「背番号11」なのにトップ下で暴れた11人の司令塔

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本日は11月11日。そこで過去に紹介した記事になるが、背番号11を着けたトップ下の選手たちを振り返る。

メスト・エジル(現イスタンブール・バシャクシェヒル10番)

レアル・マドリーの10番も背負った天才レフティ。

アーセナルで5年背負った11番はブレーメン時代も着けていた番号だ。

藤本 主税(元大宮アルディージャ等)

Jリーグが誇る名トップ下のひとり。

勇猛果敢なドリブルで相手守備陣を切り裂くこともできれば、ゴールに直結するスルーパスも出せる、攻撃における高いセンスが持ち味だった。

ゴール後に行われる阿波踊りで有名になったように、ユニークなキャラでどのチームに行っても必ずムードメイカーに。

11番のイメージが強いが、ヴィッセル神戸時代は10番を着用。

オスカル(現上海上港8番)

ロンドン五輪でブラジル代表の10番を背負ったMF。

非常に頭がよく効率性を考えて判断ができる現代サッカーの申し子と呼べる選手だ。スピード感溢れるドリブル、巧みなボールコントロール、思い切りの良いシュートが非常に魅力的だが、運動量も豊富でハードワークを厭わない献身性もあり。

チェルシーでは3年目から8番に変更し、ドログバが11番に。上海上港でも8番を着用している。

ブラジル代表では当初はオスカルが10番、ネイマールが11番だったが、ある日それが入れ替わった。

ダニーロ(元鹿島アントラーズ等)

サンパウロの10番を背負った大物としてJに参戦したレフティ。鹿島では11番を着けた。

地味ながら技術があり、ヘディングや身体の使い方も上手かった技巧派。

自他ともに認める老け顔だったが、晩年はかなりワイルドに。

パヴェル・ネドヴェド(元ユヴェントス等)

司令塔タイプではなかったが、世界最強の攻撃的MFとして暴れたチェコ代表。

ラツィオでは18番だったが、ユーヴェでは引退まで11番を着け続けた。

常に向上心を持ち続けるプロの鑑のような選手で、ユーヴェがセリエBに降格してもチームに残留した。現在はユヴェントスの副会長。

ヴィトール・ジュニオール(元川崎フロンターレ等)

川崎で11番を着けた小柄なブラジル人MF。キレのある素早いドリブルを武器とした。

来日する前にプレーしたスロベニアでも11番を着けていたようだ。

マリオ・ゲッツェ(現フランクフルト27番)

香川真司ともプレーした天才MF。31番でブレイクした後、2011-12シーズンだけ11番を着用。

その後、ドルトムントの背番号11はマルコ・ロイスが背負い続けている。

フアン・セバスティアン・ベロン(元パルマ等)

アルゼンチンの中盤に君臨したワールドクラスのMF。パルマのほか、エストゥディアンテスでも11番を着けた。

プレミアリーグ移籍後はセンターハーフな印象だが、セリエAではトップ下として大暴れ。

パルマの印象が強いが、実は1年しかプレーしていない。FILAのスパイクも懐かしい…。

ヨッシ・ベナユン(元リヴァプール等)

南野拓実が「似ている」とも評されたリヴァプールの先輩。トップ下というより前線ならどのポジションでプレーできた。

背番号15のイメージが強く、レッズで11番を着けたのは1年目だけ。

ハメス・ロドリゲス(現オリンピアコス10番)

コロンビアが生んだイケメンレフティ。

レアル・マドリーから2年間ローンされたバイエルンでは11番を着けた。トップ下というよりセンターハーフ的な役回りが多かったが。

なお、バイエルンの11番は異端児だったMFシュテファン・エッフェンベルクも着けた番号。

エステバン・グラネロ

モウリーニョからも評価されたレアル・マドリーのカンテラ出身MF。その髪型と髭からついたニックネームは“海賊”だ。

スピードこそないものの、テクニック、献身性、運動量を兼備した使い勝手のいい選手だった。

ヘタフェ、レアル・マドリー、そして現役最後のクラブとなったマルベジャ(スペイン3部)でも11番を着けた。ちなみに、村上春樹のファン。

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バルセロナではティアゴ・アルカンタラが11番を背負ったことがあるが、彼はよりセンターハーフの色合いが濃い。