すべてを民間に任せればいいかというとそんなことはない(写真:metamorworks/PIXTA)

「Econofakes エコノフェイクス」とはスペイン・セビリア大学応用経済学教授であるフアン・トーレス・ロペスがつくりだした「経済のウソ」という意味の造語だ。

「経済学は、難解で抽象的な数式で提示されると、科学的で議論の余地のない真実のように見える。しかし、経済学には『科学』で存在するような普遍的な『法則』が必ずしも存在していない。実際は仲間内で権威を与え合う経済学者たちのゆがんだイデオロギーによって導き出された『ウソ』に満ちあふれている。そして、この『ウソ』によって権力や富が一部に集中するシステムが正当化されているのにも関わらず、多くの人はそのことに気づいていないのだ」とトーレス教授は言う。

それでは、その「ウソ」とはいったいどんなものなのか? そして「ホント」とは? トーレス教授の著書『Econofakes エコノフェイクス――トーレス教授の経済教室』より一部抜粋、再構成して全5回連載。第5回をお届けする。

政治的な公的介入に関する大きなウソ

☆ウソ 無駄に公共支出を行い、税を課し、経済成長を抑制する借金をする国が問題

政府が経済に介入することの是非というのは、これまでも、そしてこれからも常に議論となる避けられない問題であろう。

「政府の介入」の影響に関するウソを最も端的に表した言葉がある。それは、ロナルド・レーガンが大統領就任演説で述べた「この危機において、政府は私たちに問題の解決をもたらすものではなく、政府自体が問題だ」というものだ。

政策が及ぼす影響は、個人や企業ごとに違うため、評価が違うのも当然だ。だからといって、必要とされる公的介入に対して間違った論拠で評価してはならない。このような間違った論拠のなかでも特に重要なものを挙げて、そのウソを暴いていこう。

第1のウソは、政府が使うお金は、無駄なだけだというものだ。こうした主張をしているダニエル・ラカリェのような超自由主義の経済学者たちは、こうまで言っている。「スペインのGDPの増加は、何ももたらさず何も生み出さない誇大妄想的なプロジェクトによって引き起こされたものだ」。

第2のウソは、政府支出の財源として徴税は不可欠で、その税金ですべての個人、企業、社会集団が等しく被害を受けるというものだ。豊かな集団や個人への税額を下げることは経済全体に対してプラスの「波及効果」を生むというウソもある。

スペインでは、マドリード州首相が頻繁にこう明言している。「われわれの減税政策で、投資と雇用の増加、社会福祉の改善がもたらされる」。

第3のウソは、政府支出を増やすと借金が増え、経済成長が抑制されるというものだ。

このウソを最も拡散させたのは、ケネス・ロゴフとカルメン・ラインハートの論文である。2人はそのなかで、経済成長を長期的に見ると、大きな負債は成長率を低下させる大きな要因であると主張した。

まず、「政府とは問題の解決をもたらすものではなく、政府自体が問題だ」という考え方自体がおかしい。

特に現代においては間違っている。銀行の腐敗や不正行為に端を発した2007年から2008年の経済危機では、世界的な崩壊を食い止めるのに政府の介入が決定的だったことが明らかになっている。

新型コロナウイルスのパンデミックでも、公共資金の大量注入や公共サービスの拡充が医療崩壊や経済の完全停止を回避するのに不可欠で、基本的な役割を果たしてきたことを私たちは目にしてきた。今世紀最大のこれら2つの危機において、政府は「問題」だったのではなく「解決」をもたらしたのである。

政府自体が問題なのではない

そして第1のウソ「政府支出は何ももたらさないお金の無駄づかいだ」というのも、かなり乱暴なウソである。 

2007年に経済危機が起こったとき、各国政府や国際機関はこのウソを使って公的支出を削減しようとした。緊縮政策によって、雇用と経済成長が伸び、債務を減らせるのだと主張した。その根拠として、政府支出を削減しても経済活動にはほぼ悪影響を与えないとする複数の研究を流布した。しかし、政府が支出すると、そのお金は必ず、そして即座にそのまま民間部門の収入となるのだから、この考え方は間違っている。

当時、国際通貨基金(IMF)は、政府支出を1ユーロ減らしてもGDPは0・5セントしか下がらないと試算していた。しかし、のちにそれが間違っていたことがわかった。1ユーロを削減するごとにGDPは1.7ユーロ以上下がっていたのだ。

また、データを見れば、たとえばアメリカでは過去20年間で、インフラに費やされた1ドルの公的資金が3.21ドルの経済活動を生み出したことは明白だ。

つまり、政府支出は無駄で、経済になんの効果も与えないというのはウソなのである。実際、医療、教育、年金への支出を減らして大手銀行の救出に公費を割り当てる政策を望む人たちが行った「間違った」計算よりも政府支出によるGDPの上昇ははるかに大きかった。

2番目のバリエーションである政府介入による影響(政府支出によって徴税額が増え、国民の重荷になる)に関するウソも実質的にはありえない。

まず、政府支出の財源は、当然、税金だけでなく借金や通貨創造でも賄える。それぞれの資金調達法のメリットとデメリットには議論の余地があるが、必ず徴税が必要だというのは誤りだ。

むしろ、インフラ、基礎研究、教育、公営企業、ケアエコノミーといったものに対して政府支出をし、そこから富や生産的な経済活動が生まれるなら、その公共投資自体が支出しただけの額を生み出していることになる。政府支出はすべて、GDP、つまり経済主体の所得を増やし、その後、税金となって政府に戻ってくる。このことは、政府支出を嫌うダニエル・ラカリェのような経済学者でも認めざるをえないだろう。

政府支出ではなく金利が問題

経済にとって政府は「問題」だという説の最後の3つめのウソを見てみよう。政府支出を増やすと借金が増え、経済成長が抑制されるというものだ。

財源が適切に確保されていれば、必ずしも政府支出によって借金が必要になるわけではない。また、公債が支出の増加に関係してくるとしても、経済にとって必ずしもマイナスの負担となるわけではない。ときには、まったく反対の現象が起こることもあるからだ。

たとえば長期的なリターンや利益が期待できる投資にもかかわらず融資に頼らないというのは、実にばかげている。投資を抑制することこそが、経済活動や発展のリスクとなることもある。実際に、このウソを主張する人たちの影響で政府の長期投資は制限されてきている。政府支出の必要性を評価し、正しく管理し、適切な方法で実施することは必要だが、通常の支出や投資に対しても同じような制限をかけることは、まったく別の話であり、間違っているといえる。

一方で、現在、世界のほぼすべての国が抱えている借金、銀行の利益のためにまさに奴隷制度のような仕組みで生み出されている借金は、過剰な政府支出によるものではないことも明らかだ。 

欧州連合(EU)の統計局、ユーロスタットのデータによると、1995年から2019年までのEUにおける公債増加分の92パーセント、およびユーロ圏における110パーセントは金利によるものだった。同じ現象は、中央銀行の融資ではなく、はるかに割高な民間の融資に頼らざるをえなかったあらゆる経済圏で起こっている。ここからわかることは、近年増加している債務の原因は、政府支出にあるのではなく、金利にあるということだ。

借金は奴隷制度と同じだと考えられている。多くの批判的な経済学者は、この制度を現代の経済の原動力にしたことが、かつてないほどの多くの経済危機の原因であると言っている。しかし、負債が経済成長を妨げているという主張と政府支出や政府の介入が本質的に悪であるという主張を擁護するために使われる論拠とは、分けて考える必要がある。

政府支出や財政赤字がこのような弊害をもたらすという人々の主張は、根本的な誤りにもとづいている。すでに述べたように、彼らは支出と赤字の増大が投資や経済活動を鈍らせるという。しかし、現実に起こっていることはまったく逆だ。危機や不況によって支出や赤字が増えているのである。したがって、やるべきことは常に支出と赤字を減らすことではなく、危機を回避することなのだ。

ここ40年間にわたる新自由主義政策のベースとなった公的介入の本質と影響に関する大きなウソは、多くの分析や研究が明らかにしているように、おもに3つの結果をもたらした。

財政削減が生み出す格差の拡大

1つ目は、この時期に、とんでもない富の集中が起こったことだ。政府支出の削減によって貧困層への支援や給付、そして年金が減らされ、民間企業にとって収益を創出するのが難しくなった。一方で、富裕層に対する税金が引き下げられたことで、彼らの所得は異常に膨らんだ。このように、ウソによってもたらされたのは所得と富の格差の拡大だ。

OECDに加盟する18カ国でこの50年間に起こったことを示す最新の研究を見ても、疑問の余地はない。富裕層への税金を下げると、経済活動が活発化したり雇用が増えたりすることはなく、所得格差が広がると示されている。

政府支出を不適切に制限することで、特に不況時にもたらされる2つ目の結果は、両手を縛られた政府が悪化していく経済を立て直すために本当に必要な対策をとれなくなってしまうことだ。2007年から2008年の経済危機の際に実際に起こったように、危機を止め、もたらされた損害をできるだけ小さくする代わりに、雇用と経済活動の破壊が不必要に進んでしまった。

目的が明確でチャンスを作る政府支出は必要

ただし忘れてはいけないのは、これまで何度も述べてきたように、政府支出は適切で、実際に必要で、透明でクリーン、さらには常に評価の対象となるものでなければならないということだ。大事なのは支出自体ではなく、それがもたらすチャンスや目的なのだ。


もし政府が常に財政黒字を維持したり、政府支出を最低限に抑えたりすると、経済はずっと崖っぷちに立たされることになる。なぜなら、すでに述べたとおり、必要なインフラや社会資本が十分にそろっていないと民間投資は利益を生まなくなり、民間の活動の原動力が落ちこむと経済を推進させるメカニズムが働かなくなるからだ。

第3の結果は、まさにその公共資本と、日常的な経済および社会活動に不可欠なサービスの著しい劣化である。特に今回の新型コロナウイルスのパンデミックのような悲劇や衝撃が起こった場合、それは悲惨な状況を招くこととなる。近年の超自由主義のイデオロギーが奨励してきた財政削減や民営化によって、予防、医療、基礎研究といったサービスが不安定な状態に陥ったのだ。

いずれにしても、経済における政府の機能や影響に関するこれらのウソを擁護する声はいまだに大きく、力を持っている。あらゆる公的介入を批判し、税の廃止やすべての公共サービスの民営化を訴える無政府主義イデオロギーは、経済・金融において力を持つ集団が私腹を肥やし、社会への影響力を増大させられるような雰囲気をつくりだすのに好都合だからだ。近年の彼らの影響力と格差拡大と富の集中、これらの3つの間に相関関係があることは疑う余地のない事実なのである。

☆ホント 公共支出は場合によっては必要で問題や危機を正しく判断することが国家の課題

(フアン・トーレス・ロペス : スペイン・セビリア大学応用経済学教授)