残業代ゼロ? どうぞどうぞ - 赤木智弘
※この記事は2017年07月16日にBLOGOSで公開されたものです
連合こと日本労働組合総連合会が残業代ゼロ法案と呼ばれる「高度プロフェッショナル制度」の導入を事実上容認したとして、批判が集まっている。(*1)高度プロフェッショナル制度とは、年収1,075万円以上の一部の専門職に限り、労働時間の規制や残業代の支払いから外す制度であり、これに対して連合側は年間104日以上の休みの確保を始めとする修正を安倍首相に要請。これを政府側が受け入れれば制度導入に向けて法案実現へと動くこととなる。
これに対して反対する人たちは、今のところは年収1,075万円という規定であるものの、いずれ値段が低くなり、また職種についても限定がゆるくなる方向に向かうことが明白であり、過労死などの過剰労働から働く人を守れなくなるということで、反対をしている。
いやー、正規労働者の皆様は、ただ与えられた仕事をこなしていれば、残業代までもらえてよござんすね。こっちは非正規なんで最初から残業代も祝日出勤手当もまったく縁がないんで、残業代なんてゼロになっても痛くも痒くもない。バンバンとゼロにしておくんなまし。
軽口は冗談としても、そもそも制度以前の話として、残業代なんてものは不要どころか、むしろマイナスにするべきものだ。
そもそもなぜ残業は発生するのか。
日本人の働き方などを研究している、千葉商科大学国際教養学部の専任講師、常見陽平は端的に「残業は合理的だからだ。残業もまた柔軟な働き方だからだ(*2)」と、評している。
残業が合理的とはどういうことか。簡単に説明すると、仕事というのは顧客とのやり取りや、季節的な状況で、その繁閑の差が極めて激しく変わる。そのなかでいちいち「必要なときは人をたくさん雇い、不要なときは解雇する」というやり方は経営者からすれば極めて手間が掛かるし雇用リスクもある、労働者からすれば閑散期ごとに解雇リスクが発生する。
だから、ある程度の労働の増加分を働く時間を多くする、つまり残業を増やしてカバーするのが、労使ともに最も負担の少ない働き方だからである。
だが、それで負担が少ないのは経営者と正規労働者だけである。
では非正規労働者はどうなのかといえば、忙しいときだけ呼ばれて、暇になれば解雇されるのである。残業だけでは受け入れられない負担を、非正規労働者が受け入れているから、残業ゼロだとかその程度のどうでもいいレベルのことで騒いでいられるのだ。
ニュースの記事(*1)で、過労死遺族たちの会が「働く人を守れない」と反対をしているが、彼らの言う「働く人」とは正規の労働者のことであり、非正規労働者は「働く人」とは全く関係がないと無視されてしまっている。
さらに、関係がないどころか、残業のあり方が正規労働者の解雇リスクを減らしているということは、残業の存在は非正規労働者からすれば「残業があるおかげで、非正規が正規になるチャンスを奪われている」とも言える。
非正規労働者の多くは、正規労働者としての仕事を欲しがっているのに、正規労働者は残業として正規労働者としての労働を必要以上に消費してしまう。それだけでも腹立たしいのに、今の現状では残業代に割増賃金が出て、得までしてしまっているのは、どう考えてもおかしいだろう。
本来、限られた資源である正規労働者としての仕事は、多くの人に分配されるべきである。それを経営者と正規労働者が自己都合で独占しているのだから、その双方に罰が与えられるべきではないか。
僕は、残業代をゼロにするよりも、残業が発生した場合は労使ともに「残業税」とも言えるべき金を支払う制度にするべきだと考えている。そしてそれを非正規労働者に分配すればいい。そこまでしてようやく、労使は本気で残業を減らすことに取り組むはずだ。そうすれば少しは非正規にも正規の椅子が回ってくるかもしれない。
非正規労働の存在を認識せずして、残業だけの話をしても意味がない。残業は「経営者と正規労働者の利権」に他ならず、残業の存在が労使ともにデメリットにならなければ、ゼロだろうがそうでなかろうが、非正規労働の立場からはどうでもいいという他はないのである。
*1:「残業代ゼロ」容認:「働く人守れない」過労死遺族ら反発(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20170714/k00/00e/040/227000c
*2:残業がなくならないのは、合理的だからだ 今こそ身も蓋もない話をしよう(BLOGOS 常見陽平)http://blogos.com/article/216287/