元・日本最長の路線バス「名金線」最後の県境越え区間が消滅 10時間かかった路線の今
かつて「日本一長い路線バス」であったJRバス「名金線」のうち、最後の県境越え区間が廃止。かつて266.4kmにも及んだルートは乗り継げなくなった箇所も多いものの、高速バスや競合する路線バスに、それぞれ役目が引き継がれています。
一般道で4県をまたいでいた「元・日本一長い路線バス」
北陸新幹線などが乗り入れる金沢駅(石川県)と、JR城端線 福光駅(富山県)を結ぶジェイアールバス西日本の一般路線バス「名金線」。2022年6月30日をもって、金沢市内の区間を残し、その大部分(梨木以東)が廃止されました。
名金線の「金」は金沢、そして「名」は名古屋を指します。もともとは、愛知・岐阜・富山・石川の4県をまたぎ、金沢駅〜名鉄名古屋バスセンター間を結んでいた名残りを路線名にとどめているのです。
「名金急行線」との呼称も使われていた当時は全長266.4kmありましたが、かつての長大なルートはいまや9割ほどが廃止あるいは他社路線に引き継がれています。そして今回の区間廃止によって、国鉄バスから引き継がれてきたJRバス名金線の“最後の県境越え区間“が姿を消しました。
福光駅を出発する西日本ジェイアールバス名金線の車両。6月30日をもって福光発着は廃止(宮武和多哉撮影)。
1966(昭和41)に名古屋〜金沢間で通し運行を開始した名金急行線は、岐阜市内から長良川沿いに山岳地帯へ分け入り、白川郷・五箇山といった飛騨山脈の秘境を縫うように走り抜けていました。1969年の時刻表を見ると、国鉄バスと名古屋鉄道(現在の名鉄バス。「五箇山号」として運行)が運行を担当し、全線を走破する便が4往復、ほか美濃白鳥〜牧戸などの区間運転が7往復設定されています。
今は名神、北陸道、東海北陸道などの高速道路が整備されていますが、当時はほとんど開通しておらず、走行するのはもちろん一般道でした。現在は名古屋〜金沢間を「北陸道特急バス」(1986年運行開始)が約3.5時間で結びますが、名金急行線は全線266.4kmを走破するのに10時間弱を要し、「日本最長の路線バス」として知られていました。
開通翌日にもう運休?悪路を縫って観光客を運んだ名金急行線
名古屋から飛騨の奥地、金沢を直通する名金急行線によって環境が大きく変わったのは、やはり沿線にある白川郷・五箇山などの地域でしょう。
積雪を防ぐ独特の屋根形状を持つ「合掌造り」集落で知られるこのエリアは、その道路状況から長らく“鳥も馬も通わぬ“とさえ言われる秘境でもあり、その景観も知る人ぞ知る存在でした。名古屋・金沢とつながる直通バスの開通によって来訪者が増加し、その景観も徐々に知られるようになっていったのです。
その後、1995(平成7)年にユネスコより世界文化遺産に認定され、国内外から来訪者がさらに増えていきました。このエリアが観光地としての役割を持ったことは、高山や金沢などを回遊する「昇竜道」ルート(中部地方を竜に見立てた周遊ルート)が形成されるきっかけになったと言えるでしょう。
悪路のため移動そのものが困難を極めたこの地域では、人々の移動手段としてだけでなく、貨物や小荷物の輸送にもバスが活躍していました。車体には郵便差出箱が設置され、投函できる場所が少ない地域で「走る郵便ポスト」としての機能も果たしていたといいます。
しかし飛騨路を越える道程は急カーブや勾配が続き、その運行は困難を極めていました。冬場には積雪に悩まされ、1966(昭和41)年12月1日に運行を開始した翌日には、名古屋を出たバスが雪のため牧戸(岐阜県旧荘川村、現高山市)で折り返しを余儀なくされ、早々に翌春まで大半の区間で運休が決まったとのエピソードも。
自動車駅である牧戸駅。名金急行線の事績を伝えている(宮武和多哉撮影)。
のちにレイルウェイ・ライターとして活躍する種村直樹氏は、開業当時の様子を毎日新聞記者として体験し、書き残しています。また名古屋〜金沢間の通し運行を開始する前の「金白線」(金沢〜美濃白鳥)にも乗車し、私財を投じて沿線に2000本もの桜を植樹した名物車掌・佐藤良二氏が乗務するバスに乗車されたこともあるそうです。
名金急行線は1993(平成5)年にJRバス(東海、西日本)が、2000(平成12)に名鉄バスが名古屋〜金沢間の通し運行を中止。その後、他事業者への移管・廃止などが相次ぎ、全ルートを乗り継ぐことはできなくなりました。
高速バスや観光バス、競合バス路線に役目が置き換わった?
かつての名金急行線が果たした都市間輸送や観光地輸送の役割は、名鉄バス名古屋〜高山線などの高速バスに引き継がれています。飛騨山脈を貫く東海北陸道が2008(平成20)年に全通したことで、白川郷の入口にあるバスターミナルはすっかり一大拠点と化し、名金急行線が担ってきた名古屋・金沢からの輸送のみならず、東京、大阪、富山、高山からのバスが発着するようになりました。
かたや高速道路の開通によるルート変更で、美濃白鳥駅〜白川郷間のバスは順次消滅。現在では岐阜バス、白鳥交通などの路線を乗り継ぎ、途切れた区間を10km以上歩かないと連絡できなくなっています。その中でも、かつて国鉄線のきっぷ発券などを行っていた「自動車駅」である牧戸駅の駅舎は、2020年に建て替えられたものの健在。建物の中では名金急行線が現役であった頃の写真を展示したり、空きスペースに往時の発券窓口を再現(人が入れない構造になっている)したりするなど、その面影を伺うことができます。
富山県側から白川郷を結ぶバス路線は、北陸新幹線金沢延伸の前年にあたる2014(平成26)年、高岡駅・新高岡駅から城端まで高速道路を経由する観光路線バス「世界遺産バス」にリニューアルされました。城端〜白川郷間のルートは大半がもともとの路線バスと変わりなく、車内で「こきりこ節」などの民謡を流す観光向けの路線にもかかわらず、沿線の人々の利用もちらほらと見られます。
自動車駅である牧戸駅。名金急行線の事績を伝えている(宮武和多哉撮影)。
そして今回、区間短縮が実施された福光〜金沢間では、北陸新幹線の開業に合わせて加越能バスの南砺金沢線が開業しました。JRバス名金線は国道359号を経由するのに対して、こちらは県道金沢井波線を走り、JRバスで73分だった福光駅〜金沢駅間を55分に短縮。コロナ前は、3年間で乗車実績が2.6万人から3.6万人に上昇するほど好調を保っていました。
今回のJRバス名金線の短縮は、この「もうひとつの県境越え路線バス」に需要が移ったことも大きいのではないでしょうか。なお西日本ジェイアールバスでは、7月1日ダイヤ改正で名金線以外も含め、金沢エリアの一般路線を大幅に整理しています。