高校野球の変化とともに勝てなくなっていった四国勢。高松商業が躍進、「守り勝つ野球」の逆襲となるか
今から20年くらい前、筆者が自分の出身地を告げると「愛媛は野球王国ですよね。四国には野球の強い高校がたくさんありますね」という言葉が返ってきたものだ。
夏の甲子園の都道府県別勝率ランキングで、長く1位に君臨していたのは愛媛だった(現在は、大阪に次いで2位)。7度の全国優勝を誇る松山商業のほか、西条、今治西、宇和島東、新田、済美など全国的に名を知られる高校が並ぶ。他の四国勢も、香川には高松商業、徳島には徳島商業、高知には高知商業や明徳義塾と、全国を制した強豪が多い。
1回戦で2打席連続本塁打を放った高松商業の浅野翔吾(右)と長尾健司監督(左)
「相手に点をやらなければ負けない」というのが、かつての四国野球の根底にある考え方だった。僅差の試合に競り勝つために守備を鍛え、走塁を磨き、サインプレーの練習を繰り返した。
しかし、高校野球はすっかり姿を変えた。「点をやらない野球」よりも「1点でも多く取る野球」が主流になった。甲子園では、送りバントでチャンスを広げるよりも強打で相手を"叩きつぶす"力のあるチームが勝ち上がるようになった。選手たちの体は大きく、分厚くなった。
1996年夏、松山商業を率いて全国優勝を果たした澤田勝彦元監督は、高校野球の変化についてこう語っている。
「1970年代までは、鍛え上げた守りをベースに戦うのが高校野球の主流だった。それを大きく変えたのが1982年に全国優勝した池田高校の蔦文也監督。金属バットの威力を最大限に生かした"やまびこ打線"は衝撃的でした。
もうひとつ、大きな変化があったのは2000年に入ってから。遊学館、済美、神村学園といった私学が、創部すぐにもかかわらず日本一、あるいは全国でも上位まで勝ち上がった。実績のある監督さん、有望な選手、野球をするための設備が揃えば全国でも勝てるんだ、というふうになりましたよね。140キロ以上を投げるピッチャーを何人集められるか、そのスピードボールを打ち返すバッターを何人揃えられるか、と」
四国の有望な選手が九州や東北の高校に入学することも珍しくなくなった。高校野球を長くリードしてきた四国勢が以前のように勝てなくなったのはちょうどその頃からだ。
2006年以降、四国勢の夏の甲子園における初戦勝率は.404。ベスト4に残ったのは2012年の明徳義塾、2018年の済美だけ。
澤田元監督は言う。
「各都道府県で強豪私立がどんどん力を伸ばし、それまで伝統的に強かった公立の商業高校がなかなか勝てなくなりました。私が指揮を執った松山商業が最後に甲子園に出たのが2001年。それ以降、ずっと甲子園から遠ざかってしまっているわけです。
今は、個人の能力があれば、チーム力がなくても勝てる時代になったと感じています。組織よりも個の力を重視する野球ですね。力と力の戦いになりました」
今年の夏の甲子園でも、四国勢3校がすでに姿を消した。残っているのは、夏の甲子園を2度制した実績を誇る高松商業だけだ。
1回戦の佐久長聖戦で、浅野翔吾の2本のホームランなど16安打を集めて快勝した高松商業は、2回戦で九州国際大付と対戦。1回にトップバッターの浅野が内野安打で出塁し、すぐに盗塁に成功。四番の山田一成のタイムリーヒットを呼び込んだ。
投げてはサウスポーの渡辺和大が9回を7安打、1失点の好投。1970年以来、52年ぶりのベスト8進出を決めた。守備陣はノーエラーの固い守りで渡辺を盛り立てた。
「今日は守り勝つ野球ができた。でも、守り勝つ野球ができたら、なぜ攻撃がおろそかになるのかわからない」と、高松商業の長尾健司監督は厳しいコメントを残した。
「ここまで来たら、うちよりも上のチームしかない。目の前のひとつひとつのアウトに集中してプレーするしかない」
2016年春のセンバツでこの古豪を準優勝に導いた名将は、あくまで謙虚だ。
試合中、長尾監督の叱責が飛ぶことも多い。キャプテンの浅野がチームメイトを励まし、鼓舞する。「浅野はいつも前向きです。どんなことが起こっても選手が下を向かないようにするのがキャプテンの仕事」と長尾監督の評価は高い。
「浅野には全打席出塁を期待しています。それができたら、一番バッターとしては最高ですから」
2回戦の前に、ふたりの主力選手が体調不良のためにチームから離れた。大会前にベスト8進出を目標に掲げた浅野はこう言った。
「ふたりは準決勝、決勝になれば戻ってこられるかもしれない。だから目標を『ふたりが戻ってくるまで勝つ』と変えました。高松商業らしい、守り勝つ野球をしたい。一番いい結果を残して、長尾監督に恩返しをしたいです」
伝統の守り、スキのない走塁、浅野の猛打で勝ち上がってきた高松商業。したたかに、力強く、そして、きめ細かいプレーを――。
四国野球の逆襲が始まる。