「この1万円でジュースでも買え」航海士を目指した青年に大相撲入りを決断させた"八角親方の声かけ"
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 13杯目』の一部を再編集したものです。
■隠岐の古典相撲は相撲の原点
【原田省(鳥取大学医学部附属病院長)】君ヶ濱親方、まずは現役生活、お疲れ様でした。隠岐の海として幕内に上がった頃から注目していて、東京出張のとき、何回か両国国技館まで観に行ったことがあります。
【君ヶ濱親方(元 隠岐の海)】ほんとうですか。ありがとうございます。
【原田】最初の方はぱっと行けば入場券を買うことができたんですが、そのうち相撲ブーム、特に女性の相撲好きが増えて、なかなか入れなくなってしまいました。親方はイケメンだからすごい人気でしたよね。
【君ヶ濱】(笑いながら首をふって)いえいえ。過去の栄光ですよ。
【原田】親方は身長189センチと体格に恵まれています。出身地の隠岐の島には親方のような大きな方は多いんですか?
【君ヶ濱】そうじゃないです。ぼくは大きな方ですね。小学校6年生のときには170センチありました。
【原田】では当然、学年では一番大きい?
【君ヶ濱】ええ。ただ2クラスしかありませんでしたけれど。小学校から中学校までずっと2クラス(笑)。
【原田】ぼくが親しくさせてもらっている映画監督の錦織良成さんの『渾身』という隠岐の島の伝統行事である古典相撲を取り上げた映画作品があります。
【君ヶ濱】私も少しだけ出演させていただいています(笑)。
【原田】知ってます(笑)。隠岐は古くから相撲が盛んな地方でした。隠岐の古典相撲は相撲の原点とされています。映画で集落に稽古場があり大人から子どもまで集まっているという場面がありました。親方もああいった雰囲気の中で育ったんでしょうか。
【君ヶ濱】もしかしてあの雰囲気を知る最後の世代かもしれません。兄貴たちが柔道、バスケット、相撲をしており、身近に相撲がありました。本格的に始めたのは小学校4年生のとき。
ぼく自身は相撲はあまりやりたくなかったんです。相撲(の稽古)って痛いじゃないですか(笑)。ただ、島では相撲の人気はありましたね。女の子たちもバスケットより、相撲(をやっている人)の方が格好いいって言ってました。
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隠岐諸島の豊かな大自然を背景に、古典相撲を通して、島とともに生きる家族の絆と、伝統行事にかける島民の熱い想いを描いた作品。伝統やしきたりを重んじ、地域一体で生活する島民の姿は、今では希薄になりつつある、人と人とのつながりの温かさを伝えてくれる。さらに古典相撲ならではの迫力ある相撲と、大量の塩が飛び交う応援シーンは圧巻。監督、脚本は「白い船」「高津川」の錦織良成。君ヶ濱親方も現役時代に力士役として特別出演している。
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■相撲は高校まで。船を持って何かしたかった
【原田】古典相撲は定期的に行われるのではなく、祝い事などがあるとき開催されるんですよね。
【君ヶ濱】はい、ぼくは2回出ましたね。
【原田】普通の大相撲との違いはありますか?
【君ヶ濱】まずは、塩がたくさん撒かれること。
【原田】なるほど『渾身』でも土俵際にいる人たちも力士めがけて大量の塩を投げていましたね。
【君ヶ濱】土俵に立っていただくと分かるんですが、塩ってものすごく滑るんです(笑い)。二つ目は2番とるんですが、最初に勝った力士は2回目の対戦で勝ちを譲らなければならない。
【原田】島内で勝った負けたでしこりを残さないためですね。いわゆる人情相撲。そんな中、親方は中学校時代にも全国大会に出場、隠岐水産高校でも3年連続でインターハイに出場しています。この時点で大相撲に入るつもりはなかったんですか?
【君ヶ濱】(大きく首を振って)相撲は高校で終えるつもりでした。島で育ったので、隠岐の島と本土をつなぐ仕事に就きたいと考えていました。漠然と将来は自分で船を持って何かしたいと考えていましたね。
■八角親方が誰だかわからなかった
【原田】高校卒業後、航海士になるために「専攻科」に進学します。しかし……。
【君ヶ濱】専攻科では、日付変更線を超えてハワイまで航海するという実習があるんです。3カ月の間、船の中での生活です。ところが、ベッドがぼくには小さかったんです。
最大で180センチくらいの人に合わせているんです。普通の人は問題ないです。ぼくはそれより大きいので、身体をくの字に曲げて寝なければならない。
【原田】ずっとその格好で眠るのは辛いですね。
【君ヶ濱】加えて船酔いもありました。ハワイ近くでは7メートルの波に遭遇したこともあります。500トンぐらいの船なのにカーペットがずれるほど揺れるんです。日本に戻ってきて(神奈川県の)三崎港に停泊したんです。
そのとき、携帯(電話)つながるかなって、電源を入れたら、学校の先生から着信があり、八角親方が高校2年生の子をスカウトするために島に来る、一緒にご飯を食べろ、と。今の(弟弟子にあたる)隠岐の富士を見に来たんです。
【原田】すごいタイミングですね! ついでに親方に会って大相撲に入るのはどうかという誘いだったんですね。
【君ヶ濱】いや、ぼくはお相撲さん(力士)にはならないってずっと言っていたので、先生は行かないとは思っていたんじゃないですか。こちらは狭いベッドと船酔いで、気分が落ちていたんです。まあ、ご飯食べるだけならばいいだろうって行くことにしたんです。
【原田】八角親方とは現役時代、名横綱だった北勝海関。八角親方のことはご存じだったんですか?
【君ヶ濱】(苦笑して)大相撲に全く興味がなくて知らなかった。このおじさん誰って感じでした(笑)。(兄弟子である)千代の富士関は知っていましたが、ぼくたちは、貴乃花関、若乃花関、朝青龍関の世代なんで……。
■ジュースを買えと「1万円札」を渡された
【原田】第一印象はどうでしたか。八角親方は寡黙なイメージがあります。
【君ヶ濱】大きくて坊主頭で、顔を真っ赤にしてお酒を飲んでいた姿を覚えています。周りの方がずっと喋っていて八角親方はずっと黙って聞いていました。
相撲どころなんで、みんな親方と話をしたかったんでしょう。食事の後、親方から「ジュースでも買え」と言われてお金を渡されたんです。それが1万円札だったんです。
【原田】1万円札! 何本ジュースが買えるんでしょうか(笑)。
【君ヶ濱】当然のことながら、親からそんなジュース代貰ったことはないじゃないですか(笑)。華やかな世界なんだなと思いましたね。
【原田】そこで大相撲入りを決めた?
【君ヶ濱】いえ。翌日、八角親方が自宅に来てサインを書いてくださって、そこで終わりだと思っていました。その後、周囲から厳しい世界だけれど、頑張れば上に登っていける、船の仕事はその後でもできるんじゃないか。
せっかく大きな身体で生まれたんだから、それを生かせと説得されました。そこから1週間ぐらいで決めましたね。船乗りでやっていけないんじゃないかという不安と新しい世界への憧れに背中を押された感じですね。
【原田】ジュース代の1万円も影響しましたか?
【君ヶ濱】もちろん、でかかったですね(笑)。
■稽古は限界を超えてからが本番
【原田】大相撲の新弟子といえば、厳しい稽古はもちろん親元を離れての生活ですからいろいろと大変ですよね。
【君ヶ濱】はい、最初は(道を)間違えたと思いました。高校の相撲部とは全く別物でした。みんな命賭けているので目の色が違う。
【原田】稽古は限界までやりますものね。
【君ヶ濱】(大きく首を振って)限界を超えてからが本番です。
【原田】親方といえば、2008年11月場所、西幕下筆頭で十両昇進の目安である5勝を挙げたにもかかわらず、十両の下位で負け越した力士が少なかったため、昇進が見送られたことがありました。
幕下筆頭で5勝して十両にあがれなかったのは42年ぶりだと大きく報じられましたね。十両に上がれば「関取」になれる。幕下と十両の差は大きい。
【君ヶ濱】はい。だからその辺りになるとみんな目が血走っている。力を抜く人は誰もいないです。そこで勝ち越したのに上がれなかった。もうやる気がなくなりましたね。もうふて腐れてました。
【原田】とはいえ、親方は次の1月場所で全勝優勝して十両昇進を決めました。力士に限らず、壁を乗り越えられる人間とそうでない人間がいると思うんです。親方はその差はなんだと思いますか?
【君ヶ濱】(腕組みして)本人の努力っていう方もいるでしょう。ぼくの場合は“人”でしたね。(八角部屋がある東京・両国と)地元が離れているじゃないですか。
だから来ていただくのは難しい。そんな中、東京で出会った人が、すごく応援してくださった。その方々に励まされたので頑張れたのかなと思います。
【原田】今年1月場所で現役を引退されました。今後は八角部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたることになります。第2、第3の隠岐の海を育てなければならない。
【君ヶ濱】まずは八角部屋に力士を増やすことですね。自分たちは力士がいなければ何もできませんから。
■力士として成功するのに必要なたった1つの資質
【原田】力士として成功する才能とは何だと思いますか? やはり身体は大きいほうがいいですか?
【君ヶ濱】(きっぱりと)身体の大きさは関係ないですね。小さい力士が強くなって勝てば、お客さんに喜んでもらえます。大切なのは素直さ、ですかね。真面目に話を聞く子は強いです。
高い志を持てと若い子に言ってもピンとこない。いろんな人と出会うことで、自分の道を見つけることができる。素直に人の話を聞く子だとそうした機会が多いと思うんです。
【原田】それは親方の実感ですね。
【君ヶ濱】結局、縁なんですよ。スカウトでもこの子に来てほしいと思っても縁がなければ来ない。絶対に来ないという人がぱっと会っただけで来ることもある。嘘だけはつきたくないんです。
この世界はきついよ、我慢できるか、ときちんと言った上で、それでも来るという人を迎え入れたいですね。
【原田】隠岐の島からまた親方のような力士が出てきますか?
【君ヶ濱】作らないといけないと思っています。島に才能のある子はいるとは思います。ただ、野球やサッカーと違って相撲って、一般的には少し遠い世界です。いきなり見ても入りたいとなかなか思いませんよね。
自分が育ったような環境で相撲をまず好きになってもらうこと。稽古だけだと辛いけど、大人がわいわい言って楽しんでいると、その場に行きたいと思うじゃないですか。
■相撲取りと一緒にいると力が湧いてくる理由
【原田】その意味では、古典相撲の歴史がある隠岐の島は可能性がありますね。話は変わりますが、我々、とりだい病院は米子市にあります。隠岐の島からも患者さんがよくお見えになっています。親方は米子、とりだい病院に来たことはありますか?
【君ヶ濱】すみません、これまであまり米子に縁がなく、とりだい病院にも行ったことがないです(苦笑)。ただ、病院といえば、現役中、何度か慰問で訪れたことがあります。
そのとき、ぼくの目の前で重症の患者さんが起き上がったんです。そうしたら看護師さんが、動いたって、泣いていました。全く動くことのできない患者さんだったらしいです。
感情を出すことのできなかった患者さんの表情が変わったと聞きました。お相撲さんってそういう力があるんですかね?
【原田】絶対にあります! 親方と一緒にいるとぼくも力が湧いてきました。商売をやる方たちが力士と酒席をともにしたいという気持ちが少し分かりました。
とりだい病院には、親方のような身体の大きな方でも入れる高気圧酸素治療室もあります。今度、米子に来てください。
【君ヶ濱】はい、是非!
披露大相撲
令和5年9月30日(土) 両国国技館
【開場】午前10時30分
【取組開始】午前11時30分
【打出(終了)】午後4時予定
隠岐古典相撲形式にて、隠岐の海最後の取組を行います。
お問い合わせ 隠岐の海引退相撲事務局
FAX:03-6659-2942
メール:okinoumi.danpatsu@gmail.com
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君ヶ濱親方(きみがはまおやかた)
元大相撲力士
1985年島根県隠岐の島町出身。島根県立隠岐水産高校卒業後、八角部屋に入門。2005年初土俵。2009年新十両。2010年新入幕。殊勲賞1回、敢闘賞4回受賞。得意とする四つ相撲で優勝争いにも絡み金星をあげる。2023年1月場所で引退。年寄「君ヶ濱」を襲名。
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原田 省(はらだ・たすく)
鳥取大学医学部附属病院長
1958年兵庫県出身。鳥取大学医学部卒業、同学部産科婦人科学教室入局。英国リーズ大学、大阪大学医学部第三内科留学。2008年産科婦人科教授。2012年副病院長。2017年鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。患者さんと共につくるトップブランド病院を目指し、未来につながる医学の発展と医療人の育成に努めながら、患者さん、職員、そして地域に愛される病院づくりに積極的に取り組んでいる。好きな言葉は「置かれた場所で咲きなさい」
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(元大相撲力士 君ヶ濱親方、鳥取大学医学部附属病院長 原田 省 構成=奥田緑、カニジル編集部 写真=中村治)