元AKB48浦野一美、芸能界デビュー前に就職した理由とは? “アイドルの結婚”も語る「めっちゃ大変なんです!」
●芸能界デビュー前に就職した理由
秋元康氏のプロデュースにより結成され、数々の記録を打ち立てたアイドルグループ・AKB48。その凄まじい活躍ぶりは「AKB現象」とも呼ばれ、まさに社会現象を巻き起こしたわけだが、東京・秋葉原48劇場で行われたデビュー公演の観客はわずか7人であったことが語り草となっているなど、ブレイクまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
そんなAKB48の1期生メンバーとして激動のアイドル時代を駆け抜け、今年5月に結婚を発表したことでも話題の“シンディー”こと浦野一美は今、フリーランスでタレント活動のほか、YouTuberや17LIVEのイチナナライバーとしても精力的に活動している。
マイナビニュースでは、浦野にインタビュー。AKB48時代の秘話、アイドルの婚活、17LIVEにてライブ配信をはじめるまでの葛藤などについて話を聞いた。
浦野一美 撮影:島本絵梨佳 ヘアメイク:Violet 武者ひなの
○■チラシ配りがきっかけでデビュー
――ツイッターのプロフィールにも書かれていますが、シンディーさんはAKB48加入前、デパートで受付の仕事をされていたとか。
そうなんです! 高校を卒業してからすぐに都内のデパートに就職して、埼玉から電車で通っていました。
――その時はまだ、芸能のお仕事をしようとは考えていなかったんですか?
元々芸能の道には進みたかったんですけど、二十歳になってから芸能界に入るんだという漠然としたビジョンが自分のなかであって。もし芸能界に入って人気者になれたら、普通のことが普通にできなくなっちゃうんじゃないかなと思っていたんです。それなら芸能とは全く違う場所で社会人経験を積んで、一般常識を身につけてから、芸能界に入って夢を叶えようと。それはすごく大事なことなんじゃないかという思いがあって、一年ほどデパートで働きました。
――そして社会人を経験したあと、思い描いていたとおりに二十歳でAKB48のメンバーとして芸能界デビューされたわけですね。シンディーさんは1期生で、当時はまだAKB48の存在も世間には認知されていなかったと思うのですが、オーディションはどんな風に知ったんですか?
デパートの受付として勤めたあとに、催事場でチラシを配る単発のアルバイトをしていたのですが、そのチラシがAKB48のオーディション募集のチラシだったんです!
――そんな知り方があるとは(笑)!
すごい特殊ですよね(笑)。
○■よくアイドルになれたなって(笑)
――導かれるように加入したAKB48としての活動は当初いかがでしたか?
ダンスが本当に大変で、たかみな(高橋みなみ)と一緒によく居残りしてました。「なんで入っちゃったんだろう……」と思うくらい、しんどかったです。今でも思うのですが、ダンスがこんなにも苦手なのに、よくアイドルになれたなって(笑)。選抜に入れたのも本当にファンの皆さんのおかげです。
不得意なことがあっても、自分の得意なことを最大限に生かせるのがAKB48なのかなと。「ダンスもできないのにアイドル!? それもチームリーダー!?」と驚く人もいると思うんです。たかみなはすごく頑張ってダンスもできるようになったけど、私はどんなに頑張っても全然ダメで……それでもグループのなかで自分の可能性を見出せるポジションを与えてくれたのが秋元先生で、「AKB48ってすごいな」と改めて思いますね。
――メンバーをまとめる上で、意識されていたことはありますか?
気持ちの面でサポートしながら、社会人として基本的なことを伝えてあげられたらと思っていました。小さなことなんですけど、「楽屋が散らかったままになっていたら、片付けようね」「挨拶はちゃんとしようね」と注意したり。まだすごく若くて、アルバイトもしたことがない子たちも多かったので、社会人経験のある自分が教えてあげなきゃなって。
――AKB48加入前の社会人経験が見事に生きたわけですね。ご自身がダンスに苦労するなかで、リーダーとしての役割も果たすのは大変ではなかったんですか?
自分ができないことは、他の誰かが助けてくれるから大丈夫だと思っていました。チームのメンバーが「シンディーはダンスができないから」と言って教えてくれたり、ダンスの先生も私用に優しい振りを作ってくれて、それでもプロとして成立するものにしてくれたり。みんなの支えがなかったら、リーダーも続けられなかったかもしれません。でも、今のAKB48だったら、私はそもそもグループに入れていなかっただろうなと思います(笑)。それくらい、今の子たちはダンスのクオリティがすごくて。
●柏木由紀のグループ改革「自分の出番を減らして…」
○■ゆきりん、最高なんです
――現役メンバーの村山彩希さんがレギュラー出演するラジオ番組『アッパレやってまーす! 水曜日』(MBSラジオ)で、ケンドーコバヤシさんも「根も葉もRumor」のダンスを見て、「AKB48がすごいことをやってる」と称賛されていました。
「根も葉もRumor」ヤバいです! あんなに完璧なゆきりん(柏木由紀)が「私、あの頃のシンディーみたいになってる」と言ってたのを聞いて、今の子たちのすごさを痛感しました……。
――シンディーさんご本人として、その例えはどうなんですか(笑)。
私も「それはヤバいよ!」と言いました(笑)。本田仁美ちゃんや岡田奈々ちゃんもすごいんですけど、端っこの子ほど元気に踊っている印象があって。選抜のチャンスが増えたことも、グループ全体のモチベーションになってるのかなと思います。それも「ゆきりんって、すごいな」と思ったことがあって。
ゆきりんがプロデュースする公演で、自分の出番を減らしたらしくて。やっぱりグループの人数が多いと、出番が多いメンバーばかりじゃなくて、出番が少ない子たちは楽屋で待機する時間がどうしても増えてしまって、パフォーマンス以外のMCなどで挽回しようとしたりするしかない状況になるんですけど、それを実際に見てきたゆきりんがグループを活性化させるために、自分の出番を減らして、その分他のメンバーの出番を増やしたという話もあるんです。
――そうなんですか! それを自ら語らず、他のメンバーたちが自分よりもすごいと自虐して笑いにしてる柏木さん、カッコ良すぎますね……。
ゆきりん、最高なんです。初めて会った時のこともよく覚えているんですけど、すごく礼儀正しくて、「なんていい子なんだ!」と。そういえば、昔、楽屋で「ゆきりんの夢は何なの?」と聞いたら、「私はずっとアイドルをやりたい」って。それを聞いてるから、ゆきりんには本当にアイドルをずっと続けてほしいなと思います。
○■AKB48からSDN48へ
――シンディーさんは1期生として、AKB48がどんどん知名度を上げていく過程も体感されたかと思います。ブレイクの兆しを感じた出来事などはありましたか?
そうですね……もし自分がずっと選抜に入っていたら、それを感じることもあったと思うんですけど、私は毎日劇場公演に追われていて。3期を立ち上げないといけない時期でもありましたし、とにかく必死でした。でも、自分が街中で声をかけられた時は「AKB48がすごいことになってる!」と思いました。選抜メンバーが街を歩いていて、声をかけられることはしょっちゅうだったんですけど、「選抜に入ってない私に気づいてくれる人もいるんだ!?」と(笑)。その時も、みんながAKB48を外で宣伝してくれる代わりに、私は劇場を守っておくからねという思いでした。
――それからSDN48への異動も経験されました。ここにはどのような経緯があったんですか?
実は、SDN48に異動する前、SKE48立ち上げの時にも、私の名前が挙がっていたんです。今考えると、私にとってもチャンスになる機会をくださっていたんですけど、当時の私は何も分かっていなくて、東京から地方に活動の拠点を移すことに左遷のようなイメージがあって、「これはヤバい!」と。秋元先生が廊下ですれ違ったりするたびに「浦野、SKE48行かない?」と声をかけてくださるんですけど、私はずっと「絶対に嫌です!」と全力で断り続けました(笑)。
――後に指原莉乃さんがHKT48を盛り上げたように、シンディーさんにグループの礎を築いてほしいということだったんでしょうか。
そうだと思うんですけど、若い時はそれが分からなくて。例えば今だったら……「行きます! その代わり、AKB48にも在籍させてください!」という風に交渉するんですけど、当時はそこまで考えられなかった。SDN48加入も、何度もお声がけしていただいて根負けしてという感じでした(笑)。当時はSDN48のセクシーな路線も自分の中にあまりない要素だったので、チャレンジすることへの怖さが大きかったです。
●アイドルの婚活事情「めっちゃ大変なんです!」
――葛藤があるなかでの挑戦でもあったんですね。AKB48グループには、卒業という節目がありますが、シンディーさんも卒業を考え始めたタイミングがあったのでしょうか?
私はAKB48グループに入って、一度も自分から「卒業したい」と言ったことがなくて、肩を叩かれたら出ようと思っていました。SDN48は「みんなで卒業だよ」という風に告げられて卒業することになったのですが、当時、私は渡り廊下走り隊7に加入することが決まっていたので、卒業コンサートとお披露目コンサートを同時に進めていて、「どういうメンタルで卒業すればいいんだ!」という感じでした(笑)。私はファンの皆さんがとにかく大好きで、卒業は考えずにずっとやっていましたし、ファンの方がいてくれる限り、芸能のお仕事も続けたい。なので、結婚したら終わるなって恐怖感もずっとあって、思っていたよりも晩婚になってしまいました(笑)。
――実際にご結婚されて、ファンの皆さんの反応はいかがでしたか?
結婚したら、ファンの方もいなくなっちゃうんじゃないかなと思っていたんですけど、それは完全な勘違いでした。誰もガチ恋じゃなかった……(笑)。
――一人の人として愛してもらっていたんですね(笑)。
そうなんです(笑)。結婚して、結婚した写真をSNSに投稿して、結婚指輪もしていますけど、17LIVEの配信でも応援してもらっていて。あんなに悩んでいたのはなんだったんだろうと思います(笑)。ありがたいです。
○■マッチングアプリもしてたんですけど……
――現在、17LIVEのイチナナライバーとしても活動されていますが、ライブ配信をやってみて、いかがですか?
AKB48時代の握手会は、ファンの方とお話できるのは大体10秒から20秒くらいの限られた時間で、すごく寂しいなと思っていたのですが、ライブ配信では時間いっぱいお話できるのが嬉しくて。ファンの方とも毎日会えて、お話する内容も「昨日こんなことがあったよ」という風に、直近の報告ができるのもすごく楽しい。
コメントを書き込んでくれる方のプロフィールから、「この人はこういう感じの人なのかな」と、イメージがつくんです。大体○○時頃に来てくれるから、生活リズムはこんな感じなのかな、お仕事はこんなお仕事なのかなって。顔は見えないんですけど、配信に遊びに来てくださるファンの方は、それくらい身近な存在ですね。
――AKB48は「会いに行けるアイドル」がコンセプトで、アイドルとファンの距離感をグッと近づけた存在でした。近年はSNSの普及もあって、その距離感がますます近づいている印象もありますが、ライブ配信はさらに関係性が深まりそうですね。
そうですね。芸能界って、世間からの見え方を気にしないといけない業種だと思っていて。最初の頃は、ライブ配信も「事務所に所属しているタレントなのに、一般の方と並ぶんだ」というような目で見られることもあったと思うんです。それも分かるというか……芸能は特別感を売るお仕事だと思っていたので、その特別感を崩して、ライブ配信をするのはどうなんだろうという葛藤もありました。
でも、これから年齢を重ねていって、ライフスタイルも変化していくなかで、おうちでファンの方と繋がれるライブ配信はすごくありがたいツールですし、ファンの方とこれからも一緒にいたいという気持ちが勝ったから、ライブ配信にチャレンジしました。もし、以前と同じように世間の見え方を気にしていたら、今もライブ配信はしていなかったと思います。
――いわゆるプライドのようなものよりも、ファンの方とのこれからを優先されたと。ご結婚後もその関係性が変わらなくて、ますます良かったです(笑)。旦那様はお見合いで知り合った方なんですよね。お母様から紹介されたとか。
アイドルの婚活はめっちゃ大変なんです! マッチングアプリもしてたんですけど、マッチした方とお会いして怒られたこともありました。
――えっ!? なぜ怒られたんですか……?
「こっちは本気で結婚相手を探してるのに、冷やかしはやめてください」と……。
――芸能人が本気でマッチングアプリを使うわけがないと思われたんですね。
私も本気で探してたんですけどね。悲しかったな。それで結局マッチングアプリはやめたんですけど、お母さんに紹介してもらった素敵な人と結婚することができました。
――ご結婚は、秋葉原のAKB48劇場で行われた「3期生15周年公演」で発表されました。ここにもAKB48への愛が感じられるのですが、シンディーさんにとって、AKB48とはどのような存在でしょうか?
そうだなあ……帰ってきてもいい場所、かな。AKB48ができた頃、最初に衣装さんが言ってくれたことで、その時はどういうことなのか分からなかったんですけど、自分たちの劇場があって、そこで活動させてもらえる環境って他のアイドルさんにはなかなかなくて。そんな劇場があるからこそ、何かあった時にステージに立たせてもらったり、衣装さんが「AKB48が、あなたたちの帰る場所だからね」と言ってくれていた意味を、今すごく感じています。結婚報告をAKB48劇場で、ファンの皆さんの前でできたこともすごく嬉しかったです。AKB48は自分のなかの青春だから、ずっと大切な場所です。
■プロフィール
浦野一美
1985年10月23日生まれ。埼玉県出身。2005年、AKB48のオープニングメンバーオーディションに合格し、芸能界入り。2009、『AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』でシングル選抜入りを果たした。同年、SDN48としての活動を開始。翌年には同グループに完全異動し、AKB48を卒業した。2012年、AKB48の派生ユニット・渡り廊下走り隊7へ加入。同年、SDN48を卒業。2014年、Zeppダイバーシティ東京で行われた解散ライブをもって、渡り廊下走り隊7自体の活動が終了した。2022年、6歳年下の男性との結婚をAKB48「3期生15周年公演」で報告した。現在はフリーランスでタレント活動のほか、YouTuberや17LIVEのイチナナライバーとしても精力的に活動している。12月12日発売のファッション誌『ar』(主婦と生活社)誌面に登場する。
秋元康氏のプロデュースにより結成され、数々の記録を打ち立てたアイドルグループ・AKB48。その凄まじい活躍ぶりは「AKB現象」とも呼ばれ、まさに社会現象を巻き起こしたわけだが、東京・秋葉原48劇場で行われたデビュー公演の観客はわずか7人であったことが語り草となっているなど、ブレイクまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
そんなAKB48の1期生メンバーとして激動のアイドル時代を駆け抜け、今年5月に結婚を発表したことでも話題の“シンディー”こと浦野一美は今、フリーランスでタレント活動のほか、YouTuberや17LIVEのイチナナライバーとしても精力的に活動している。
浦野一美 撮影:島本絵梨佳 ヘアメイク:Violet 武者ひなの
○■チラシ配りがきっかけでデビュー
――ツイッターのプロフィールにも書かれていますが、シンディーさんはAKB48加入前、デパートで受付の仕事をされていたとか。
そうなんです! 高校を卒業してからすぐに都内のデパートに就職して、埼玉から電車で通っていました。
――その時はまだ、芸能のお仕事をしようとは考えていなかったんですか?
元々芸能の道には進みたかったんですけど、二十歳になってから芸能界に入るんだという漠然としたビジョンが自分のなかであって。もし芸能界に入って人気者になれたら、普通のことが普通にできなくなっちゃうんじゃないかなと思っていたんです。それなら芸能とは全く違う場所で社会人経験を積んで、一般常識を身につけてから、芸能界に入って夢を叶えようと。それはすごく大事なことなんじゃないかという思いがあって、一年ほどデパートで働きました。
――そして社会人を経験したあと、思い描いていたとおりに二十歳でAKB48のメンバーとして芸能界デビューされたわけですね。シンディーさんは1期生で、当時はまだAKB48の存在も世間には認知されていなかったと思うのですが、オーディションはどんな風に知ったんですか?
デパートの受付として勤めたあとに、催事場でチラシを配る単発のアルバイトをしていたのですが、そのチラシがAKB48のオーディション募集のチラシだったんです!
――そんな知り方があるとは(笑)!
すごい特殊ですよね(笑)。
○■よくアイドルになれたなって(笑)
――導かれるように加入したAKB48としての活動は当初いかがでしたか?
ダンスが本当に大変で、たかみな(高橋みなみ)と一緒によく居残りしてました。「なんで入っちゃったんだろう……」と思うくらい、しんどかったです。今でも思うのですが、ダンスがこんなにも苦手なのに、よくアイドルになれたなって(笑)。選抜に入れたのも本当にファンの皆さんのおかげです。
不得意なことがあっても、自分の得意なことを最大限に生かせるのがAKB48なのかなと。「ダンスもできないのにアイドル!? それもチームリーダー!?」と驚く人もいると思うんです。たかみなはすごく頑張ってダンスもできるようになったけど、私はどんなに頑張っても全然ダメで……それでもグループのなかで自分の可能性を見出せるポジションを与えてくれたのが秋元先生で、「AKB48ってすごいな」と改めて思いますね。
――メンバーをまとめる上で、意識されていたことはありますか?
気持ちの面でサポートしながら、社会人として基本的なことを伝えてあげられたらと思っていました。小さなことなんですけど、「楽屋が散らかったままになっていたら、片付けようね」「挨拶はちゃんとしようね」と注意したり。まだすごく若くて、アルバイトもしたことがない子たちも多かったので、社会人経験のある自分が教えてあげなきゃなって。
――AKB48加入前の社会人経験が見事に生きたわけですね。ご自身がダンスに苦労するなかで、リーダーとしての役割も果たすのは大変ではなかったんですか?
自分ができないことは、他の誰かが助けてくれるから大丈夫だと思っていました。チームのメンバーが「シンディーはダンスができないから」と言って教えてくれたり、ダンスの先生も私用に優しい振りを作ってくれて、それでもプロとして成立するものにしてくれたり。みんなの支えがなかったら、リーダーも続けられなかったかもしれません。でも、今のAKB48だったら、私はそもそもグループに入れていなかっただろうなと思います(笑)。それくらい、今の子たちはダンスのクオリティがすごくて。
●柏木由紀のグループ改革「自分の出番を減らして…」
○■ゆきりん、最高なんです
――現役メンバーの村山彩希さんがレギュラー出演するラジオ番組『アッパレやってまーす! 水曜日』(MBSラジオ)で、ケンドーコバヤシさんも「根も葉もRumor」のダンスを見て、「AKB48がすごいことをやってる」と称賛されていました。
「根も葉もRumor」ヤバいです! あんなに完璧なゆきりん(柏木由紀)が「私、あの頃のシンディーみたいになってる」と言ってたのを聞いて、今の子たちのすごさを痛感しました……。
――シンディーさんご本人として、その例えはどうなんですか(笑)。
私も「それはヤバいよ!」と言いました(笑)。本田仁美ちゃんや岡田奈々ちゃんもすごいんですけど、端っこの子ほど元気に踊っている印象があって。選抜のチャンスが増えたことも、グループ全体のモチベーションになってるのかなと思います。それも「ゆきりんって、すごいな」と思ったことがあって。
ゆきりんがプロデュースする公演で、自分の出番を減らしたらしくて。やっぱりグループの人数が多いと、出番が多いメンバーばかりじゃなくて、出番が少ない子たちは楽屋で待機する時間がどうしても増えてしまって、パフォーマンス以外のMCなどで挽回しようとしたりするしかない状況になるんですけど、それを実際に見てきたゆきりんがグループを活性化させるために、自分の出番を減らして、その分他のメンバーの出番を増やしたという話もあるんです。
――そうなんですか! それを自ら語らず、他のメンバーたちが自分よりもすごいと自虐して笑いにしてる柏木さん、カッコ良すぎますね……。
ゆきりん、最高なんです。初めて会った時のこともよく覚えているんですけど、すごく礼儀正しくて、「なんていい子なんだ!」と。そういえば、昔、楽屋で「ゆきりんの夢は何なの?」と聞いたら、「私はずっとアイドルをやりたい」って。それを聞いてるから、ゆきりんには本当にアイドルをずっと続けてほしいなと思います。
○■AKB48からSDN48へ
――シンディーさんは1期生として、AKB48がどんどん知名度を上げていく過程も体感されたかと思います。ブレイクの兆しを感じた出来事などはありましたか?
そうですね……もし自分がずっと選抜に入っていたら、それを感じることもあったと思うんですけど、私は毎日劇場公演に追われていて。3期を立ち上げないといけない時期でもありましたし、とにかく必死でした。でも、自分が街中で声をかけられた時は「AKB48がすごいことになってる!」と思いました。選抜メンバーが街を歩いていて、声をかけられることはしょっちゅうだったんですけど、「選抜に入ってない私に気づいてくれる人もいるんだ!?」と(笑)。その時も、みんながAKB48を外で宣伝してくれる代わりに、私は劇場を守っておくからねという思いでした。
――それからSDN48への異動も経験されました。ここにはどのような経緯があったんですか?
実は、SDN48に異動する前、SKE48立ち上げの時にも、私の名前が挙がっていたんです。今考えると、私にとってもチャンスになる機会をくださっていたんですけど、当時の私は何も分かっていなくて、東京から地方に活動の拠点を移すことに左遷のようなイメージがあって、「これはヤバい!」と。秋元先生が廊下ですれ違ったりするたびに「浦野、SKE48行かない?」と声をかけてくださるんですけど、私はずっと「絶対に嫌です!」と全力で断り続けました(笑)。
――後に指原莉乃さんがHKT48を盛り上げたように、シンディーさんにグループの礎を築いてほしいということだったんでしょうか。
そうだと思うんですけど、若い時はそれが分からなくて。例えば今だったら……「行きます! その代わり、AKB48にも在籍させてください!」という風に交渉するんですけど、当時はそこまで考えられなかった。SDN48加入も、何度もお声がけしていただいて根負けしてという感じでした(笑)。当時はSDN48のセクシーな路線も自分の中にあまりない要素だったので、チャレンジすることへの怖さが大きかったです。
●アイドルの婚活事情「めっちゃ大変なんです!」
――葛藤があるなかでの挑戦でもあったんですね。AKB48グループには、卒業という節目がありますが、シンディーさんも卒業を考え始めたタイミングがあったのでしょうか?
私はAKB48グループに入って、一度も自分から「卒業したい」と言ったことがなくて、肩を叩かれたら出ようと思っていました。SDN48は「みんなで卒業だよ」という風に告げられて卒業することになったのですが、当時、私は渡り廊下走り隊7に加入することが決まっていたので、卒業コンサートとお披露目コンサートを同時に進めていて、「どういうメンタルで卒業すればいいんだ!」という感じでした(笑)。私はファンの皆さんがとにかく大好きで、卒業は考えずにずっとやっていましたし、ファンの方がいてくれる限り、芸能のお仕事も続けたい。なので、結婚したら終わるなって恐怖感もずっとあって、思っていたよりも晩婚になってしまいました(笑)。
――実際にご結婚されて、ファンの皆さんの反応はいかがでしたか?
結婚したら、ファンの方もいなくなっちゃうんじゃないかなと思っていたんですけど、それは完全な勘違いでした。誰もガチ恋じゃなかった……(笑)。
――一人の人として愛してもらっていたんですね(笑)。
そうなんです(笑)。結婚して、結婚した写真をSNSに投稿して、結婚指輪もしていますけど、17LIVEの配信でも応援してもらっていて。あんなに悩んでいたのはなんだったんだろうと思います(笑)。ありがたいです。
○■マッチングアプリもしてたんですけど……
――現在、17LIVEのイチナナライバーとしても活動されていますが、ライブ配信をやってみて、いかがですか?
AKB48時代の握手会は、ファンの方とお話できるのは大体10秒から20秒くらいの限られた時間で、すごく寂しいなと思っていたのですが、ライブ配信では時間いっぱいお話できるのが嬉しくて。ファンの方とも毎日会えて、お話する内容も「昨日こんなことがあったよ」という風に、直近の報告ができるのもすごく楽しい。
コメントを書き込んでくれる方のプロフィールから、「この人はこういう感じの人なのかな」と、イメージがつくんです。大体○○時頃に来てくれるから、生活リズムはこんな感じなのかな、お仕事はこんなお仕事なのかなって。顔は見えないんですけど、配信に遊びに来てくださるファンの方は、それくらい身近な存在ですね。
――AKB48は「会いに行けるアイドル」がコンセプトで、アイドルとファンの距離感をグッと近づけた存在でした。近年はSNSの普及もあって、その距離感がますます近づいている印象もありますが、ライブ配信はさらに関係性が深まりそうですね。
そうですね。芸能界って、世間からの見え方を気にしないといけない業種だと思っていて。最初の頃は、ライブ配信も「事務所に所属しているタレントなのに、一般の方と並ぶんだ」というような目で見られることもあったと思うんです。それも分かるというか……芸能は特別感を売るお仕事だと思っていたので、その特別感を崩して、ライブ配信をするのはどうなんだろうという葛藤もありました。
でも、これから年齢を重ねていって、ライフスタイルも変化していくなかで、おうちでファンの方と繋がれるライブ配信はすごくありがたいツールですし、ファンの方とこれからも一緒にいたいという気持ちが勝ったから、ライブ配信にチャレンジしました。もし、以前と同じように世間の見え方を気にしていたら、今もライブ配信はしていなかったと思います。
――いわゆるプライドのようなものよりも、ファンの方とのこれからを優先されたと。ご結婚後もその関係性が変わらなくて、ますます良かったです(笑)。旦那様はお見合いで知り合った方なんですよね。お母様から紹介されたとか。
アイドルの婚活はめっちゃ大変なんです! マッチングアプリもしてたんですけど、マッチした方とお会いして怒られたこともありました。
――えっ!? なぜ怒られたんですか……?
「こっちは本気で結婚相手を探してるのに、冷やかしはやめてください」と……。
――芸能人が本気でマッチングアプリを使うわけがないと思われたんですね。
私も本気で探してたんですけどね。悲しかったな。それで結局マッチングアプリはやめたんですけど、お母さんに紹介してもらった素敵な人と結婚することができました。
――ご結婚は、秋葉原のAKB48劇場で行われた「3期生15周年公演」で発表されました。ここにもAKB48への愛が感じられるのですが、シンディーさんにとって、AKB48とはどのような存在でしょうか?
そうだなあ……帰ってきてもいい場所、かな。AKB48ができた頃、最初に衣装さんが言ってくれたことで、その時はどういうことなのか分からなかったんですけど、自分たちの劇場があって、そこで活動させてもらえる環境って他のアイドルさんにはなかなかなくて。そんな劇場があるからこそ、何かあった時にステージに立たせてもらったり、衣装さんが「AKB48が、あなたたちの帰る場所だからね」と言ってくれていた意味を、今すごく感じています。結婚報告をAKB48劇場で、ファンの皆さんの前でできたこともすごく嬉しかったです。AKB48は自分のなかの青春だから、ずっと大切な場所です。
■プロフィール
浦野一美
1985年10月23日生まれ。埼玉県出身。2005年、AKB48のオープニングメンバーオーディションに合格し、芸能界入り。2009、『AKB48_13thシングル選抜総選挙「神様に誓ってガチです」』でシングル選抜入りを果たした。同年、SDN48としての活動を開始。翌年には同グループに完全異動し、AKB48を卒業した。2012年、AKB48の派生ユニット・渡り廊下走り隊7へ加入。同年、SDN48を卒業。2014年、Zeppダイバーシティ東京で行われた解散ライブをもって、渡り廊下走り隊7自体の活動が終了した。2022年、6歳年下の男性との結婚をAKB48「3期生15周年公演」で報告した。現在はフリーランスでタレント活動のほか、YouTuberや17LIVEのイチナナライバーとしても精力的に活動している。12月12日発売のファッション誌『ar』(主婦と生活社)誌面に登場する。