小田急新宿駅に入線したロマンスカー50000形「VSE」。この日は神奈川の地酒を楽しむイベント列車として運行した(記者撮影)

「2023年秋頃に引退」。小田急電鉄のロマンスカー50000形「VSE」は、その運命が決まって以降、駅や沿線での存在感が一層増したように見える。

流線形のシルキーホワイトの外観で、展望席と連接台車というロマンスカーならではの“伝統”を受け継いだ車体は、子どもだけでなく大人も思わずカメラを向ける。愛称のVSEは「Vault Super Express」の頭文字をとっており、客室を広く感じさせる高さ約2.5mのドーム型の天井(Vault)が特徴だ。10両編成が2本ある。

「完全引退」控えたVSE

VSEは2005年3月にデビューした。デザインを担当した建築家の岡部憲明氏率いる「岡部憲明アーキテクチャーネットワーク」は、VSEを皮切りにロマンスカー60000形「MSE」や70000形「GSE」、箱根登山鉄道3000形「アレグラ号」など、小田急グループの車両を次々と手掛けることになる。

「白いロマンスカー」として親しまれてきたVSEだが、小田急は2021年12月、「車両の経年劣化や主要機器の更新が困難になる見込みであるため」として、2023年秋頃の引退を発表した。ロマンスカーの通常ダイヤでの定期運用は2022年3月11日に終了。その後はイベント列車などで活用されている。

例えば、VSE2編成が本線上で抜きつ抜かれつのレアな光景を繰り広げる「追いかけっこリレー」や、VSEで一夜を明かすナイトツアー、“音鉄”向けの「サイレントロマンスカー」、車両基地での撮影会と、さまざまな特別企画を展開してきた。

2023年4月15日には、神奈川の地酒を車内で味わえるイベント列車を運行した。神奈川県酒造組合の13の酒蔵がそれぞれの銘柄を提供・販売するツアーだ。


新宿駅で出発を待つVSEのイベント列車(記者撮影)

募集要項によると、旅行代金は1人1万5800円に設定。1人で参加する場合は別料金2000円で2座席を利用することになる。参加者には300mlの地酒3本セットと弁当、500mlのミネラルウォーター2本を用意。13銘柄のうち、12銘柄を3つずつ4組に分け、参加者は好みのグループを選んで申し込む。これとは別にVSEの3・8号車にあるカウンターで、数量限定ながら四合瓶(720ml)を買うことができる。

日本酒好きだけでなく鉄道ファンにとって見逃せない「オリジナルVSEお猪口」といった特典も付けた。参加者は自前のお猪口や升、においの強くないものであればつまみも車内に持ち込むことができ、思い思いにVSEの乗り心地と神奈川の地酒を楽しめる内容になっている。

一方、飲酒を伴うツアーならでは注意事項も。申し込み用のウェブサイトでは「ご集合前に必ずお手洗いをお済ませください」など、ほかのツアーと共通の項目に加え、「飲酒によりツアーへの継続参加が難しい場合や、他のお客様にご迷惑をお掛けすると当社が判断した場合はツアーを離団いただく場合がございます。ツアー中にお楽しみいただくお酒の量等には、十分ご注意いただきますようお願いいたします」と太字で念を押した。

ロマンスカーと日本酒の相性

当日、140人の参加者と酒蔵スタッフらを乗せたVSEは、昼前に新宿駅を出発、相模大野駅近くの車両基地に入線するなどしながら、時間をかけて小田原駅まで走行した。着物姿の「2022 Miss SAKE 神奈川」の横田早紀さんや、各蔵元のハッピを羽織ったスタッフらが車内を巡回、記念撮影などで盛り上げた。小田原で折り返し、15時頃に秦野駅で解散した。

小田急電鉄観光事業開発部の曽我純司さんは「コロナ禍が収束に向かうなかで、そろそろ車内でお酒を飲める機会を設けたいと考えた」と話す。酒造組合とはコロナ禍でもオンラインで酒蔵見学をするなどのコラボをしてきた。

ロマンスカーと日本酒との組み合わせは意外に思えるかもしれないが、蔵元の多くは小田急沿線の市町に位置する。酒造組合の熊谷守事務局長は神奈川の地酒について「丹沢山系のすごくいい水を使っている。全国的に見ても精米歩合が高い蔵が多い」と特色を挙げる。

地酒をテーマにしたロマンスカーのイベント列車も前例がある。2018年10月8日、その3カ月前に定期運用を終了し、ラストラン間際の7000形「LSE」を使って開催した。LSEもまた、展望席と連接台車が特徴のロマンスカーだった。

小田急はVSEを活用したイベントを次々と打ち出している。大型連休期間をみても、4月29、30日に子ども連れ向けのロマンスカーミュージアム貸し切り見学とVSE乗車ツアーを実施、5月3〜5日は「乗り鉄・撮り鉄・音鉄」を対象にした2本のVSEによる追いかけっこリレーを“新行路”で走らせる予定。VSEのイベント列車は人気が高く、5月14日の「JALの客室乗務員と行く」VSEの旅は即日完売したという。


貸し切りだと自慢の展望席も向かい合わせのラウンジ仕様にできる。後ろのほうが落ち着いて眺めを楽しめる?(記者撮影)

自分で「貸し切る」という手も

定期運行を終えたVSEに乗車するには、小田急主催のツアー以外に、1編成丸ごとチャーターする「VSE貸切プラン」を利用する手もある。「鉄道ファンの方々のコミュニティの場やイベント、企業の懇親会、結婚式、同窓会など、幅広いシーン」(同社)を想定した期間限定の特別企画だ。

新宿から秦野、新百合ヶ丘車庫線、唐木田車庫を巡って新宿に戻る「小田急周遊プラン」と、新宿から大野総合車両所を経て小田原へ向かう「小田原行きプラン」を設定した。4月以降の旅行代金は周遊が144万円、小田原行きが98万円。最少催行人員は1人で、VSEを“独り占め”することもできる。一方、最大乗車人員の250人の場合は1人あたり5760円の計算で手軽に利用することが可能だ。

すでに2023年11月末までの期間を受け付けており、9月以降は平日のみの利用で、12月以降の催行はない。小田急トラベル営業サポート部の課長、米田将人さんによると、2022年10月の開始から半年間で20件ほどの利用実績があり、この先も約20件の予約が入っている。中には1人利用の申し込みもあるという。

米田さんは「貸切プランは17年間の定期運行のなかでのさまざまな思い出を持ったお客さまが自分たちで企画できるのがメリット」と話す。土日の予約は埋まりつつあるが、平日はまだ空きがあるという。

少なくとも11月末までは貸切プランで運行することは確実だが、完全引退が現実味を帯びてきたVSE。週末を中心に多忙なラストスパートが続きそうだ。ファンにとって最終日に駅に押しかけるばかりが別れを告げる手段ではない。ゆっくりとVSEの乗り心地を楽しむ機会はまだ残されている。


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(橋村 季真 : 東洋経済 記者)