※この記事は2018年02月07日にBLOGOSで公開されたものです

「羽生竜王 対 藤井四段」は本当に幻に

1月22日の記事「羽生竜王と藤井"四段"の対局は実現不可能?幻に終わる可能性も」から10日後の2月1日に藤井聡太五段が誕生。「羽生竜王 対 藤井四段」は本当に幻となってしまいました。

藤井五段はC級2組からC級1組への昇級を決め、史上初の「中学生で五段」の棋士になりました。15歳6か月で五段昇段、最年少記録…と言いたいところですが、"ひふみん"こと加藤一二三九段が「15才3か月」で五段に昇段しています。"最年少デビュー"の藤井五段をもってしてもなかなか「最年少記録」と言わせてもらえないあたりに、「棋士たちは天才集団」であることを再認識させられます。

15歳6か月…あなたは何をしていた頃でしょうか?安室奈美恵さんでいうとSUPER MONKEY'Sで「マスカットガム」のCMに出演し、音楽番組「ポップジャム」にレギュラー出演していた頃が15才6~7か月ごろの出来事。広末涼子さんでいうと「広末涼子、ポケベルはじめる」のCMで一世を風靡したのも今の藤井五段と同じくらいの年齢。あれから20年強。「アイドルばりに人気の15才のプロ棋士」が誕生しているとは想像もできませんでした。

余談をもどして最年少記録の話題。「タイトル挑戦」の最年少記録は、屋敷伸之九段の持つ「17才10か月」。藤井五段に残された時間は「2年4か月」。これは「まだまだあるからなんとかなるでしょう」なのか「意外とあと少しじゃないか!」なのか、といったところ。

ちなみに、最年少タイトル獲得記録の「18歳6か月」、最年少タイトル防衛記録「19歳0か月」も屋敷九段の持つ記録です。今年の夏、16才になる藤井五段。♪聡太はまだ、16だから♪と、影絵のように美しい物語だけを見てはいられないのです。

将棋界の「名人」は1人だけ

30年ほど昔のファミコンの世界には「高橋名人」「毛利名人」「橋本名人」など、「名人」が同時に複数存在しました。

高橋名人も棋士と同じように指先のテクニック(時にはスイカを割り、バイクを止めるパワーも必要としましたが)で、名人を名乗っていますが、「名人戦」なるものはその世界にはありませんでした。

今でこそ海外ではe-sportsの大会が行われ王者が決められていますが、当時は、各ゲームメーカーで「名人」を名乗る人物が存在しました。それとは異なり、将棋界に「名人」が同時に複数存在することはありません。そして、「名人」は8つあるタイトルのひとつなのですが、どんなに強くても、何連勝しようとも、1年目で挑戦することはできません。最低でも名人挑戦までに「4年」が必要です。そこにあるのは「順位戦」というピラミッド。

C級2組からはじまる5つのクラスがあり、1年間そのクラスで戦って、優秀な成績をおさめた棋士だけが昇級できるシステムです。前年度の成績によって「順位」がつけられ、その順位が「勝敗と同じくらい昇級に関わってくる」という特徴があります。

藤井五段は今期「50人」が在籍する「C級2組」の中で、トップ3に入る成績をおさめたため昇級・昇段となりましたが、「C級1組」でも40名弱の棋士の中でトップ2の成績をおさめなければ「B級2組」へ昇級できません。

その後も、B級2組は25名ほどの中でトップ2の成績、B級1組は10数名の中でトップ2の成績をおさめなければ、「名人に挑戦する権利」を得られる「A級」に入れないのです。…気が遠くなってきますね。

名人に挑戦できるのはもちろん、「A級」で最優秀成績をおさめた「ひとり」だけ。そして、A級までの道のりには、タイトル経験者のベテラン勢や若手から中堅となりつつある現タイトル保持者との戦い、さらに、藤井五段自身と同じように勢いのある若手棋士との戦いが待っています。

さきほど名前をあげた、数々の「最年少記録」を持つ屋敷九段が、「順位戦」で大苦戦したクラスが、今度、藤井五段が1年間戦う「C級1組」。

1989年度、藤井五段と同じように「C級2組を1期抜け」した屋敷九段。C級1組初年度、いきなり昇級のチャンスをつかんだのですが終盤で失速。その後もC級1組で戦い続け、B級2組に昇級したのはなんと「2003年度」。

18才でタイトルを獲得し、C級1組を1期抜けした早熟の天才が、14年間の足踏み。しかも、その14年の間に全棋士参加の一般大会で優勝したり、「棋聖」のタイトルを獲得したりと活躍していたことから、「C級1組から昇級できない」ことは「将棋界の七不思議」のひとつに数えられていました。

その後、屋敷九段は昇級を重ね、将棋界のトップテン「A級」に到達。一度、A級から降級したものの再び昇級し、今期も「A級」に在籍しています。

藤井五段が毎年昇級を重ねたとしても、最短でA級に昇級するのは2021年。19才になる年です。毎年4月から6月に行われる名人戦。藤井五段の誕生日は7月19日なので、A級初参加で名人挑戦を決め、2022年に行われる名人戦を制すると、「史上初の10代名人」が誕生します。

それゆえ「今後もストレートで順位戦のピラミッドをかけあがり、名人挑戦・奪取」した場合のみ、我々は「10代名人」を目にすることになります。もちろん最年少記録です。仮に1年どこかで足踏みした場合は「20才名人」の誕生となります。これもまた名人の最年少記録。現在の最年少名人の記録は、谷川浩司九段の「21才2か月」。ギリギリでこの記録を更新できます。藤井五段であっても、簡単に「最年少記録を作りたい放題ではない」のがおわかりいただけると思います。

藤井5段だけではない「昇級ドラマ」

さて、C級2組から昇級できる棋士は「3名」。今期、藤井五段以外に昇級の目がある棋士にも大きなドラマがあるのです。2月4日現在、7勝2敗で藤井五段に次ぐ成績をおさめている棋士は「5名」。

ひとりは藤井五段の「29連勝目」の相手、増田康宏五段。そして、公式戦では3度、藤井五段に敗れているものの、「かすがいキッズ将棋フェスタ」という日公式戦で勝利をおさめた都成竜馬(となり・りゅうま)四段(名前に着目すると「と」「なり」「りゅう」「うま」と、将棋の駒にまつわる言葉で構成されている!)。

去年、四段昇段後公式戦で100勝を達成し、五段に昇段した石井健太郎五段。この3名は、前年度もC級2組で活躍しており、都成四段が3位、増田五段が5位、石井五段が7位と、同じ7勝2敗勢の中でも、3月15日に行われる最終局に勝てば、昇級が見込める順位にいます。

苦しいのは、藤井五段のような「前年の成績がない」棋士。藤井五段は「奨励会三段リーグ」という、相撲でいう「幕下」、プロひとつ手前のリーグにいたため、前年度の「C級2組」の成績がありませんでした。そのため、50人いるC級2組の中で「45位」という順位でした。しかし、藤井五段とは違うカタチで前年度のC級2組の成績がないふたりの棋士がいて、そのふたりもまた昇級戦線に絡んできています。

戦後最年長でプロになった苦労人

ひとりは今泉健司四段。実力者ばかりが集まる中で、ほんの一握りだけがプロになれる将棋会。プロ棋士ひとりひとりにドラマがありますが、今泉四段は、比類なき経歴を持っています。今泉四段が"最初に"プロ棋士一歩手前の「奨励会三段リーグ」に入ったのは、今から24年前の1994年。羽生竜王がはじめて"名人位"についた年です。

その時、今泉さんは21才。5年後の1999年「26歳までに四段」という規定に及ばず、年齢制限により奨励会を退会となります。その後、アマチュア将棋の世界で活躍し、30才の時には、竜王戦ランキング6組で「プロ棋士3人から勝利」をあげる活躍。さらに34歳の時、過去1年の6つのアマチュア全国大会で優勝し、プロ棋士の推薦を得たものが受験できる「三段編入試験」を受験し、見事突破しました。

そして、人生二度目の「奨励会三段リーグ」に入ります。この時、プロ棋士手前の奨励会員でありながら、新しい戦法を開発し将棋大賞のひとつ「升田幸三賞」を受賞(奨励会員の受賞は初)。今度こそプロに…という思いもむなしく「プロ編入試験を経て三段リーグに入り、4期以内に四段昇段できなかった場合は退会」という規定により、35歳の時、2度目の奨励会退会。

証券会社につとめたあと、介護職に就きます。その後もアマチュアの大会で優勝を重ね、ふたたび、竜王戦ランキング6組で「プロ棋士3人から勝利」!「プロ公式棋戦にアマチュア枠から出場し、最も良いところから見て10勝以上、かつその間の勝率が6割5分以上の成績」をおさめたことで、奨励会を経ることなくプロ棋士になれる「プロ編入制度」での試験を受けることになります。プロになりたての四段と最大で5局指し、3勝すればプロ入りという試験を3勝1敗で突破(3勝目は前述の石井健太郎五段!)。2015年4月1日、正式にプロ棋士となりました。

だいぶ端折って書いてもここまでドラマチックなプロ入り劇。しかし、今泉四段がドラマチックなのは「さらにここから」です!

今泉四段がまず在籍したのは、「C級2組」ではなく「フリークラス」。順位戦とは外れた世界です。このクラスにいる限り、「名人」は目指せません。そして、フリークラスに「編入」した棋士は10年以内に規定の成績をおさめられなかった場合、「引退」となります。

プロ入りはしたものの、奨励会同様、再び「期限付き」の世界。今泉四段は「良い所取りで連続30局以上の勝率が6割5分以上」という規定の成績をあげ、1年7か月でこの「フリークラス」から脱出。2016年11月の出来事でした。

つまり、今泉四段は2017年度、藤井聡太五段と同じく「C級2組」にはじめて参加した棋士!昇級すれば、藤井五段同様「1期抜け」。順位戦の第7局まで7勝0敗で連勝街道を突っ走っていたのは藤井五段とこの今泉四段!藤井五段は15才、今泉四段は現在44才!親子ほど年齢の離れた「新人」が同時昇級!!!

…かと思われたのですが、年が明け行われた第8局、先日行われた第9局と、今泉四段は連敗を喫し、7勝2敗。残すは1局。順位は47位。仮に「藤井・今泉のダブル昇級」となった場合、おそらく「今後二度と見られない出来事」となります。

さて、5人目です。C級2組から昇級の目を残しているものの、今泉四段よりも順位が下のため、自らが勝ち、奇跡を祈るしかない棋士がいます。佐々木大地四段。

佐々木四段も今泉さんと同じく、「フリークラス」を脱出し、「C級2組」へとあがってきた棋士。ただし、今泉四段はフリークラスに入った「ルート」が異なります。

佐々木四段は、奨励会三段リーグで「次点」を2回獲得したことから、フリークラス編入の権利を得ました。この権利は、行使せずにもう一度三段リーグを戦い、既定の成績を上げて四段・C級2組入りを目指してもよいものなのですが、佐々木四段は権利を行使。2016年4月にプロ入りしました。

その年度から大活躍。第2期叡王戦にて、1枠しかない「四段予選」を勝ち抜き本選に進出。抽選会において第1回戦で「佐藤天彦名人」と戦うことが決まり、史上初の「フリークラス棋士と名人の対局」を実現させました。

そして、たった10か月半で「良い所取りで連続30局以上の勝率が6割5分以上」をあげ、C級2組への昇級を決めました。フリークラスでプロ入りした棋士で、1年以内にフリークラスを脱出したのは史上初の出来事。藤井五段とはまた別ルートの「最速記録」保持者と言えます。

しかし、今泉四段のC級2組入りが2016年11月なのに対して、佐々木四段は2017年2月。今泉四段よりもひとつ低い順位です。

2月9日に第9局を戦う棋士の中に、「6勝2敗」の棋士がふたりいます。ひとりは、日本将棋連盟モバイル編集長として、将棋の普及にも力を入れている遠山雄亮五段。

遠山五段は「3つとるとフリークラスに降級」しなければならない「降級点」を2つ持っていたのですが、今期、勝ち越しを確定させ、降級点をひとつ消すことに成功。さらに、昇級の目も残しています。

もうひとりは、藤井聡太五段と公式戦で2勝2敗の大橋貴洸四段。大橋四段は2016年10月に四段となっているため、順位は今泉四段よりもひとつ上の46位。遠山五段、大橋四段が第9局に勝ち、7勝2敗が7人という状態になった場合、「今泉四段、佐々木四段のフリークラス脱出コンビ」の昇級は、かなり厳しいものになります。

ちなみに、最終局でこの7人のうちいずれかが直接対決する、ということはありません!戦う相手はそれぞれ異なります。相手は昇級が絡んでいなくても、来年度の順位をひとつでもよくするために全力で勝ちにきます。C級2組最終局は3月15日。「藤井五段は全勝でC級2組を突破するのか」という話題が片隅においやられるほどに熱い対局が待っています。

ピラミッドの頂点にいる「名人」。現在の佐藤天彦名人にもフリークラスにまつわる過去があります。それは「奨励会三段リーグで次点を2回獲得したが、フリークラスに編入せず、もう一度三段リーグを戦い、既定の成績を上げて四段・C級2組入りした」というもの。

プロ一歩手前ならではのひりついたリーグを改めて戦い、正面から勝ち抜くことに成功した棋士が、羽生竜王をやぶって「名人」に。その「名人」を2002年から2015年まで独占していたのは「森内俊之」と「羽生善治」のふたりだけ。

また、1998年、99年の「佐藤康光」、2000年、2001年の「丸山忠久」はいずれも「羽生世代」にくくられる棋士(佐藤九段のみひと学年上)。1997年の「谷川浩司」をのぞくと、1994年から2015年までの22年間、羽生世代の独占が続いた「名人位」に風穴をあけたのが、現名人の佐藤天彦、1988年生まれ。

1988年というと、「羽生善治五段」がNHK杯において大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠と名人経験者4人を破って優勝した年。そんな羽生五段の奇跡から30年後、藤井聡太五段が誕生しました。

そして、その年に生まれた現名人への挑戦者は誰なのか。A級のトップを決める戦いも残すは1局。現在、「最大で6人プレーオフ」という過去にない可能性が残っています。

さらに「52才からのフリークラス脱出」という可能性を残す棋士、「C級1組の棋士とC級2組の棋士によるタイトル戦」など、話題にことかかない将棋界。2月17日、朝日杯準決勝の「羽生竜王 対 藤井五段」、その前後の対局にもぜひご注目ください。