「街頭での手応えはあったが報道で数字を聞いて首の周りが寒くなった」希望の党から出馬・落選した元議員の証言 - BLOGOS編集部
※この記事は2018年01月25日にBLOGOSで公開されたものです
昨年行われた衆議院選挙では、野党の再編に注目が集まった。特に小池東京都知事が中心になって立ち上げた希望の党は、多くの民進党所属議員が合流するなどし、一時与党を脅かす存在になるかと思われた。しかし、その勢いは徐々に失速。最終的には野党第一党の座を立憲民主党に譲ることとなった。
こうした一連の経緯を候補者達はどのように感じていたのだろうか。福岡9区から希望の党の公認を受け、出馬・落選した前衆議院議員・緒方林太郎氏に話を聞いた。(取材・執筆:永田 正行)
「街頭での手応えは昨年の選挙が一番良かった」
―メディア上では代表である小池都知事による、民進党からの合流者への「排除発言」が希望の党失速のきっかけとなったという分析をよく目にしました。
実際に候補者として選挙を戦った緒方さんは、どのように感じていましたか?
緒方林太郎氏(以下、緒方):私は、2009、12、14、そして昨年と4回の選挙を経験していますが、街頭での手応えという点においては、昨年の選挙が一番良かったんです。しかし、世論調査や報道各紙の情勢分析を見ると、ライバル候補が「一歩リード」「やや先行」と書いてある。それを見て、「そうなのか」と感じていました。
―選挙の前に、民進党の両院議員総会で希望の党への合流が決まった際には、「希望の党で野党がまとまり、もう一度政権交代が起きる」と言った若手議員もいたという報道もありました。当時、そうした高揚感はあったのでしょうか?
緒方:私自身は、解散の可能性が報じられてから、実際に国会が解散された9月28日までの10日間ほど、上京しませんでした。選挙が近いということで、地元での活動を優先していたのです。
9月27日の夜に上京して、国会に行った時の高揚感は大変なものでした。最初に私が聞いたのは「170議席はいけるんじゃないか」という話でしたが、本心では首を傾げていました。170議席というのは、国会運営でもかなり強気に出ることができる数字です。
そして、解散して数日経ってみると、東京のメディアから流れてきた数字は「150ぐらいかな」というものでした。それが、「130ぐらいかも」「100も厳しいかな」というように、どんどん下がっていった。170からスタートして150、130、100、70、そして最後は50になった。そうした数字を聞くたびに首の周りが寒くなる気がしました。
―メディアの作り出す雰囲気、いわゆる「風」と呼ばれるものに、結果が左右されやすいという現状の選挙制度の問題点を指摘する声もあります。こうした点については、どのようにお考えですか。
緒方:大前提として、そうした問題点もすべて含めて選挙の結果だと考えています。
「中選挙区制の方が良いじゃないか」という声もありますが、私自身は中選挙区制を経験したことがないので、なんとも言えません。仮に私の選挙区(福岡9区)で中選挙区制を導入したとすると、カバーする面積は2.5倍程度になります。そうなると、新たにもう一つ事務所を作る必要が出てくるとか、移動だけでもかなりの負担増になるとか、非常にお金が掛かるだろうなと思います。
小選挙区、中選挙区、比例制度、それぞれにメリット、デメリットがあるので、一概には言えないでしょう。
―昨年の選挙では、当時代表だった前原氏が希望の党に合流するという判断をし、民進党が分裂しました。元々民進党は、安全保障などについて見解の異なる議員も多かったので、分裂はある意味必然だったようにも思います。こうした経緯をどのようにお考えですか。
緒方:自身で選んだというよりは、既にそうなっていたという感覚でした。組織のトップが決めて両院議員総会で「こういう方向で行くぞ」と組織としての意見が統一された。なので、積極的に選択をしたというよりは、決まったことに反旗を翻すことはしなかったという状況です。
ただ、当時同僚議員とやりとりしたLINEなどを見直してみると、「乗り気がしない」というようなことを書いています。よく思い出せませんが、しっくり来てなかったのでしょうね。その後公示までの間に2回、「無所属」の選択肢を考えました。
いずれにせよ、すべての結果は、どういう背景があろうとも、私の選択によるものです。当時の思いはそれとして、真摯に結果を受け止めています。誰かの非難や言い訳はしません。
また、考え方の幅が広いという点については、どこの政党にも幅の広さはあると思います。例えば、自民党の中にも様々な考え方の議員がいます。ただ、野党と比較すると、そうした考え方の違いが表面化しないのには、いくつか理由があると思います。
一番大きいのは、政党支持率の問題でしょう。高ければ自動的に求心力が生まれます。例えば、麻生政権の最後の頃は自民党内でも意見がバラバラでした。要は支持率が下がってくると、どうしてもこれまで抱えていた不満が表に出てきてしまう。
それでも、私が良いと思うのは、自民党には「ある議案に反対でも、決まったら黙る」という文化があることです。「この件について自分は引き続き反対だけど、それを対外的に言って回るようなことをしない」という文化がある。その背景には派閥があり、派閥が「黙っておけ」と抑え込んでいる部分もあるのでしょう。与党として組織をまとめていくために培ってきた技なのだろうと思います。
実際、私も自民党の方々とよくお話しましたが、みんな不満を抱えていました。確かに「こんな馬鹿馬鹿しいもの、俺は絶対反対だよ」という気持ちを持ってはいるんだけれど、それをメディアに出て「俺は反対だ。絶対許せない」ということはやらない。民主党、民進党には、そういう組織文化が足りないと思いました。
自分の主張を対外的に喧伝して貫くというのは、勿論、国会議員としての正義だとは思いますが、組織をまとめていく上では自民党のように「決まったら黙る」という文化が必要なのではないかと思います。
私も民主党政権時や、野党時代における採決の姿勢には、様々な不満がありました。それを外向きに「俺は不満だ。こんなのけしからん」と言えば、自分はメディアに取り上げられて、議員としての正義を貫いたという姿勢をアピールできるかもしれません。しかし、それは別のところで組織全体にボディーブローを入れていることにもなります。
質問回数20回、時間は669分とフル回転だった
―一部報道では政界引退とも言われていますが、今後については?
緒方:実は「引退」という言葉を使ったことは一度もありません。ただ、「福岡9区での活動については区切りを付ける」という言い方をしています。ここから先については、100%白紙です。当然、現在はどの政党とも公的な関係はありません。すべての可能性を目の前に置いた上で考えたいと思います。
―いずれにせよ、国会議員としての活動は一段落されたわけですが、これまでの活動を振り返っていかがですか?
緒方:この地域に総支部長として来てから、現職だった期間が6年、初当選までの期間が2年と落選期間が2年、計10年活動してきました。自身の生まれ故郷でもありますし、温かいご厚情をいただきながら活動できたと思います。
特に二期目の2年10ヶ月は自身の中では「これ以上できない」というぐらいの密度で政治活動に取り組んできました。
予算委員会、安全保障法制特別委員会、TPP特別委員会などに入って質疑をし、衆議院の内閣委員会では過去2年、筆頭理事(野党代表)を務めました。内閣委員会は法案の数も所管大臣も多いので、注目度も高い。そこの野党代表ですから共産党や維新の会の人達と話を取りまとめて、上がってくる法案について法案修正をかけて…といったことをやってきました。
第190回国会は20回質問に立ち、それとは別に法案提出者として1回答弁を行いました。質問時間は合計で669分に達しました。本当にフル回転だったと思います。
また、東京での活動だけでなく、地元での活動にも非常に力を入れました。今回、結果は伴いませんでしたが、地元での知名度はこの2年間で非常に上がったと思います。
自分なりにやれることはやったと思うので、結果についてはきちんと受け入れています。その上で、何処にも所属しない立場から自由に次の一歩について考えていきたいと思いますね。
左を固めた上で中央から右に出て行かない限り政権は担えない
―政治家は選挙に落ちたら「ただの人」になってしまいます。緒方さんは、外務省出身ですから、国会議員としての経験を生かして、官僚組織にもう一度戻るというような制度があってもよいと思うのですが。
緒方:外交官時代にフランスで2年暮らした経験があるのですが、フランスは、そうした「リボルビングドア」の制度が非常にしっかりしていました。ただ、日本で同じことをしたら、「癒着ではないか」と疑われるレベルだったと思います。
今は制度が変わってしまいましたが、かつては例えば、ある官僚が政界に出た後に出身官庁に戻る時に、官庁にいなかった年数も含めて昇進があったと仮定して、ポストに戻すという制度がありました。国会議員をやった人が役所に戻って大使級ポストに就いたというような例もありました。しかし、こうした感覚は日本の政治文化にはなじまないと思います。「単なる癒着じゃないか」と言われて、有権者の理解が得られないでしょう。
―先程、今後については白紙ということでしたが、落選後もブログの更新は続けています。
緒方:現職議員でなくなり、政党所属もない立場で街中を歩いていると気になることはたくさんありますので、思いを更新しています。そして、地元でも「BLOGOSを見ている」という方も結構いらっしゃいます。
ネットだけを見ていると「右が強い」という意識になりがちですが、ネットを見ない層も含めた国民全体で考えれば、ネットなどを通じた意思表明をしない人たちも相当数いるでしょう。現状では、右にしても、左にしても、エッジの利いた見解の声が大きく聞こえますが、恐らく社会全体の平均値はそこには無いと思います。つまり、そうした人たちを取り込むことが出来る政治勢力をどう構築していくかが課題です。
例えば、自由民主党は右派支持層だけで現在の支持率を確保しているわけではありません。地域を歩いていると、それを強く感じます。同じように、左派色を打ち出すだけで30~40%の支持率を集められることはないと思います。
―そう分析する理由を教えてください。
緒方:日本の政治状況を見てみると、左の端の不動の位置に共産党がいる。それに対して、安倍さんの戦略は非常に巧妙で、右をガッチリと固めた上で中道から左にどんどん出てくるわけです。左端に共産党がいるので、右の勢力が中道側に勢力を広げてくるのをそのままにしておくと、野党が狙えるレンジが狭くなっていってしまう。
なので、日本に今一番必要なのは、中道をしっかりと担える勢力だと思います。右から中道に出てこようとしてくる安倍さんとも左の共産党とも渡り合える勢力が必要なのです。私は、民主党時代から主張しているのですが、「中道の政治勢力」の価値観をきちんと打ち出していくべきだと思います。「自分たち真ん中の政党なんです。我々はこういう価値観なんです」と胸を張って主張する勢力がいることは重要なことだと思います。
―実際、安倍首相は働き方改革など、どちらかというと左派的な政策も打ち出しているので、野党は攻めどころが難しくなっていますね。
緒方:それが安倍首相の戦略なわけです。私個人は、今お話したように中道を志向していますが、自分自身の事を一旦脇に置いて、全体のピクチャーを見てみると、安倍首相の逆を取る戦略として、左側をガッチリと固めた上で、中道から右に出て行くという考え方もあると思います。
その際に重要になるのが、右よりの勢力を取り込むためのテーマ選択です。当たり前ですが、安倍首相も左派的な政策をすべて採用しているわけではありません。自分の信条に反しない範囲で、政策の中身、使う用語等、非常に上手く取捨選択しています。それと同様に、左派の勢力であっても合意し得る右派テイストの政策はいくらでもあると思います。
例えば、日本国民として領土、領海を防衛する事に反対する人は居ないでしょう。なので、「尖閣防衛を強化するので、海上自衛隊、海上保安庁の体制を整備します」くらいの主張は左派側からでも発信可能でしょう。そうすることで、支持層を広げていくことができるのではないでしょうか。
現状では、野党第一党である立憲民主党は勢いがあります。多分、非常に心地いい状態でしょう。ただ、そこに留まって、伝統的な支持層だけに目を向けたり、左側を見ていたりしていても、今の支持率を超える先はあまり見えてこないはずです。だから、コアの支持層を固めた上で、中道から右側に出ていく必要がある。
民主党時代、この辺りの話は基本的に「同床異夢」で纏める事が多かったです。多義的な表現で纏めて、誰も譲歩しなくても済むようになっていました。同床異夢は楽なのです、真正面から向き合っての激しい議論が不要ですから。
それは一つの政治の技ですが、多用し過ぎると誰から見てもバレバレなのです。左派系の方が言える右派テイストの政策、右派系の方が言える左派テイストの政策をそれぞれ同床異夢無しで議論すべきだったですし、これからもそうでしょう。 テーマを慎重に見極めた上で左側から中道、右側に勢力を広げていくという戦略を採れないのであれば、現在の野党が与党になれる事はないだろうと思います。
プロフィール
緒方林太郎。1973年1月8日、福岡県北九州市八幡西区生まれ。1994年 東京大学法学部中退(外交官試験合格のため)、外務省入省。外務省退職後、2009年に衆議院選挙当選(1期目)。2012年の総選挙で落選するも2014年に国政に復帰。2017年の選挙で希望の党から出馬するも落選。・緒方林太郎の記事一覧