてミスを取り返してくれた。そのボールを、セッターの関田誠大さん(ジェイテクト)が僕に託してくれたんですけど、スパイクがアウトになってデュースになってしまいました。
そこは『足りなかったな』と思います。クロスに長く打ったら、フラビオ(・グアルベルト/ミドルブロッカー)がブロックの手を引いたんです。あれはフラビオがうまかったんですけど、僕も手を引かれることは想定しているので、コートの角に高く長く打つことを意識して打ちました。でも、それがちょっとズレてしまった。
デュースに持ち込まれる原因を作ってしまったので、反省ですね。その後から、ハイボールを長く打つ時に気をつけるようにしました。大事な場面で点を取る力でいうと、まだ80点か85点くらいです」
――今のチームなら、パリ五輪でさらにいい色のメダルを目指せるという手応えはありますか?
「正直なところ、それはまだありません。今回、銅メダルでもけっこうギリギリだったので、それ以上となると、よりタフさや経験が必要になります。今のままでは難しいですが、この後のアジア選手権、OQT、さらに来年のネーションズリーグがあるので、そこでどれだけ戦えるかによって、パリ五輪での目標や可能性も変わってくると思っています」
【プロフィール】
◆石川祐希(いしかわ・ゆうき)
1995年12月11日生まれ、愛知県出身。イタリア・セリエAのミラノ所属。星城高校時代に2年連続で三冠(インターハイ・国体・春高バレー)を達成。2014年、中央大学1年時に日本代表に選出され、同年9月に代表デビューを飾った。大学在学中から短期派遣でセリエAでもプレーし、卒業後の2018-2019シーズンからプロ選手として同リーグで活躍。2021年には日本代表のキャプテンとして東京五輪に出場。29年ぶりの決勝トーナメント出場を果たした。