CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!〜朝からP•O•N』水曜日のコーナー、「ルーツ・オブ・カンパニー」では毎回、誰もが知っている有名企業の知られざるルーツを紐解いています。4月19日の放送で焦点を当てたのはANA、全日空こと全日本空輸です。言うまでもなく日本でJAL(日本航空)とならぶ二大大手航空会社の1つ、世界でも大手の航空会社です。

70年以上前に開業

現在のANAは飛行機で人や貨物を運ぶ会社ですが、実は1952年(昭和27年)に設立された時は飛行機を使った会社ではありませんでした。
最初はヘリコプターを使った会社だったのです。

第二次世界大戦の終結後、日本ではGHQによって飛行機を飛ばすことを全面的に禁止されていましたが、運行禁止が解除されたのは1950年(昭和25年)。

翌年にJAL(日本航空)が半官半民の会社として設立され、さらにその翌年にANAの前身となる会社が純民間の航空会社として設立されましたが、最初はたった2機のヘリコプターで人や貨物を運んでいました。

その時の会社名は、その名もズバリ「日本ヘリコプター輸送」。

飛行機よりも安価なヘリコプターを使って、何もないところからスタートしたそうで、設立当時の社長の言葉は「現在窮乏、将来有望」だったそうです。

最初は東京を中心に活動していましたが、設立から5年後の1957年(昭和32年)、大阪を中心に活動していた極東航空と合併してできたのが、全日本空輸です。

世界で有数の航空会社に発展

合併して2年後の1959年(昭和34年)にはDC-3という飛行機を使って、東京ー大阪の直行便を開設し、旅客輸送の実績を着実に伸ばして行きました。

そして1979年(昭和54年)には、旅客輸送実績が世界6位にまで上がっていきました。
ただ、この時点ではまだ国内線のみにとどまっていたため、次の目標は国際線の定期便就航です。

当時、日本では航空機事故の過当競争を防ぐため、45/47体制というものが敷かれていました。
この体制によって、国際線はJAL、国内線はANAと住み分けがなされていました。

しかし、ANAは国際線が就航できるようにがんばり続けて、1986年(昭和61年)に定期便の成田ーグアム線が開設されました。

その後、1999年(平成11年)には、スターアライアンスという国際的な航空連合に加盟し、外国の航空会社とコードシェアをして、活動を世界へと広げました。

時刻表にある2文字の理由

今や、ヘリコプター2台から始まったとは思えないほど大きな会社となり、ヘリコプターのイメージはまったくなくなったように見えますが、実は今もその片鱗が残っています。

各航空会社には世界共通で2文字のコード、2レターコードが割り当てられていて、例えばJALはJLで、国際線の時刻表には便名にJL6406などと書かれています。

では、ANAのコードは何かといいますと、ANではなく「NH」です。

一見日本航空と被っていそうですが、実はこの略称、前身会社の日本ヘリコプターに由来しているのです。

2013年から5スターの格付けを10年連続で受けているというANA、始まりはヘリコプター2機からスタートしたというお話でした。
(岡本)
 

多田しげおの気分爽快!!〜朝からP・O・N
2023年04月19日08時14分〜抜粋(Radikoタイムフリー)