メキシコへ渡った元DeNA乙坂智の今。戦力外、トレードを経験するもリーグ10位の112安打で「目標はメジャーリーグ」
メキシカンリーグのシーズン終了は早い。8月上旬にはレギュラーシーズンが終わり、ひと月にもわたるポストシーズンが始まる。全18球団の半数以上のチームがプレーオフに進出し、9月初めに行なわれるチャンピオンシップに向かって、順次振り落とされていく。
敗者はそこでシーズンを終えるのだが、アメリカのスカウトのお眼鏡にかなった者はよりよい契約を手にし、もうひと稼ぎしたい者は"インディ"と呼ばれる独立リーグに出稼ぎに行く。一方で北米にわたるつもりのないメキシカンの多くは、10月から始まるウインターリーグに向けて英気を養うため、家族の待つ田舎に帰ってつかの間のオフを過ごす。
昨年横浜DeNAを戦力外となった乙坂智は、今シーズン、そのリーグで過ごした。
今年メキシカンリーグでプレーした乙坂智
今季最後の遠征で、乙坂はシーズンをスタートさせたメキシコシティに帰ってきた。試合前、グラウンドに姿を現した彼のもとに、ホームチームであるメキシコシティ・レッドデビルズの選手たちが次々とやってきては、片言の日本語であいさつしてくる。彼らは決まって手を合わせ、頭を下げる。なかには土下座せんばかりに頭をグラウンドに擦りつけようとする者もいる。
「低い、低い」
乙坂は笑いながら、シーズン前のキャンプを一緒に過ごした元同僚たちと旧交を温めていた。
今シーズン、ラテンアメリカ最大のこのリーグに多くの日本人が挑戦した。しかし、そのなかでシーズンをまっとうしたのは、乙坂ただひとりだった。
メキシカンリーグはメジャーからマイナーリーグ扱いを受け、日本のプロ野球よりもかなり格下に見られているが、NPBがダメなら......と簡単に活躍できるような場所ではない。
報酬は月給で提示され、支払いは2週間ごとだが、このタイミングで戦力外通告がなされる。球団は18チームの頂点に立つべく、頻繁に選手の入れ替えを行なうのがこのリーグの日常である。シーズン半ばともなると、ポストシーズンへ生き残りをかけたチームは下位球団から選手を引き抜いていく。
選手のほうも、ここで現役生活をまっとうするつもりの者は決して多くなく、他国の球団といい条件の契約を結ぶため爪を研いでいる。そんな「同床異夢」のリーグで、乙坂自身、2度の移籍を経験しながらもシーズンを駆け抜けた。
「僕自身も経験したんですけど、選手の入れ替えがすごく多いというのは感じました。僕はここでは外国人選手で、競争相手、比較対象が中南米、あるいはアメリカの選手だったので、やっぱり彼らと差をつけることが一番大事だなと感じました」
キャンプを過ごしたメキシコシティのスタジアムの打球は、思いのほか伸びていった。標高2000メートルを超える高地では、角度のついた打球はなかなか落ちてこない。そのため、この国では内陸に位置する"高地"のチームと、海岸沿いの"低地"のチームではゲーム運びも違ってくると乙坂は言う。
「打つほうに関しては、そもそも僕はそういうタイプではないので、(打球が飛ぶからといって)大きいのを狙うことはなかったです。むしろ、守りのほうで苦労しました」
リードオフマンタイプの乙坂にとって、メキシカンリーグを16回制した名門は相性がいいチームではなかったのかもしれない。オープン戦で3割を超えるアベレージを記録しながら、開幕直前にリリースされたのだ。
「まあ、戦力外は日本でも経験しているんで(笑)。いや、(DeNA時代に参加した)メキシコのウインターリーグでもあったので、2回ですね」
過酷なメキシカンリーグのリアル2週間──これが乙坂の決めたリミットだった。
リリースを通告された直後、球団のGMから今年発足したというベネズエラのサマーリーグを紹介された。しかし、メキシコで勝負すると決めていた乙坂はその申し出を断り、ホテルの部屋を押さえ、他球団からオファーを待つことにした。
「不安はありました。この先どうなるんだろうって。オファーがなければ、もうそこで野球は終わりだと決めていましたから。2、3日くらいボーッとしていましたね。自分に何が足りなかったのか、なんでこんな結果になったのか......そこはすごく考えました。
結局、レッドデビルズが求めていたのは、もっとレベルの高い選手だったということです。でも、レッドデビルズを戦力外になった日のバッティングがとても調子がよくて、この感覚なら『ひょっとするな』という感じがあったんです。そうやって考えているうちに、やっぱり僕が勝負できるものって足だなって思ったんですよ。もし契約してくれる球団があったら、そこを積極的に試合のなかで生かしていこうと」
まだやめられない──そう思いを巡らせている乙坂のもとに連絡が入った。新たなチームはレオン・ブラボーズ。5年前に再興された若いチームだ。乙坂はすぐに荷物をまとめ、メキシコシティから330キロ北西にあるレオンへと向かった。
ここでポジションを得た乙坂は、その力を存分に発揮した。フィールドをところ狭しと駆け回りヒットを量産。そんな乙坂に目をつけたのが、サルティーヨ・サラペメーカーズだった。乙坂はトレードによりサラペメーカーズへ移籍。メキシコに来て数カ月で3つ目の球団を経験することになる。
「日本ではなかなかないですよね。僕自身、トレードは人生で初めての経験だったんですよ。こっちに来て初めて経験できたことですし、チームが変わることによってまた新しい仲間ができ、指導者にも出会えるので、野球の勉強にもなりました。そういうチャンスがあったことはすごくよかったと思います」
1シーズンで2度の移籍に日々のバス移動。ある時は1000キロ以上の移動を、行きは飛行機だったが、帰りはバスで帰ったこともある。日本とはまったく違う環境のなか、乙坂は適応していった。
「日本と比べたら、そりゃ全然違いますよね。物質的には日本のほうが恵まれていますが、そのほかの部分については決してそうだとは思いません。とにかく毎日が勉強で。いろんな国でプレーした経験のある選手がスタメンに名を連ねていて、彼らから学ぶことは多かったですね」
シーズン112安打はリーグ10位乙坂のメキシコリーグでの成績は、打率.367、3本塁打、25打点。レギュラーシーズン90試合中、乙坂は78試合に出場し112安打はリーグ10位だった。
これまでメキシカンリーグでプレーした日本人選手には、日本で功成り名遂げ、残りの現役生活を海外で送ってみようという者が多かったが、乙坂にとってメキシカンリーグは途中経過でしかない。メキシコに来た理由を、乙坂はきっぱり言いきった。
「目標はメジャーリーグです。そのためにメキシコに来たんです。ここにいるみんながそうだと思います。来年、ここでプレーするかどうかはわかりません。とりあえず、ウインターリーグには参加しますけど」
メジャー傘下のプレーヤーが多く参加するウインターリーグは、メジャー球団にとって格好のショーケースとなる。乙坂の今後は、この舞台で決まるといっても過言ではない。はたして来年、乙坂はどこでプレーするのだろうか。