「母の日」インタビュー
本橋麻里選手 編

毎年5月の第2日曜日に設定されている、母親に日頃の感謝を伝える「母の日」。そんな日に合わせて、2児の母であり、現在もカーリング選手として、会社の代表理事として、精力的に活動している本橋麻里選手に「母になって起きた変化」をテーマに、お話を聞いた。日本では、まだそう多くないママアスリートの道を選んだ理由から、子どもたちとの日々をとおして学んでいること、生かしていることとは――。


今よりも少し幼い長男を抱く本橋麻里選手/本人提供

【選手、女性としての人生の選択】

――本橋選手が結婚、出産を経てカーリングを続ける決断に至った経緯を教えてください。

「17歳で日本代表に入らせていただいて、早めに海外の女性の生き方を見ることができていたのが大きいかなと思います。特に印象的だったのは、カナダと北欧の選手たちが妊娠していても氷に乗ってプレーをしていたことです。産後も授乳しながら大会に出ていたり、試合会場では旦那さんを含めた家族やシッターさんが、ベビーカーを押して子どもの面倒を見ているんです。そういう景色を10代から見て、私もきっと歳を重ねたらこういう風になっていくのかなあと漠然と思っていました」

――しかし、日本ではなかなか前例の少ないチャレンジでしたよね。

「そうですね。日本の女性アスリートの多くは、結婚をきっかけにみんな引退してしまっていて、そこはすごい世界とのギャップを感じていました。みんなが喜んでやめたかと言ったらそうでもない選手も多かったんですよね。カーリングに関して言えば、若ければいいっていうスポーツでもないので、余計にそうだと思うんです。選手として成長してきて、スキルが身についてきたっていうタイミングで、女性の人生曲線にぶつかったので、私としてはやはり海外の女性選手みたいな決断をしたいという思いから、その道を選びました」

――2012年に結婚されて、2015年に第1子となる男の子を出産されましたが、競技を続ける上でご主人とはどんな話をされていましたか?

「ありがたいことに夫は『働いていいよ』という人で、『続けられる環境があるなら続けたらいいんじゃない?』って。『逆に辞める理由って何?』みたいな感じでしたね。ただ、子どもができるとフリーの時みたいに、ポンと遠征に行けるわけではないので、そこは事前にお互い計画を立てて連絡取り合って、子ども優先で準備していこうという話にはなりました」

――出産後は、どのぐらいで復帰されたんですか?

「出産の前日まで、軽くできるトレーニングはしていました。最低限の筋力は競技復帰するためでもありますが、母子ともに安産というのがゴールでした。産後は、やはり筋力も落ちたなぁと思いながら、2カ月ぐらいから少しずつ体を動かしていました。完全に戻ったと思えたのは、7カ月、8カ月経ったあたりだったと思います」

【得るものしかなかった休養の1年】

――2018年は銅メダルを獲得した2月の平昌五輪を経て、6月から休養に入られました。その1年は子育てがメインだったのですか?

「残念ながら子育てで休むという選択が、私のなかにはなかったんですよね。競技を休んでいた1年間は、基本的にこれまでカーリングが好きな女の子の集合体でしかなかったチームを会社にする準備期間でした。競技、会社を起こす、子育てという3つ全部のバランスを考えると、競技が優先ではないなという判断でした」

――このタイミングだった理由はありますか?

「若手も育ってきて託せるって思えたので、甘えさせてもらったんです。あとは、海外遠征の多いチームなので、平昌大会までは行ける範囲で行ったんですが、息子が3歳になったタイミングで、ママ友から『3歳は人間的成長が著しい年齢で、結構大事だよ』と教えてもらって、近くにいられる時間を増やすという意味もありました。それがちょうど平昌終わりだったんですよね。これは時が来たと思えるタイミングだったので、1年休むことは全然怖くなかったです」

――実際にはいかがでしたか?

「1年競技を休むということは、何かを捨てたようにも思える状況なんですが、得るものしかなかったです。子どもが何を考えて成長しているのか、逆に子どもの周りに改めてどういう人がいてくれるのかを再認識できました。息子は生後5カ月ぐらいから保育園に預けていましたが、保育園の先生にも励まされたりとか、今しかできないことを全力でやったほうがいいって言ってくれるママさんたちがたくさん周りにいてくれました。きっと、みんなそういう壁にぶつかりながら子育てしているから、応援してくれるんだろうなって。それを再認識すると改めて仕事を頑張らないとって思いました。この経験が今を支えていると思います」

――同じ悩みを持つママ友からの応援は力になりますね。

「本当に周りに励まされましたね。そういうふうに自分もなっていきたいので今後、周りに自分の人生も大事だし、旦那さんも子どもも大事にしたいって人がいたら、胸張って進んだらいいよって、私も全力で応援したいと思います」

【子育てをカーリングに生かす】

――2020年には第2子も誕生して競技にも復帰され、さらに忙しい日々だと思いますが、どんなスケジュールで動いていますか?

「めちゃめちゃですよ(笑)。子どものスケジュールが中心なので、仕事はめちゃめちゃなところに対応するっていう勝負の毎日です。朝5時に起きて家事をやって、パパに手伝ってもらいながら子どもを学校と保育園に送って、なるべく朝にトレーニングを入れています。もちろん仕事が入ればそれが優先です。あとは、午後から夕方に育成チームと氷に乗っているので、スキマ時間で1回お家に帰って、ご飯の準備をしてまた出ていくみたいな感じです。子供たちのお迎えに行って、夜ご飯からお風呂、寝かしつけまでやって、夜もスキマ時間で片付けしたり掃除したりとかしています」

――自分の時間はほぼないですね。

「だからこそ、車の移動時間に考えをまとめたり、『ここの時間で何を考えて、決める』とか、時間を考えて動くようになりました。子どもといる時間に仕事の電話がかかってきて、仕事モードになっちゃうと子どもに怒られるので、やめようって気をつけたり。そうすると時間の使い方がうまくなって、メリハリが出てきました」

――カーリングの経験が子育てに役立つことはありますか?

「まあ多少?(笑)。逆に子育てが、カーリングの役に立っているんですよね。今は育成をしていかなければいけない立場でもあるので、育成も子育ても一緒だと感じています。育成に大切なことを気づかせてくれるのって子どもといる時間なんです」

――例えばどんなことがありますか?

「競技をやっているとリスク管理とかもするんですけど、子育てってリスク管理している場合じゃないくらいトラブルだらけで、私が遠征や合宿に行くっていう日に子どもの具合が悪くなったり。親の気持ちを察するんでしょうね。こっちが緊張しすぎると子どもにも伝わるので、平常心を意識したりします。

 あとは、子育てってこんなにマルチタスクだったんだって思いますし、柔軟性も求められるんですよね。相手を変えるんじゃなくて、とにかく自分が変化していかないといけない柔軟性ですね。マルチタスクをこなす力と柔軟性って、カーリングでもすごく大事な2つの要素で、お仕事でも重要な2つなのかなと思います」

――相手を変えるのは難しいとなれば、自分が変わりながら対応しないといけないですよね。

「それに気づいた時はハッとしましたね。私ができていなかったのはこれかって思いました。自分の欲を捨てて、最優先に『子ども』が来ると、見えてくるものがたくさんありました。

自分の子どもはもちろん、育成チームの若い子たちも子どもと思って接していますが、言いづらそうにしている子とか、逆にテンションが上がりすぎちゃってる子とか、その行動には、それぞれみんな理由があって、そこをちゃんと知ろうって思えるようになりました。そうするとこっちのアイデアも増えて、そんなにイライラすることもなくなって、生きやすくなりましたね」

――自分が大人になったと言ったら簡単な言葉になってしまいますが。

「でも、子どもに大人にさせてもらってるっていうのは本当にあります。パパ、ママ1年目とか2年目とか言いますが、本当にそのとおりだと思います」

――お子さんたちはカーリングをされているんですか?

「全然(笑)。長男は今バスケットにハマってミニバスをやっていて、次男はそこについて行ってボール遊びをしているような感じです。カーリングは、やりたくなったらやればいいんじゃない?ぐらいですね。自分で好きなことを見つけてほしかったので、バスケットをやりたいって言ってくれてちょっとほっとしました。

 正直、最初は『大丈夫?続けられるの?』と言っていたんですが、息子が私に『カーリングやめて』って一度も言ったことがないと気づいて『これはフェアじゃないな』と。今は楽しそうにやっているのでよかったなと思っています」

Profile
本橋麻里(もとはし まり)
1986年6月10日生まれ。北海道・常呂町(現・北見市)出身。
12歳からカーリングを本格的に始め、17歳で日本代表に選出され、6回出場した世界選手権では、2016年に銀メダルを獲得し、3回出場したオリンピックでは、2018年平昌大会で銅メダルを獲得。その後、ロコ・ソラーレを一般社団法人化し、代表理事を務める一方、選手としても競技を続けている。2012年に結婚、2015年に第1子となる男児を出産。2020年に第2子男児を出産している。