ダグラスDC-10なぜ“尾翼にエンジン串刺し”に? 初期の「ジャンボ」っぽい設計から一転…その経緯
かつてJALでも導入された、垂直尾翼にジェット・エンジンを“串刺し”にするスタイルを採用した三発エンジン機「DC-10」。この機体は、なぜこのような設計になったのでしょうか。その遍歴を見ていきます。
最初は2階建て&4発…まるで「ジャンボ」?
1970年8月29日、当時ボーイングと双璧をなすアメリカの一大航空機メーカーであったマクダネル・ダグラス社から、ユニークな形状の旅客機が初飛行しました。左右主翼下に1基づつ、そして垂直尾翼にジェット・エンジンを“串刺し”にするスタイルを採用した三発エンジン機「DC-10」です。日本ではJAL(日本航空)やJAS(日本エアシステム。現JAL)で運用され、我が国の主要空港では馴染み深かった旅客機です。
JALのダグラスDC-10(画像:JAL)。
DC-10は、マクダネル・ダグラス社の前身メーカーであるダグラス社が開発した旅客機です。全長は約55m、全幅は約50m、最大で400人近くを乗せることができ、アメリカ国内を西から東へノンストップで飛行できる1万km程度(タイプによりスペックは異なる)の航続距離を持ちます。
実はDC-10、当初は特徴的な3発機として開発が始まったものではなかった、ともいえます。
DC-10開発の発端は、アメリカ空軍向け輸送機C-5「ギャラクシー」につながる新型航空機開発計画「CX-HLS」でした。ここではロッキード社、ボーイング社、ダグラス社の3メーカーによる設計案からコンペが行われ、結果的にロッキード社の案が採用されます。ちなみに、ボーイング社がこのときの案の設計を基に開発したのが、「ジャンボ・ジェット」こと747です。
ダグラス社はCX-HLSでの設計案を参考にしつつ、それまで同社最大の旅客機であったDC-8-61を上回る旅客機の開発に着手します。このときの設計案は、エンジン4基を搭載し、客席は2階建てを採用、500人を乗せることのできる、ボーイング747のようなデザインだったと記録されています。
しかし、顧客であるアメリカン航空やユナイテッド航空からは、あまり大きすぎると空港での運用に支障があるほか、旅客数も満席にするのが困難ではないかと指摘され、ダグラス社は設計の見直しを強いられることに。ここでおおむね、DC-10らしいデザインとなります。3発機となったのは、当時のターボ・ファン・エンジン2基ではパワー不足であることから、それをカバーするため垂直尾翼にもエンジンを追加したのです。初期タイプのエンジンは、ボーイング747でも導入されたゼネラル エレクトリック「CF6」が採用されました。
こうして生まれた、尾翼にエンジンが串刺しとなるレイアウトは、エンジンが吸い込む空気の流れを乱すことが無く、効率が良いという利点が挙げられます。一方、胴体からエンジンの距離を一定まで稼ぐ必要があり、その結果として、構造を丈夫にするため重量が増えるほか、垂直尾翼が小さくなり操舵が難しくなる、エンジンを整備するためには高い専用の足場が必要で整備性が悪くなる、といったデメリットもありました。
3発機&DC-10ならではの強みとは?
このDC-10、当初はアメリカの国内線を前提とした運用が想定されていましたが、3発エンジンの採用が功を奏し、デビュー後は洋上を飛ぶ国際線でも運用されることになります。
当時、まだ旅客機のエンジンの信頼性はまだ高くない、とされていました。そのためエンジン故障に備え、双発機が大陸間を飛行する場合には、洋上での飛行範囲に制限がありました。このルールは、三発機には適用されないため、洋上飛行路線に関しては有利となります。また、当時、長距離路線用の旅客機として多数派だった4発機とくらべても、エンジンが少ない分、燃費の向上などの効果も期待できました。
JALのボーイング747-100型機。当時の国際線主力機でもあり、エンジンを4発搭載していた(画像:JAL)。
なお、DC-10によく似た設計の3発機として、ライバル機、ロッキードL1011「トライスター」があります。ただ、DC-10はシリーズ化するにつれ、エンジンの選択肢を広げていました。というのも、尾翼エンジンの取り込み口の位置は2機種ともに同じものの、「トライスター」は、吹き出し口が胴体最後部にある「S字型」のもの。対しDC-10の尾翼エンジンは通常のものと同じストレート型であったため、エンジン選定の制限が少なかったのです。
たとえばJALでは、整備効率向上のため、同社で採用されているボーイング747と同じプラット・アンド・ホイットニーJT-9Dエンジンを搭載した「DC-10-40」を20機導入。国内幹線で747を補完するだけでなく、中距離国際線にも使用されました。同シリーズは軍用型も併せて446機が製造され、JALから2005年に全機が引退した後も、成田空港などでは各国の飛来機が見られました。
なお、DC-10と同型機の設計をベースに、デジタル化を図った「MD-11」という派生型も、その後開発され、この機はJALでも導入されています。DC-10の姿は今やほとんど見られなくなりましたが、MD-11については、今でも貨物機が成田空港に飛来することがあります。