鉄道のレール間の規格「ゲージ」にはいくつか種類があり、欧州では、大まかに東欧と西欧とで異なります。この差異、源流は鉄道の発達した19世紀に遡るわけですが、これが21世紀の現在にまで大きく影響を及ぼしているのです。

19世紀の「決定」がいまに響き続ける欧州の鉄道事情

 鉄道黎明期、鉄道ゲージ(左右レールの間隔)をどうするかは大問題でした。「ゲージ戦争」とまで呼ばれたほどです。そしてその19世紀ゲージ戦争が、21世紀のロシアによるウクライナ侵攻にも影響を及ぼしています。


イギリスのグロスター駅でゲージ違いの鉄道を乗換える混乱を描いた1846年の風刺画(画像:J.H.Townshend、Public domain、via Wikimedia Commons)。

 ロシアやウクライナ、バルト三国など旧ソ連圏と、イギリスやドイツ、ポーランドなど西欧圏では、鉄道ゲージが異なります。旧ソ連圏は広軌(ロシア広軌)と呼ばれる1520mm(一部1524mm)、西欧圏(一部を除く)では標準軌と呼ばれる1435mmとなっています。互いへの乗り入れ手段として、台車交換方法や軌間可変車両が実用化されているものの、人や物を運ぶボトルネックになっていることは間違いありません。

 ゲージはおおまかに狭軌、標準軌、広軌とわけられるものの、世界中に多種多様のものが存在します。どれを選択するかは技術的な事情だけでなく、鉄道事業者の営業的な思惑、国家の政治経済的思惑、外交安全保障上の思惑などと絡み合った問題で、国家の命運を左右するといっても大げさではなく、まさに「戦争」でした。

 帝政ロシアが西欧と異なる広軌を採用したのは「敵に鉄道を使って攻め込まれないようにするため」という通説がありますが、それを裏付ける資料は見つかっていません。帝政ロシアが鉄道を導入した時期は単に広軌が流行していただけで、国際鉄道網の発想はなかったというのが本当のところのようですが、その選択の影響が21世紀まで引きずられるとは、当時は考えもしなかったでしょう。

鉄道ゲージの影響は軍事面のみならず食料問題にも

 ロシアによるウクライナ侵攻では、開戦前から国境付近で多数のロシア軍の軍用列車が目撃され、SNSにもその動きは盛んに投稿されました。ロシア軍はソ連時代から兵站線(戦場において物資の輸送、供給などを行うため確保される物流連絡路)を鉄道に頼っており、鉄道連隊という兵站専門部隊も編成されています。装甲列車まで走らせていることも投稿しており、鉄道をいかに重視しているかがわかります。

 一方、同じ旧ソ連圏だったウクライナの鉄道網も同じ広軌で、同じように兵站線を担っていると考えられますが、鉄道事情についてはほとんど情報がありません。


ロシア軍兵站駅に集結したBMP-1歩兵戦闘車。写真右上では同車両が専用プラットフォームを使って貨物列車へ最後尾から乗り込んでいる(画像:ロシア国防省)。

 侵攻が始まると、SNSにおいてロシアの軍用列車に関する写真の投稿は、ほとんど見られなくなっています。ロシア、ウクライナとも軍用列車の動きは部隊の動きと直結していますので、情報統制を厳しくしていることがうかがえ、そしてやはり、鉄道が作戦上のポイントになっていることは間違いないでしょう。

 ゲージ戦争の影響は、ウクライナ侵攻の軍事面だけに留まりません。ウクライナは穀物輸出国で、平時なら黒海沿岸の港から海路で輸出されますが、黒海が封鎖されているため隣国のポーランドまで鉄道で輸送しようとしています。しかしポーランドは、内陸である南部のスワフクフからウクライナ国境まで走る貨物線1路線と国境付近のごく短い路線を除き標準軌であり、ゲージ違いでウクライナからの貨物列車は直通できず、積み替えという手間が掛かるため海運を代替するには到底、及びません。このことは、懸念が深まる世界的食糧危機の要因のひとつとされています。

国家間にレールが続いていることの功罪

 国際政治にも影響があります。6月16日、フランスのマクロン大統領、ドイツのショルツ首相、イタリアのドラギ首相が、3人揃って特別列車でウクライナの首都キーウ(キエフ)を訪問、前日夜にウクライナ国境近くのポーランド東部を出発したとのことです。先述したようにポーランドのごく一部には、キーウへ続く広軌が敷かれています。

 3か国の最高首脳が、揃って同じ列車で移動したというのは異例です。戦地において空路はリスクが高いという警備上の都合もあるかと思いますが、筆者(月刊PANZER編集部)は、ウクライナもロシアと同じ旧ソ連圏の広軌であるものの、西欧と分離されているわけではなく物理的に繋がっていることを示して連帯をアピールする効果を狙ったのではないかと想像します。


ヨーロッパ広軌路線図(CC0 public domain画像を基に月刊PANZER編集部にて作成)。

 もともとポーランド国内の広軌は、旧ソ連と鉱物資源の輸送を効率化するために敷設されました。ポーランドが1980年代末まで旧ソ連を中心とする社会主義陣営だったころの名残です。21世紀に入って国際関係が変化すると、ポーランド国内の広軌の持つ意味も変わっています。

島国には想像できない国際鉄道の「脅威」

 また6月21日、リトアニアがEUの対ロシア制裁に基づき、ロシア領カリーニングラードへの貨物列車の国内通過を制限しました。カリーニングラードは第2次世界大戦後の1945(昭和20)年にドイツからソ連へ割譲され、現在はロシア本土と接していない飛地です。バルト海に面した要衝でもあり、ロシア海軍のバルト艦隊が常駐しています。旧ソ連圏ゆえ、広軌の鉄道がロシアからベラルーシとリトアニアを経由しカリーニングラードへと繋がっていますが、当然ながら物流を絶たれるロシアは強く反発しており、新たな火種になる可能性が生じつつあります。


2005年に撮影されたバルト艦隊旗艦「ナストーイチヴイ」(画像:アメリカ海軍/Public domain、via Wikimedia Commons)。

 リトアニアはEUおよびNATO加盟国ですが、国内には先述のように広軌が通じており、ロシアの経済物流ラインと繋がってエネルギーもロシアに依存しているという、複雑微妙な立場です。一朝事あれば、広軌はそのままロシア軍の兵站線になります。

 国際列車は国同士の連携を象徴するものである一方で、非友好国とも直通できる鉄路を抱えている恐怖は、島国日本人には理解し辛いものです。ウクライナ国内メディアによると、シュミハリ首相は5月末に、ウクライナ国内の鉄道のゲージを将来、段階的に標準軌へ改軌することを示唆しました。もっとも同国のカワ財務副大臣は「全土でのゲージ変更には1000億ユーロ(約13兆8000億円、2022年5月末時点)と30年以上の工事期間が必要になる」と述べており実現性は疑問ですが、その取り組みをロシアも欧州各国も注視しているはずです。