「みなさん」30年の歴史に幕 とんねるずが芸能界に残してきたやんちゃな爪痕 - 松田健次
※この記事は2018年03月29日にBLOGOSで公開されたものです
3枚目シングル「一気!」のスマッシュヒットでブレイク
「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ 1997~2018)が前身番組である「みなさんのおかげです」(同 1988~1997)と合わせ、放送30年で幕を閉じた。番組の功績や感想は他に様々詳しい。自分自身がとんねるずについて思い馳せ、記憶をかきわけた先に立ち止まるのは「みなさん」がまだ始まる以前、とんねるずがファーストブレイクの真っ只中にいた1985年だ。
とんねるずは1980年に「貴明&憲武」で「お笑いスター誕生!」(日本テレビ)に初登場。以後、とんねるずに改名し、お笑いスタ誕でも10週合格のグランプリを獲得し、若手お笑い芸人として注目株のワンノブゼムとなる。
転機は1984年12月にリリースした3枚目のシングル「一気!」のスマッシュヒットだった。これをステップボードにブレイクゾーンへと突入していく。(初期とんねるずの伝説となった、フジテレビのカメラ転倒破壊事件は「一気!」のヒットで滾りまくった石橋が85年1月の「オールナイトフジ」で起こしたものだ。)
テレビのフレームを巧みに使い切る石橋貴明
同年4月「夕焼けニャンニャン」(フジテレビ)がスタート。この「夕ニャン」や「オールナイトフジ」(フジテレビ)を33年後の現在から振り返っても特筆したいのは、テレビという四角いフレームを生放送で即妙に使い切る石橋貴明の巧さだ。テレビに映されている枠を常に把握しながら、フレームインとフレームアウトを自己演出し、数台あるカメラからカメラへのスイッチングを操り、テレビ映像としてのインパクトで笑いを醸すスキルをめきめきバージョンアップさせていた。その姿はあたかも、テニスやバスケと同じ競技のようにテレビがあるとでも思わせるような、テレビプレイヤーたる動きだった。
当時から石橋はテレビがタレントパワーだけでなく、カメラによって大きく印象が左右される素材であることを(芸人の中では)かなり早熟に意識していることが随所に伺えた。フジテレビでの撮影スタッフを制作技術の会社名から「ニューテレス軍団」と称していじり、カメラマンとのコミュニケーションを密にし、一瞬のアドリブとそれを逃さずに押さえる両者のチームワークを醸成していった。「みなさん」の撮影もこのニューテレスが担い続けた。
そして1985年9月、5枚目のシングル「雨の西麻布」が発売となり40万枚の大ヒットに至る。名物歌謡番組「ザ・ベストテン」(TBS)でも2位まで駆け上がった。お笑いと人気歌手の越境を果たすことで各局の音楽番組を席巻し、芸能界の様々な場所にやんちゃな爪痕を残しながら、その露出を飛躍的に拡大していった・・・。
「オールナイトフジ」はバブル期を象徴する深夜バラエティ―
という1985年、改めて「オールナイトフジ」である。番組の主役は現役女子大生。文化放送が「ミスDJリクエストパレード」で深夜ラジオに素人の女子大生をディスクジョッキーに登用し、大きな話題を呼んだ時流を引き継いで(・・・もしくはパクって)、深夜テレビでそのノリを一気に開放させたのが「オールナイトフジ」だ。まさにバブル期のテレビを象徴する深夜バラエティ―だった。ここでとんねるずは主に1984年6月から約2年弱、毎週レギュラーを務める。(以後は多忙で準レギュラー的な位置となった)。
前述した1985年は、石橋が超巨根キャラのえぐいシモネタ「角田さん」を繰り出し、女子大生達をキャアキャア言わせていた。現在のようにグレーゾーンの表現に深慮を要するコンプライアンスはまだ無く、とんねるずのシモネタは土曜の深夜を沸かせ、セーラーズのカラフルなファッションに身を包んだ彼らは着実に時代の追い風を集めていた。
当時、自分は大学2年。ある日、同じサークルにいた女子が、仕入れてきた話を今すぐにも明かしたい気持ちを抑えながら話しかけてきた。
「ねえ、オールナイトフジって見てる?」 「え、まあまあ、見てるよ(ホントは毎週かじりついていたが恥ずかしいので抑えめに返答)」 「とんねるず、出てるでしょ」 「ああ」 「あれで、ほら・・・なんか、もっこりーずとかっているでしょ(笑)」 「もっこりーずとぺにーず」 「あれに、◎◎◎(彼女が所属する別のサークル名)にいる男の子が出てるの」 「えっ、ホントに!?」 「古賀くんっていうんだけど、古賀薬局って名前なの」 「ええええええー、ホントに? なんで出てるの?」 「知らないよ! でも出てるの、古賀薬局なの!」
「もっこりーず」と「ぺにーず」は番組で募集された現役男子大学生によって結成されていた。彼らはとんねるずの舎弟扱いで、無茶な体力ゲームに挑みとんねるずにツッコまれる役だった。くだんの古賀薬局氏は実家が薬局ということでその名がついていたらしい。メンバーの中でも体を張って笑いをとるぺにーず側のキャプテンを担っていた。この、知りあいの知りあいという微妙に身近な誰かがとんねるずと共演しているという報せは、あの「とんねるず」をほんのひととき近しく感じさせる出来事だった。
しかしその後、舎弟扱いとされていた彼らはとんねるずの舎弟になることなくフェードアウトする。後から思えば、無茶な体力ゲーム企画というパターンは既に「スーパーJOCKEY」(日本テレビ 1983~1999)でビートたけしとたけし軍団による「THEガンバルマン」が先行していたフォーマットであり、とんねるず&オールナイトフジはそれをひととき模して試したに過ぎなかった。
ウィキペディアによれば「とんねるず」内の項目「舎弟軍団 もっこりーず&ぺにーず」に以下の記述がある――
『オールナイトフジ』のとんねるずコーナーで募集を行った舎弟軍団。応募条件は大学生。(中略)とんねるずは、ブレイクイヤーの1985年を経て、翌1986年にゴールデンタイムで「とんねるずのみなさんのおかげです」の第一回特番を担う。計四回の特番後、1988年からレギュラーとして番組スタート。それから30年経った春が、今である。
当初は4チーム存在していたが、途中で突然解散を告げられ『もっこりーず&ぺにーず』だけが残る。石橋曰く「俺達のガンバルマンズだ!」との通り、カニを口でくわえたりさせられたり体力型の試練ゲームをチーム対戦型で『憲武チーム』と『貴明チーム』に振り分けて展開した。
メンバーは古賀薬局、ボッキー潮田等。ユニフォームはもっこりーずが上半身裸で赤いタイツ、ぺにーずが同じく黒いタイツ。
双方登場のテーマ曲があり、もっこりーずが『♪も、も、も、も、もっこり~ず~♪』とボッキー潮田がフォークギターを弾きながら本日のテーマに合わせた歌詞にアレンジして熱唱しつつ皆で組み体操のような振り付けを決める。というもの。
対してぺにーずは宴会ノリで『♪ぺぺぺい、ぺぺぺい、ぺぺぺいぺい♪ぺにーずの、ちょっといいとこ見てみたい♪(アレンジが入り最後に)あんたはお強い♪』である。
(中略)
2005年9月に放送された『とんねるずのみなさんのおかげでした』の特番「とんねるずの石田さんのおかげでしたオールスター大感謝祭」に古賀とボッキーが出演。とんねるずの二人と再会を果たすが、その際木梨に「懐かしすぎて誰かわかりません」と言われた。
<追記>
1985年と言えば、深夜ドラマ「トライアングル・ブルー」(テレビ朝日 1984~86)も、とんねるずの型破りな新しさを見せる名番組だったっけ。