2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

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パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
〜HAKONE to PARIS〜
第10回・其田健也(駒澤大―JR東日本)後編
前編を読む>>箱根駅伝「先輩になんともして優勝して卒業してもらいたかった」


2022年の東京マラソンで日本人2位となりMGCの出場権を獲得した其田健也

 駒澤大で主将を務め、箱根駅伝を3回経験した其田健也(そのた・けんや)は、大学2年の時から実業団の夏合宿に参加していた。複数参加したなかで「ここだ」と感じたのはJR東日本だった。

「合宿に参加した時は、かなりアットホームな雰囲気でしたね。大学は厳しいところだったので、こういう雰囲気もいいなと思いましたし、当時は堂本(尚寛)さんというトラックでアジア大会の代表選手やマラソンに強い高田(千春)さんや五ヶ谷(宏司)さんがいたんです。私は、最初はトラックをやってからマラソンにシフトしたかったんですけど、それができる環境でしたし、練習や会社の規模とかを総合的に見て、JR東日本に決めました」

 1年目は、スピードを磨くためにトラックを主戦場として走っていた。12月の記録会、1万mで28分47秒50の自己ベストを出し、2年目からは本格的にマラソンの練習に入っていった。其田にとって初のマラソンは2018年のびわ湖毎日マラソンだった。入社して約2年が経過したなかでのマラソンへの挑戦だった。

「マラソンは、2年目から始めたんですが、アメリカでマラソン合宿を経験させてもらったんです。そこでマラソンに対してだいぶ自信が持てました。初レースのびわ湖は、2時間14分53秒でタイムはそうでもなかったんですが、日本人5位でゴールできたので、なんとなくこれからマラソンで勝負できそうだなという手応えがありました」

 このレースにおいて日本人トップでMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)の出場権を獲得したのは、大学の先輩である中村匠吾(富士通)だった。この時の其田は、まだマラソンを始めたばかりで、中村との勝負やMGCのことはまったく考えられなかった。それでも「やれる感」を抱いて、翌年のレースに向けて始動したが故障して走れなくなった。

「ケガして、丸1年程度、走れなかったんですけど、この期間が私にとってすごく大きな1年でした。この時はかなりウエイトをやりました。あまり補強をやってこなかったので、マラソンに直結するお尻周辺とか、ふだんは鍛えることができない箇所を入念にやりました。体重は1キロぐらい増えましたし、フォームも少し変わりました。ウエイトの成果が出たのか、2020 年のびわ湖では2時間9分50秒と初めてサブ10を達成することができたんです」

 翌2021年のびわ湖毎日マラソンでは、2時間8分11秒を出した。そして、今年の東京マラソンでは、2時間7分23秒の自己ベストで日本人2位となり、MGCの出場権(2023年10月15日開催)を獲得した。だが、其田にとっては、タイムとは裏腹に悔しい結果に終わった。

「東京マラソンは世界陸上の選考もかかっていたので、なんとしても結果を出そうと思っていましたし、2時間5分台を目標にしたんですけど、タイムが伸びなくて......。(鈴木)健吾(富士通)君が30キロ過ぎから飛び出して行ったのを間近で見ていたんですけど、ついていけなかった。キロ2分58秒のペースで練習してきて、直前の仕上がりもかなりよかったので自信があったんですけど、それでも勝負できなかったのは悔しかったですし、自分の弱さを痛感したレースになりました」

 収穫はMGCの権利を獲得したぐらいで、むしろ明確な課題を突きつけられた。鈴木健吾がレース前にかなり走り込んでいるのを聞いており、それがレースの結果にも反映されていた。その走り込みが其田は足りなかったと分析した。

 そうした反省を活かしつつ、其田は現在、ニューイヤー駅伝、そしてMGCに向けて、練習に励む日々だ。

 MGCは、どういうレースだととらえているのだろうか。

「MGCはタイムではなく、確実に2位以内に入らないと(2024年のパリ五輪に)いけないので、絶対に外せない。さいわい、今年は東京マラソン、ベルリンマラソンと大崩れしないレースが続いているので、来年のMGCまでひとつも外さずに行ければと思っています。とにかく出たレースでは負け癖をつけないという意味でも順位にこだわっていきたい」

 其田は、きわめて堅実なレース展開をしており、そもそもレースで1発を狙うタイプではない。たとえばレースでキロ2分58秒のペース走るならそのペースでの練習をこなしてレースに臨む。練習をコツコツとこなし、練習どおりにレースをこなすタイプだ。そして失敗がほとんどない。タレない、落ちないのが其田の真骨頂でもある。また、イメトレもよくしている。ジョグの時からレースを考え、ゴールした自分をイメージしている。

 前回(2019年)のMGCは、テレビで見ていた。

まだ、マラソンに移行したばかりで自分がその場に立って走ることは想像できなかった。中村が優勝した時は、「おめでとうございます」とLINEを送った。しかし、改めて映像を見てみると、あの時、走って挑戦したかったという思いが強くなり、悔しさが募った。そのMGCに、来年、其田は臨むことになるが、そこで勝つためには「高い総合力」が必要だという。

「MGCは、読めないレースですよね。前回の設楽(悠太・Honda)さんのようにバーンと飛び出す人がいるかもしれないですし、スローペースも予想できます。いろんなパターンに対応するには、総合的な力が必要になってきます。スピードだけ磨いてもダメですし、後半余裕がないとペースアップできないのでスタミナも必要です」

 其田は、どのくらいの地点が勝負どころだと考えているのだろうか。

「たぶん、35キロからが勝負になってくると思うので、そこでペースアップできるかが勝つための絶対的な条件になると思います。9月のベルリンマラソンも35キロ地点までは集団についていけたんですが、そこから7キロの世界は別次元だなというのを感じました。日本人もそのレベルにいかないとMGCもそうですが、世界に出た時に戦えないと思います」

 MGCの先には、パリ五輪が見えてくる。憧れの舞台だが、其田は、2021年の夏に開催された東京五輪のマラソンは、自分が走っている姿を重ねて見ていた。

「キプチョゲ選手が30キロぐらいでスパートしたんですけど、やっぱり後半にペースアップしないと勝てない。やっぱり、そこなんですよね。30キロ、特に35キロ以降にどれだけ余裕を持ってペースを上げられるのか。それをやれば勝てるとわかっているので、そこをどれだけMGCまでの間、そしてパリ五輪までにやれるかにかかってきます。あと、やっぱり大迫(傑・ナイキ)さんですね。最後のレースと言われたのもあってすごい気迫を感じました。人の心を動かせる人ってなかなかいないと思うんですけど、あの時の大迫さんを見ていると、ああいう人になりたいなって思う自分がいました」

 大迫が多くの人を感動させた舞台に、其田は立ちたいと強く思っている。パリ五輪は、其田にとって、どういう舞台になるのだろうか。

「東京五輪は狙っていなくて、入社した時からパリ五輪を目指してやってきました。年齢的にはその次も行けそうですけど、目の前の大会を狙っていきたい。会社のバックアップも期待もプレッシャーも大きいですが、集大成の場にしたいと思っています」

 MGCは、駒澤大の先輩、後輩、ほかの強い選手が入り乱れてのレースになる。大学時代は、「谷間の世代」と言われたが、最終的に切符を掴むのは、1発屋ではなく、其田のようにコツコツ走る「外さない男」なのかもしれない。