※この記事は2018年02月16日にBLOGOSで公開されたものです

羽生善治竜王 対 藤井聡太五段 世紀の対局

いよいよ第11回朝日杯将棋オープン戦 本戦 準決勝・決勝がせまってきました。先日、国民栄誉賞を受賞した羽生善治竜王と、第44期棋王戦予選2回戦、第49期新人王戦2回戦のいずれも勝ち抜き、好調をキープしている藤井聡太五段。“歴史に残る一局”が行われるのは2月17日土曜日、有楽町朝日ホール。準決勝の対局開始時刻は10時30分と予定されています。

さまざまなメディアで勝敗予想がおこなわれていますが、今回は「将棋の細かいルールはわからないけれど、この1局を楽しみたい!」という方にオススメしたい「観戦のポイント」、CSテレ朝チャンネル2、ニコニコ生放送、Abema TVでの生放送で“見逃してほしくない瞬間”をお伝えします。

羽生竜王の表情を見逃すな!

ずばり、何よりおさえていただきたいのは「対局がはじまる“直前、直後”の、羽生竜王の“表情”」です。もちろん対局中のポーカーフェイスや苦悶の表情、「いやー…」「んんっ?「そっかー…」というつぶやきにも注目していただきたいのですが、その前に!見逃してほしくないのは “対局直前・直後”。これには理由があります。

時は3年前にさかのぼります。2015年の第8回朝日杯将棋オープン戦決勝。羽生善治名人 対 渡辺明二冠(冠位は当時のもの)という黄金カードで事件は起こりました。

この時、振り駒で先手になったのは羽生名人。解説を担当していた山崎隆之八段は、先手・後手について「やりたい戦法を先手が選べる」「渡辺二冠は受けて立つタイプ。かわさずに、相手がやりたい戦法を受けるタイプです」という話をしていました。そして対局開始。初手「7六歩」を指す羽生名人の「表情」と「手つき」を見た山崎八段はこう言いました。

「いやこれは序盤、、、初手から力が入ってますね」

「7六歩」という手はいくつかある初手の候補の、もっともオーソドックスなもの。しかし、その表情と手つきから、山崎八段は“何か”を読み取っていました。二手目、後手の渡辺二冠は「8四歩」。これまたオーソドックスな一手です。その手を見ながら山崎八段が

「羽生名人の表情がすでに、中盤の勝負どころのような…」

とコメントしている最中、羽生名人の手が、盤面の中央に伸び、聞き手の山口恵梨子女流初段(段位は当時)と山崎八段は同時に「ええーっ!?」と叫びます。

指した手は「5六歩」

羽生名人は「中飛車」という戦法を選択。すでに“何か”を読み取っていた山崎八段は、

「なるほど、だからこんなに厳しい表情を!!!」「あまりやらないことをね……(やろうとしていたからこんな厳しい表情をしていたんですね…というニュアンス)」

と、3手しか指されていない局面で興奮気味。

そして、生中継の画面には、対局相手・渡辺二冠の「中飛車かよ…」「それは一瞬も考えてなかったわ…」という、これまた正直な表情、さらに背もたれにのけぞるような動きが映し出されました。

その表情はまるで「お母さんに『ジャンプ買ってきて』と頼んだら、”Vジャンプ””赤丸ジャンプ”を買ってこられた時の子ども」のような、「アニメ主題歌の入ったカセットテープを買ったら、テレビとは違う、全然知らない人が歌っていた時」のような、これ以上ない「コレジャナイ感」「思ってたんと違う!感」にあふれるものでした。

「渡辺二冠は相手がやりたい戦法を受けるタイプです」という山崎八段の発言が、完全に「フリ」に…。

尋常ではなかった「中飛車」のインパクト

この「中飛車」が、どれほど意外な出来事だったのか。たとえていうならば「一打席限りの勝負の第1球で、トルネード投法でおなじみの野茂英雄がアンダースローで投げてきて、颯爽と1つストライクをとった」ぐらいのインパクト。

もっといえば、須藤元気さんが著書「風の谷のあの人と結婚する方法」において、「あえてこんな読書をおすすめする」という文章の中で書いていた例え「ドラクエのラスボスがスト2のブランカだったというくらい違和感のあるもの」。それくらいのインパクトがありました。

ロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」最新作のボス戦に臨むような気持ちで「今回のボスはバラモス、ゾーマ、デスピサロ、はたまたダークドレアムのようなタイプか…」と対局を待っていた渡辺二冠。しかし、目の前にあらわれたのは、格闘ゲーム「ストリートファイター2」のブランカ!しかも、リュウでもケンでもガイルでも、バルログでもサガットでもベガでもなく、ブランカだったのです!!

羽生さんも渡辺さんも、どんな戦法でもオールマイティに指しこなす棋士で、中飛車を指すこともあります。そしてもちろん「中飛車への対策」も熟知しています。いわばドラクエでもスト2でも、ポケモンでも信長の野望でも何でも来いのユーティリティプレイヤー。

しかし、ふたりとも飛車の位置を初期設定から動かさない「居飛車」という戦法をメインで指している棋士。

中飛車をはじめ、飛車を移動させて戦うのを「振り飛車」というのですが、羽生さんが「戦法の選択が可能な“先手”」になったので、「後手番ならば振り飛車の可能性もあるが、先手になったので居飛車の戦法の中から何かを選択するだろう」と、誰もが考えていました。

それなのに、戦法を選べる「先手」で飛車を振った。しかも、振り飛車の中でも「中飛車」という戦法を選んだことに衝撃が走りました。振り飛車の中では、比較的「四間飛車」という戦法を選ぶことの多い羽生さんなのですが、中飛車。「ドラクエのボス戦かと思いきやスト2。そして、リュウでもケンでもベガでもなく、ブランカを選択した」というインパクトを観戦者に与えたのでした。

しかし、これには「フリ」がありました(振り飛車だけに)。決勝戦と同じ日に準決勝が行われたのですが(今回の羽生 対 藤井戦も準決勝)、その際戦った伊藤真吾五段が「先手で中飛車」を指し、後手の羽生さんは受けてたっていたのです。決勝戦、“衝撃の3手目”が指されてから数秒後、

山崎「あ、それで控室で、お弁当を食べる時間も削って、ずっと伊藤さんとさっきの将棋の感想戦(=検討)をやっていたんですよ」
山口「まさかの決勝戦への前フリだったとは…」

という裏話が明かされたのでした。

賞金一千万円でも守りに入らない羽生竜王

当時、朝日杯の優勝賞金は「1,000万円」(現在は750万円)。「1,000万円」とは棋士にとって、どれほどの賞金にあたるのか、年間の獲得賞金・対局料ベストテンを見てみます。

先日発表された2017年度の獲得賞金・対局料ベストテンの10位、佐藤康光九段の年間獲得額は1,967万円。2016年度の10位、深浦康市九段が1,849万円。2015年度の10位、広瀬章人八段は2,042万円。

このように「1,000万円」という優勝賞金は、「その1局に勝つだけで、年間トップテンの10位の半分を稼ぎ出す金額」なのです。その1局に、あえて普段指さない戦法、準決勝で相手がやっていた戦法をぶつける羽生さん…。

今回、藤井聡太五段にはどんな戦法で臨むのでしょうか?3年前と同じように変化球を投じるのか?それとも渾身のストレート?戦法の選択は、どちらが先手、後手になるのかでも変わってくるので、そこにもご注目ください。

羽生―藤井戦はこれまで非公式戦で2局指されていますが、藤井五段が勝利した1局は羽生さんの「居飛車」。もう1局は、羽生竜王が「藤井システム」という振り飛車の戦法を採用し、勝利をおさめました。

ちなみに、今回の朝日杯1回戦、2回戦ともに羽生さんは「振り飛車」を採用し、勝ち上がってきました。このまま、朝日杯を「振り飛車シリーズ」として最後までやり切るのか。それとも、今後も名勝負を繰り広げることが予想される藤井五段との公式戦第1局は、やはりがっぷり四つに組むのか…。

居飛車か振り飛車かは、はじまってすぐにわかるので「世紀の1局の“盛り上がり”を確実に味わいたい」という方は、対局開始前から開始直後を見逃さないでください!!

藤井五段は羽生"五段"を超えられるか

藤井聡太五段が羽生さんを破った場合、決勝で戦うのは広瀬章人八段か久保利明王将。もし、準決勝で久保王将が勝ち上がった場合、「佐藤天彦名人」「羽生善治竜王」「久保利明王将」の現役タイトルホルダー3人を破っての優勝&六段昇段となります。

将棋ファンにとって、これには“棋士感”ならぬ“既視感”のある光景…30年前、あのトーナメントで将棋界に強烈なインパクトを与えた、あの棋士を思い起こさせます。

それは、1988年度、第38回NHK杯テレビ将棋トーナメントにおいて、第3回戦で大山康晴、準々決勝で加藤一二三、準決勝で谷川浩司、決勝で中原誠と名人経験者4人を破り優勝した「羽生善治“五段”」の姿。羽生五段はこの年、対局数、勝利数、勝率、連勝の記録4部門を独占。最優秀棋士賞を史上最年少(18歳)で受賞しました。

翌年には竜王戦の挑戦者となり六段昇段、そのまま竜王位を獲得し、19歳2か月で当時の「史上最年少記録」となるタイトルホルダーとなったのでした。1988年といえば「ドラゴンクエスト3 そして伝説へ」が発売された年。まさに伝説のスタートとなった30年前。

羽生“五段”が17~19歳で歩んだ道のりを、藤井五段は15~16歳にして歩むことになるのか。今後を占う一局と言えるでしょう。

羽生竜王にとっても節目の大会

また、羽生さんにとっても今回の朝日杯は節目の大会です。もし、今大会で優勝すると、一般棋戦の優勝回数が通算45回となり、歴代“単独”1位となります。

ちなみに朝日杯将棋オープン戦は2007年に創設され、今年で11回目なのですが、羽生さんは5回優勝、2014年から2016年にかけて3連覇しています。

また、朝日杯将棋オープン戦の前身となる「朝日オープン将棋選手権」でも6回の優勝、こちらでも2005年から2007年まで3連覇を達成しています。持ち時間(考える時間)の少ない大会なので、反射神経のよさそうな若手棋士が有利のようにも思えるのですが、持ち時間の少ない対局こそ羽生さんの得意とする土俵。

名人や竜王のようなタイトル戦においても、2日かけておこなわれるタイトルよりも、1日で決着のつくタイトルのほうがより多く獲得しています。さきほど名前を出した「NHK杯」も放映時間の都合で持ち時間は少ないのですが、通算10回の優勝、2008年から2011年まで4連覇を達成。

囲碁将棋チャンネルで放送される「銀河戦」においても、25回のうち7回優勝しています。また、それぞれ「決勝進出」の回数も含めるとさらに数字は増えます。

もうひとつの節目。準決勝・決勝と連勝すると、羽生さんの今年度の勝数は「30」になります。一流棋士として語られる基準として「年間30勝、勝率6割」というものがあります。非常に難易度の高いものですが、羽生さんは1985年のデビューからずっとこの基準をクリアしてきました。

しかし昨年度の成績は、27勝22敗、勝率5割5分1厘。フルシーズンで戦い始めた1986年度から見てはじめて「30勝、6割」を達成できなかった年となりました。そして現在の成績は「28勝21敗」。連勝すると30勝21敗で勝率は5割8分8厘に。朝日杯優勝後も年度内に2連勝すると勝率6割にのります。

とはいえ、このような目先の数字や勝ち星にはとらわれない羽生さん。真っ向勝負で藤井五段と激突することでしょう。

さあ、藤井五段は羽生竜王から公式戦初手合いにおいて、勝利をおさめることができるのでしょうか?いろんな角度から“勝つ確率は〇%”という話が出ていますが、ここは“天才の歴史”に学びましょう。羽生竜王は、歴代の“名人”との初手合いにおいて、どれだけの勝率を残しているのでしょうか?

羽生さんが名人になる以前の歴代名人で、直接対決のある棋士は大山康晴、中原誠、加藤一二三、谷川浩司、米長邦雄の5人。この5人との初手合いの成績は、羽生さんから見て3勝2敗。勝率にして「6割」。

さあ、藤井聡太五段はこの例のように勝利をおさめ、「羽生さんに初手合いで勝った後輩棋士」の「14人目」になれるのか?くれぐれも“対局開始前の羽生さんの表情”“対局開始直後の手つき”にご注目ください。