「日本」が「JAPAN」と呼ばれるようになったのはなぜ?歴史からわかる国名の謎

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日本は英語だと「JAPAN」。当たり前のこととして疑問には思わないことが多いが、国名や地名は、どのような変遷をたどって現在の呼ばれ方になったのかは興味深い。日本という国名はいかに「JAPAN」という呼び方になったのか。

『日本史が面白くなる「地名」の秘密』(八幡和郎著、光文社刊)は歴史家の八幡和郎氏が、国名、地名の成り立ちの謎を地図や図表を用いてわかりやすく紐解いていく。

■いかに日本は「JAPAN」になったのか

まずは、どのようにして「日本」という国名が使われるようになったのか。

日本という国名がない頃は、「倭国」と書き、「ヤマト」と呼んでいたことは多くの人がご存じだろう。これは当時の政治を担う権力者たちの出身地にちなんで付けられた名前。しかし、出身地方名を国の名前にするのはどうか? となり、「日出ずる国」「日のもと」と呼び方が変わる。この「日出ずる国」の意訳で「日本」という漢字を使い、中国南北朝時代の南朝における「呉音」読みで、「ニッポン」「ニホン」と呼ばれるようになったという。

では、日本がなぜ「JAPAN」に呼ばれるようになったのか。
本書によれば2つの推測があるという。

1つ目は、中国の読み方からジャパンと呼ばれるようになったという説だ。
「日」という漢字は、中国の隋の時代の人たちにとって、「漢音で「ジツ」と発音したほうが呼びやすのだという。さらに、現代中国では日本を「リーベン」と「ジーベン」の中間で発音する。この読み方をマルコ・ポーロなどが「Cipangu(ジパング)」と書き、ジャパンにつながっていったという説。

2つ目は、いくつかの言語を経て「ニッポン」から「ジャパン」へ変化していったという説。
もともと中国の南方の人は「ニッポン」に近い発音をしていた。そこから、ポルトガル語のJapao(ハポン)やスペイン語のJapon(ハポン)になる。そして、フランス語のジャポンや英語のジャパンにつながったという説。ニッポンという発音が、違う言語の間で訛っていき、ジャパンにたどり着いたということだ。

■京都の地名の読み方はなぜ難しいのか。

地名の読み方が難しくてわからない、というのはよくあることだ。とくに歴史の長い京都では、古い言葉がそのまま残っていたり、長い年月をかけて訛ってしまったために読みづらい地名が多い。

そんな歴史ある京都でも、ただ意味から漢字を当てただけという地名も存在する。それが「先斗町」と書いて「ぽんとちょう」だ。「ぽんと」という字は、ポルトガル語で「先」という意味の「ポント」の当て字である、という由来の説がある。先斗町が、江戸時代初期の鴨川の改修工事で河原にできた堤の先にあることから、「ポント」があてがわれたという。

旅行先などで、なぜ、こんな難しい読み方の地名なのか?と疑問に思った経験はあるはず。その地名の由来を日本史から辿っていくと、面白い発見もあるだろう。本書で日本各地の地名の謎を歴史から紐解いてみてはどうだろう。

(新刊JP編集部)

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